脱オタしたい喪女 前編

まず最初に一つ自己紹介すると私は喪女だ。

喪女とはネットスラングでモテない女のことを示す。
それに加えて私の場合は「デブ」「オタク」「三十代処女」というどうしようもない女である。

交際経験は全くない、物心付いてから今の今までオタク活動に一心に打ち込んできた。

そんな私が何故脱オタを志したのか、そんな私がこの経験からこのクソでかい主語で他の似たような女オタに何を伝えたいのか。それをこれから書いていこうと思う。


まず私は高校を卒業してすぐに専門学校に入った。具体的なトコロは伏せるがとりあえずとして難なく卒業はできた。

ただ不味かったのが私は就活に失敗した。
どこからも内定が取れなかったのだ。当時は平成不況の盛り(今解決しているかと言われれば怪しいが)リーマン・ショックの足音が聞こえていた時期だった。

俗に言う高学歴と呼ばれる人々でさえ内定をとるのに東奔西走しているのに私はそれらを真面目にやらなかった。

何故やらなかったか、はっきり言うと人生そのものを舐めていたからとしか言いようがない。
もしダメなら適当な男を捕まえて養ってもらおうとか考えていた。
結婚をセーフティネットだと思っていたのだ。


そこからは私はフリーターとして適当な派遣仕事やバイトをして日々の遊ぶ金を稼いでいた。幸いにも専門学校等で資格は何個か取っていたので雇用形態さえ拘らなければ仕事そのものに就くことは出来たのだ。

生活そのものに関しては当時実家暮らしでその辺りに困ったことはなかった。ちなみに自分の働いて得た金を実家に一銭も入れたことはない。

その時はネット黎明期(人によって思い浮かべる時期が違うので深くは問わないが)で2ちゃんねる、mixi、少し時を得てTwitter、ニコニコ動画などネットに行けばコンテンツに困ることはなかった。

家族に対する罪悪感は無かった。
ネットの喪女板では家族という概念そのものに対する嫌悪感に溢れておりその環境が心地よかった。

Twitterに行けば例えば「男(私の場合父親)が稼ぐのは当たり前!」や「女を対等に見れない男なんてwww」といった「男尊女卑マッチョイズムと男女平等主義のいいとこ取りをの言説を振り回している女オタ」がたくさんいた。
そして私はそれが普通だと思っていた。

都合のいい時に男女平等論を振りかざし、ち○ぽ騎士と呼ばれる男たちと共に男オタクを叩き、都合のいい時にマッチョイズム言説を振りかざし弱い男をシバき倒した。




さらに時が経ち私もアラサーと呼ばれる年になりふとこんな画像が出回ってきた。


有名な画像ではあると思うからあえて内容の解説はしない。

私が用いてたTwitterアカウントのタイムラインにこれが流れてきた。

最初見た時の感想としては「悪趣味だな」というのがあった。
いくらなんでも他人の趣味を露悪的に揶揄るのは違うんじゃないか。そう思っていた。
その程度しか思えなかったというのが正解か。

私の焦燥感をより荒ぶらせたのはこの画像に対するタイムラインの女オタたちの所感だったのだ。

彼女らはなんとこの画像を用いて男オタを叩き始めた。「自分を客観的に見れてない男オタキモいwww」などという風に、自分を棚に上げてこの画像、この理屈を用いて男オタを嘲笑しだす女オタが続出した。

私は何も言えなかった。

なんで?人ごと?私たちも同じ道を辿るかもしれないのに?

クエスチョンマークが頭の中を埋め尽くした。

紐解けば単純な話で男嫌いを拗らせた彼女らがそれらの感情を先行させただけだった。

ただその当時はそのロジックが理解出来なかった。私にとっては彼女らは同じ趣味を持ち同じカップリングを愛し、地雷を踏まぬように互いに気を遣い合う仲間だ。
反論や批判しようなんて気も起きずただただ突っ立っていた(ネットのやりとりでこの表現を使うのもアレだが)。

それからというのも彼女らの支持する言説にどうもマッチ出来ずにオタ活仲間という関係だけ続けていた。

人に愛される努力はするくせして何故人を愛する努力をしない?

自分の努力を認めて欲しいくせして何故人の努力を認めない?

自分の苦しみを認めて欲しいのに何故人の苦しみを認めない?

人に愛される努力すら投げ出したくせして何故自分を認めてもらいたがる?

言い出したらキリがないがこんな疑問が彼女たちから思い浮かんだ。

本来なら男女関係無い話のはずなのだが何故か彼女らはこの手の説教話を人(主に男オタ)にはしたがる。


そんなこんなで私はもう彼女たちについて行けなくなった。三十路を目の前にして今度はキラキラしたセレブリティな思想(海外セレブの年齢は関係ない!みたいな、厳密に言うと個人主義か)に彼女らは手を出し始めた。
何歳になっても趣味を追う為だろう。

そんなこんなで私はオタ活から一旦フェードアウトすることにした………


だがその時の私はまだ知る由もなかった。

人に、社会に対して時間や金を使わなかった女に誰が向き合ってくれるか。

自分だけにしかリソースを使わない人間に誰が向き合ってくれるか。

これから私はそれらを身をもって知ることとなるのだ。

追記

思いの外反応をいただいて何よりである。
ここで一つ注意点、というか留意してほしい事を追記しておく。

一応主語を雑に「女オタ」と言ったり、ジェンダーといった非常に荒れやすい要素に触れたり、挙句私の文章を書く力が拙いというのもあるので結局何を言いたいか、というと

「その時その時を楽しむだけの理屈をこねだして自分だけにリソース使ってるとヤバイぞ」

という事だ。後編をもし読む際もこの辺りを留意していただけると有難い。