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【関西ハイキング】岡山城(烏城) 🌾動画あり

日本100名城のひとつ。漆黒の天守閣が見事❗️
2022年11月3日に令和の大改修を終えリニューアルオープンしています。

豊臣秀吉の家臣で豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した城。めずらしい不等辺五角形をした三層六階建ての天守閣は威厳のある佇まいで、黒い下見板張りの外観から、別名「烏城(うじょう)」と呼ばれています。最上階からは眼下に旭川を望み、岡山後楽園とと市街地を360度見渡せました。

場所:岡山県岡山市北区丸の内2-3-1

岡山城の歴史

今の岡山城付近には旭川の流域に岡山、石山、天神山という3つの丘がありました。その石山にあった城を手に入れて本拠地とし、岡山の地を戦国の表舞台に立たせたのは宇喜多直家でした。その子の秀家は、岡山の丘に本丸を定め、今に残る岡山城を築きました(1597年天守完成)。

天守閣

岡山城の天守は、外壁が黒塗りの下見板で覆われていて、烏城(うじょう=「う」はカラスの意味)の別名があります。また、発掘によると、宇喜多秀家時代の金箔瓦が出土しており、築城時には、城内の主要な建物の随所に金箔瓦が用いられ、豊臣政権下の有力大名である威厳を示していたことでしょう。これにより金烏城とも呼ばれます。

歴代城主

創築から廃藩置県まで岡山城主は14代にわたります。
創築者
宇喜多 直家(うきた・なおいえ)1529~1582
今の岡山の地に進出した戦国武将で、岡山城の前身となる石山の城を築いた。

初代城主
宇喜多 秀家(うきた・ひでいえ)1572~1655
父直家の代から岡山を治めた戦国大名。石山の城の隣の丘「岡山」に天守を持つ新たな城を築き、城下町づくりを行った。天下を統一した豊臣秀吉の時代に有力大名となる。日本史上最も有名な戦である「関ケ原合戦」では、西軍の主力となって戦ったが、破れ、その後、八丈島に流刑となり、同地で約50年暮らした。

2代城主
小早川 秀秋(こばやかわ・ひであき)1582~1602
豊臣秀吉の甥として生まれ、「関ケ原合戦」では、勝敗の重要な鍵を握った。「関ケ原合戦」後、岡山城に入場し、改築に取り組んだが、岡山に来て2年足らずで、21歳の若さで亡くなった。

6代城主
池田 綱政(いけだ・つなまさ)1638~1714
新田開発や治水事業に取り組む。文化にも明るく、岡山城に隣接する日本三名園の一つ「岡山後楽園」を造営した。

見どころ

月見櫓(つきみやぐら)
本丸の裏・北西方向を守る櫓。1620年代に池田忠雄が築いた実物で、国の重要文化財に指定されています。城外側からみると二階建ですが、城内側からみると三階建で、一番下の階は土蔵となっています。
城外側には、鉄板で覆われ下部に石落のある出窓があって、敵を監視、迎撃するための軍備を高めています。城内側では最上階に高欄と廻縁(手すりと縁側)があり、天井板も張られて、月見櫓の名のとおり風格を高めた造りです。
月見櫓につながる北と西の石垣の最上段には、内側から鉄砲で狙い撃ちするためのすき間がくりぬかれた銃眼石があり、櫓と一体で軍備を高めていました。

廊下門と渡り廊下(ろうかもん と わたりろうか)
本丸の搦め手(裏手)にある櫓門で、門の上に敵を迎え撃つ上屋がありました。上屋は本段(城主の住居)と中の段(政治の場)を結ぶ城主専用の廊下としても使用されており、廊下門と呼ばれていました。1966年に再建されました。

不明門(あかずのもん)
本段に上がる入口として防備を高めた大型の城門です。本段には藩主が暮らす御殿(江戸城でいう大奥)があり、限られた人しか入れませんでした。よってこの門は普段閉ざされ、それが名の起こりとなりました。江戸時代、藩主の移動は天守近くにあった渡り廊下で行われたといいます。この門は明治時代に取り壊されましたが、1966年に外観が再現されました。

天守台の形がわかる石垣
天守台は、宇喜多秀家が1597年までに築いた高さ14.9mの石垣です。自然の石を用い、平面が不等辺五角形をしているのが特徴です。この場所は、元々あった岡山という名の丘の端にあたり、石垣はその堅い崖面に支えられています。
塩蔵下の石垣は、せり出してきた元の高石垣を補強する目的で江戸時代の1688~1703年に築かれました。丁寧に面を整えた石を横に積み、最上段の石は角を丸く加工しているのが特徴です。

天守閣内

6階「“烏城” 岡山城の魅力 最上階の姿」
古写真から華頭窓(内部のみ) や、壁の唐紙の再現を試みるなど、戦災で焼失する前の姿に迫ろうとしています。一方で、現在の最上階は、耐震構造にするため、4隅の柱や階段上の脇階段などが設置されています。

5階「今につながる城下町」
岡山のまちの歴史は、戦国武将・宇喜多直家が、岡山城の前身となる石山の城を手に入れたことから始まります。本格的な城下町づくりは、直家の子の宇喜多秀家が行いました。その後、小早川秀秋、池田家と歴代城主が城下町を整備し、現在の岡山のまちへとつながっていることを紹介します。

4階「戦国の表舞台へ ~宇喜多直家と秀家~」
宇喜多直家により岡山のまちは始まり、その子・秀家により、今につながる岡山城が築かれました。ここでは、宇喜多直家と秀家親子、そして天下統一を果たす豊臣秀吉の3人の関係を軸に、岡山のまちが歴史の表舞台に登場し、発展した経緯を紹介しています。

3階「それぞれの関ケ原」
関ケ原の戦いは、日本史上最も有名な戦いのひとつです。この戦いで岡山城ゆかりの3 武将の運命が大きく変わります。ここでは、関ケ原の戦いを軸に、宇喜多秀家、小早川秀秋、池田輝政の3人の生涯を紹介しています。

2階「池田光政と綱政 ~江戸時代の岡山~」
自ら先頭に立って政治改革を行い、人づくり、まちづくりを極めようとした池田光政。後楽園をつくり、干拓で大地を拡げた池田綱政。そして、2 人の後を継ぎ、岡山を治めた池田家歴代の当主たち。ここでは、今の岡山につながる、まちの礎がいかにして築かれたのかを貴重な歴史資料とともに紹介しています。

1階「体験・記念撮影コーナー 体感 戦国絵巻」
戦国・江戸時代をテーマとした様々な体験・体感ができます。

地下1階「“烏城” 岡山城の魅力 よみがえる岡山城本丸」
岡山城は、豊臣秀吉の身内となって躍進した戦国大名・宇喜多秀家によって築かれました。黒の外観や金箔瓦、不等辺五角形の天守台が特徴です。
ここでは、現在も親しまれている岡山城の歴史や特徴、見どころなどを紹介しています。

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