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東陽バス73年の歴史

会社概要

名称 東陽バス株式会社
設立 2012年5月18日
(旧東陽バスは1951年8月7日に設立)
本社 沖縄県南城市佐敷字新里545番地
保有台数 95台
運行路線
30番 泡瀬東線
31番 泡瀬西線
37番 那覇新開線
38番 志喜屋線
111番 高速バス
191番 城間線(一日橋経由)
391番 城間線(サンエーパルコシティ)
331番 急行バス(久茂地経由)
338番 斎場御獄線
メーカー 日野、いすゞ

沿革

1951年8月7日協同バスから分離し東陽バス株式会社として路線バス事業を開始。

1986年4月1日 与那原テック閉鎖。

1988年 与那原テック跡地に東陽ゴルフクラブ開業。

2001年12月27日 与那原町に保有していた、東陽ゴルフクラブを売却。

2002年9月、那覇地方裁判所に対し民事再生法の適用を申請して事実上倒産。

2012.5会社分割を実施し新東陽バスを設立。
旧東陽バスから路線、貸切バス事業を引き継ぐ。

2012.8 壺川本社を南城市佐敷に移転。

2024.1.19 東陽バス株式会社の全株式を沖縄バスが取得し同年4月よりグループ会社化された。

解説

沖縄のバス業界は2024.3まで那覇、琉球バス交通を傘下に収める第一交通産業、独立資本で運営している沖縄バス、東陽バスがありました。
しかし、東陽バス社長の高齢化や運転手不足等経営課題が山積している中でさらなる効率化と永続的に路線バスを運行できるようにと言うことで沖縄バスに全株式を譲渡することになりました。
これにより沖縄のバス業界は第一交通グループと沖縄バスグループの2大体制となる形です。

バス事業

東陽バスはもともと協同バスから分離する形て設立されました。自社単独区間が長い路線を運行しているのが特徴で運行範囲は本島南部南城市から中部沖縄市までと他社と比べるとかなり小規模なバス事業者です。倒産前は芭蕉布号の名前で空港リムジンバスも運行していました。
現在は空港リムジンバスと定期観光バスからは撤退し9路線と貸切バス事業のみとなっています。

車両が古いことで有名だった(過去の話)

馬天営業所でお休み中のバス

東陽バスと言えば昔は車両がボロいことで有名でした。今では写真のような丸型ライトでツーステップバスは南部の路線や予備車としてほとんど走ることはありませんが6年程前は普通にこのバスがバンバン走ってましたw

車両更新がかなり進みました。

今では上の写真のような現行型日野ブルーリボンが新車で大量に導入され沖縄のメインストリートである58号線を通る31番泡瀬西線は全てこのバスが走っています。他の路線も中古車で代替が進みほぼ全ての車両が車イス対応の低床バスに代替されました。
2015年までは中古車も買えないくらい経営が苦しい状態でしたが沖縄県から補助金が支給されたことで一気に車両の置き換えが進みました。県民の間では東陽バスの車両はボロいというイメージでしたがここ数年で見事に刷新されました。

昔は遊園地もやっていた

東陽バスは昔与那原テックという名前の遊園地を運営していました。ジェットコースターや観覧車など今の沖縄にはないアトラクションがあり多くの人で賑わっていたそうです。

沖縄バスグループへ

2024.4から沖縄バスグループへ

2024.1に東陽バス新入社長は自身の高齢化や後継者問題などから全株式を沖縄バスに売却する決断をしました。個人的には沖縄バスと東陽バスは那覇から沖縄市や南城市に行く路線で競合しているので将来的に合併するとは思っていましたがかなり早く決まりました。それだけバス事業が厳しいということでしょう。規制緩和や社会情勢も影響してバス事業はますます先行きが不透明になっていますが両社の強みを活かして県民の足を支えて欲しいと願うばかりです。

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