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ショートストーリー 02_我気多クシテ君女神也

転勤してそろそろ2か月になろうとしていた。
思えばあの日、人事部長に呼び出され転勤の打診を受けた。妻にはこの後すぐにLINEでメッセージを送信したが、既読がつくまでもなく、メッセージをもらうまでもなく、この後家族がどうなるのかは明らかだった。

片田舎への単身赴任。ようやく今の生活慣れてきたところだ。
これまで、東京を離れたことなど一度もなかった私にとって、この田舎暮らしは何もかもが新鮮で、いや、新鮮過ぎて「本当にここは同じ国にあるのだろうか。」と錯覚するほどだった。
一番驚いたのが通勤電車だ。
どうせ独りなのだから、わざわざ職場から離れたところに居を構える必要はない。しかし、あまりに近いと、部屋と職場の往復だけで1日が終わってしまうような、そんな気がした。だから職場から少し離れた、電車を利用しないと通勤できないところに部屋を借りることにした。

今日も電車に乗る。最寄駅のホームでぼんやりといつもの電車を待つ。
そう言えば、最近、ようやく時刻表を確認するくせがついてきた。東京に居た頃には絶対になかったことだ。なにしろ通勤時間帯でも1時間に2本。よほどタイミングを合わせないと、30分近く待たされることもある。朝だと完全に遅刻である。だから、しっかりと時刻表を確認し、そして、少し余裕を持って最寄駅に向かうことにしている。
二両編成の電車がホームに入ってきた。しかし、ほとんど混雑していない。運が良ければ座先に座ることもできる。座れなくても、次の駅で多くの乗客が降りていくので確実に座ることができる。
東京の通勤電車のあの混雑こそを混雑と言うのであれば、この電車はガラガラだ。

今日は座席を確保することができた。たとえ一駅分であっても読書する時間が長くなるのはありがたい。これも東京に居た頃はできなかったことだ。
しかし、実のところ、あまり集中して読書はしていない。ガラガラなので、車内の様々な状況が目に入り、それを、楽しんでいるからだ。
ガラガラではあるが、ある程度の乗客は居るという状況。ちょうど良い面白さなのである。

そこで気がついた。「俺、女性ばかり見てるな。」

そう。あの娘がかわいいだの、あの娘のファッションが素敵だの、私は車内の女性を見ては、いろいろと見解を述べている。もちろん頭の中で。

私が乗るときにはすでに車内に居るOLだと思わしき女性。この人は本当に格好いい。いつ見ても格好いい。170cmくらいはあるだろうか。それに加えて、少し高めのヒールを履いている。圧巻である。彼女は絶対に座らない。目の前の座席が空いていても絶対に座らない。理由はわからない。しかし、私は、ずっとそのままで居て欲しいと思っている。立っている彼女が一番綺麗だと思っているからだ。

次の駅で乗ってくる女子高生がいる。小柄でかわいらしい。二つに結んだ髪が、女子高生らしさを際立たせている。こう言っては申し訳ないが、こんな田舎にも、これだけかわいい女の子が居るんだな。そう思った。
「あぁ、あれだ、あの子。アイドルの、えぇと。あの子に似てるな。」とは思ったが、さっぱり名前が出てこない。そんなことを言ってる時点で、どうせ話しは合わないだろう。いや、話す機会など一生ないだろう。

どの女性を見ても素敵に見える。「惚れっぽいな。」我ながら呆れる。

そして、もう一人。私が降りる駅のひとつ前の駅から乗ってくる女性。見たところ30代後半から40代前半といったところか。優しそうな面持ちではあるが、いたって普通。だから「もう一人」とは言ったが、実は、何も気にはしていなかった。

ある休日明けの月曜日。いつものように電車に乗り座席を確保した。この休日は久し振りに我が家に戻るために往復したからか、疲れが取れていない。不覚にも居眠りをしてしまった。完全に深い眠りに入っていたとき、誰かが肩を叩く。
「あ!降ります。」
叫んだところで運転士には聞こえないが、思わず叫んでいた。降りる駅だった。ドアに向かって走った。
「誰が起こしてくれたんだ?」
そう思いながら振り向くと、優しそうな面持ちの彼女が笑顔でこっちを見ていた。私は軽く会釈をして職場へ急いだ。

それから数日後。雨の日だった。ベンチシートの端に座った私は、傘の柄の部分をシートの端の棒にかけていた。
そのときに何度自分に言い聞かせても忘れそうになるのが電車内の傘。今回もご多分に漏れずである。
席を立ち、ドアのほうに向かう私の背中を誰かが叩く。彼女だ。
「傘、お忘れですよ。」
「あ、どうも。ありがとうございました。」
そう言うと、彼女は、あのときと同じ笑顔を見せてくれた。

その後も、彼女に助けられたことがあった。今度はスマホだ。
かばんから財布を取り出そうとするも見当たらない。一度出すものを出そうと、かばんから取り出したものをいろいろと座席に置いた後、スマホだけ置き忘れていたのに気がついていなかった。
電車が駅に着いたとき、いつもと同じように席を立ち、ドアのほうに向かう私に向かって彼女が呼びかける。
「スマホ、お忘れですよ。」
「あ、どうも。ありがとうございました。」
「もぅ。気をつけてくださいね。」
そう付け加えた彼女の表情は眩しすぎる後光でほとんど見えなかったが、おそらく、これまでで一番の笑顔だったことは容易に想像できた。

なんだ。結局のところ、優しくされると、もうどうにもならないのである。

※このショートストーリーはフィクションです。

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