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舞台の「熱」を創り出す人たち

こんばんは。

今日の夕方、ある若手俳優さんの訃報があらゆるメディアで報じられました。

近年、私も注目していた俳優さんでした。

私はテレビや映画よりも、生のお芝居が好きです。

地方にいる身では、最近彼がとても評価されている「舞台でのお芝居」を観に行くことはできませんでしたが、役の幅をどんどんと広げていて、いつか、近い将来に彼の舞台での表現を観に行こうと、楽しみにしていました。

彼が紀行番組で見せる誠実で、飾り気のない素直そうな話しぶりも心地よく、「純粋な人なのだろうな」と微笑ましく観ていました。

そんな彼が亡くなりました。

あの屈託のない笑顔の裏に、どんな苦しみを抱えていたのか。

それほどの苦しみを抱えてすら笑顔でいなければならない「俳優」、そして芸能界という特殊な世界に身を置く人々の過酷さはいかばかりか。

人々に夢を与える素晴らしいお仕事でもあるのに、時としてこのように亡くなっていく人が、なぜいなければならないのか。

ただただ残念でなりません。

ご冥福を心からお祈りしています。

彼がこれまで見せてくれた素晴らしい作品に敬意を表して。

今日は、私が普段舞台を観る上で感じている俳優さんたちの「熱」について、思うことを、ほんの少しだけ語りたいと思います。

とりとめのない話になってしまうことは、どうぞお許しください。

※トップ画像・・・by Selling of my photos with StockAgencies is not permitted.

(※一部、ネタバレを含みます)

私は、どちらかというと、あまり舞台装置のない、俳優さんのマイムが存分に生かされている舞台が好きです。

そのことに気づいたきっかけ、そもそも演劇の舞台に「はまる」きっかけをくれたのは、ある古典劇の舞台でした。

私の地元には、演劇界では全国的にも名の知れた劇作家で演出家の方がいらっしゃるのですが、その方が演出・脚色を手掛けた舞台の一つ、フランス古典の傑作「シラノ・ド・ベルジュラック」です。

原作自体は市村正親さんが主演の公演などもありましたので、観劇されたことのある方もいらっしゃるかもしれません。まだご覧になったことのない方のために、以下、あらすじを。

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本作は17世紀のフランスを舞台に、容姿には恵まれなかったものの音楽や詩作に優れ、類まれなる美声の持ち主なおかつ剣豪でもあった「シラノ・ド・ベルジュラック」が主人公。

彼には最愛の従妹・ロクサーヌがいましたが、ロクサーヌの心はシラノの友人で美男子のクリスチャンに向けられていました。

クリスチャンもまたロクサーヌに恋をしていましたが、シラノと正反対で、顔は良いけれど文章を書くことや気の利いたおしゃべりが大の苦手。

ロクサーヌの幸せを願うシラノは、クリスチャンの代わりにロクサーヌへと贈る詩や手紙の代筆、2人が会っているときの愛の告白の代弁を買って出ます。

そして2人は結婚します。

クリスチャンはある出来事で若くして亡くなり、ロクサーヌは尼僧院へ入ります。シラノは毎週のようにロクサーヌを慰めに通います。

その後、15年が経っても自らの思いを決して語ることのなかったシラノは、ある日、ロクサーヌのもとへ通っている途中に彼の敵対者に襲われ、瀕死の重傷を負います。それを隠してロクサーヌのもとへたどり着き、請われるままに、これまでクリスチャンから届いた手紙(もちろん、シラノの書いたもの)を朗読します。

その瞬間、ロクサーヌは自らが焦がれた手紙や詩を書いたのが誰なのか、そして愛の告白をしてくれたのは、本当は誰なのかを悟ります。

やがてシラノはロクサーヌの腕の中で息絶えます。

死の間際まで、心から愛した人への思いと友との友情を貫いて―。

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当時、県立の劇場が世界の古典劇を広く知ってもらおうと年に一度実施されていたシリーズで、その演出家の方が、毎回新解釈で仕上げる古典が評判になっていました。

それまでは現代劇にあまり興味がなかった(能狂言や歌舞伎はよく観劇していましたが)私は、たまたま知人からチケットを買ったご縁で、本格的な「演劇」を、その時初めて観たのです。

(著作権の問題もあるかと思いますので、詳細は触れません)

舞台装置はほとんどなく、いくつかのオブジェが暗い舞台に浮いていました。その中を行き交いながら、恋しい人への思いを入れ替わり立ち替わり語り上げる役者たち。

時としてそこは愛を告白するバルコニーになり、そして若者の悩みを相談する薄暗い小部屋になりました。

時には戦場となり、時には静寂と清らかさに包まれた尼僧院になりました。

木切れや岩ややぐらなどに、役者のエネルギーに満ちた台詞とパントマイムで生命を吹き込み、眼前に17世紀のフランスを、夢とも現ともつかぬ時のはざまを生み出します。

もちろん演出の妙もあったのだと思いますが、それを見事に体現する役者の見事さに、私はすっかりこころを奪われていました。

「生きること」そのものが、その舞台に詰まっていました。


それから、私は演劇の舞台によく足を運ぶようになりました。

自分自身は音楽をやっていて歌い手であるのですが、自分の「歌い方」ひいては「届け方」の中で大事にしている根っこの部分。

この世のあらゆる「生命」の尊さ。

人であれ、人以外の生き物であれ、植物であれ。大地そのものであれ。

それを伝えたいという思いと響き合うものがあったからかもしれません。


舞台や美術を観るたびに、ライブやコンサートに足を運ぶたびに、それを生みだす人々が「伝えたいこと」を「届ける」ために惜しみなく捧げている才能や陰でのたゆまぬ努力を思わずにいられません。

その中の一人である、若い俳優さんの大切な命が失われてしまったこと。

重ねての言葉になってしまいますが、本当に残念でなりません。

願わくば、心安らかに。

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