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仏像と私~出会い編②~

イケメン仏像に沸いた世間の「仏ガール」ブームとは距離を置き、1人山奥の寺などをさすらいながら「ぼっち仏めぐり」に勤しんできた私、kankan♭。

前回から、ようやくプロフィールにふさわしい(?)仏像トークを披露しております…。

第2回は「出会い編②」として、高校生、大学生時代の仏像に関する思い出を振り返っていきます。(トップの画像は acsunifu23さんによる写真ACからの写真です)

1、仏像に会いたい!募る思い~興味を持つに至った思い出・高校生編
2、ついに決行!初の仏旅~興味を持つに至った思い出・大学生編

1、仏像に会いたい!募る思い~興味を持つに至った思い出・高校生編

さて、当時は山田寺本尊仏頭(現在は奈良・興福寺所蔵の「銅造仏頭」)という破損仏を知り、仏像のとりこになっていった私。ますます「本物の仏像を一目…」と思い募らせるようになりました。

が、しかし。大学進学を目指していたため、県下で一応トップクラスの進学校に入学した私を待ち受けていたのは、勉強、勉強また勉強の日々でした。進学校はどこもそうだと思いますが、私の母校もまた「文武両道」を方針の一つに掲げていたので、部活動は推奨されていました。欲張りな私は、文化部にも運動部にも所属していたため、仏像に思いを馳せる時間はぐっと減ってしまっていました。

そんな中で、唯一の楽しみといえば、日本史の副教材の一つにあった「日本史図録」(正式な名前は忘れてしまいました…)。歴史史料の写真屋グラフなどがおさめられたフルカラー版です!

余談ですが、高校一年の時の日本史の先生はとても指導の上手な先生でした。いつも自作のプリントを用意してオリジナルの授業を展開していましたが、かなりマニアックな内容の授業ばかり。何につけてもそのジャンルの奥深く潜りたがる私にとっては最高の時間でした!この先生のおかげで日本史がもっと好きになりました。成績も上がり、正直、日本史だけで大学に受かったようなもんです…感謝!(あとは国語。そのほかはからっきしでした…)

この図録、何が一番うれしかったかというと、言わずもがなでしょうが、仏像の写真が結構掲載されていたんです!

覚えているだけでも、「広隆寺・弥勒菩薩(思惟半跏像)」「聖林寺・十一面観音像」「法隆寺夢殿・救世観音像」「平等院鳳凰堂・阿弥陀如来坐像」「三十三間堂の千手観音座像、千体千手観音立像」などなど。もちろん有名どころばかりですが、仏像史料の乏しい県に住んでいる私にとっては仏像を眺められる数少ない資料です。

「早く大学に合格して、京都や奈良に思う存分仏像観に行ってやる!!」と野望を胸に秘め、厳しくつらい受験勉強をやり過ごしました。

ちなみに、またまた余談。まだ海外に修学旅行に行く学校なんて地方ではほとんどなかった時代ですので、母校の修学旅行は「北海道スキー地獄の合宿コース」「長野ちょっぴりスキー体験&東京散策コース」「京都・奈良 古都の旅&東京散策コース」からの選択。こんな話を書いているくらいですから、ここは「京都・奈良&東京」コースを選んだ…と皆さんお思いでしょう!ですが、私が選んだのは「北海道」。いやいや、仏への情熱が薄れたわけではありません!単に「スキーをする機会がほとんどない南国に生まれたため、スキーをちょっとでも上手になりたかった」のと、「東京への憧れが全くなかったため、そこに時間をかけるのがもったいなかった」と。まあそんなところです…。

ともあれ、諸々…いわゆるセンター試験の失敗(ううっ)で第一志望の大学を受験することはできませんでしたが、無事に大学には合格。県外で1人暮らしと相成りました。仏旅敢行のスタート地点にようやくたどり着いたわけです。


2、ついに決行!初の仏旅~興味を持つに至った思い出・大学生編

大学生になりました。

旅行行き放題。何しろ一人暮らしですから。自由な時間はいっぱいあります。

しかし私は、1、2年生で卒業に必要な単位数を全部取っちゃおう!遊ぶならそれからだ!と考えました。真面目でしょ(笑)。

サークルには入ったものの、ほとんど幽霊状態。朝から夕方まで基本はみっちり講義を入れ、夕方から夜、土日はほとんどバイト。おかげで、しっかり2年間で必要単位数を取得できました。夏休みに実家に帰っても、短期バイトでスケジュールを埋め尽くしたので、旅行に行く資金はしっかり確保しました。

3年生になった秋。さあいよいよ、憧れの「仏像まみれの旅」へ出発。帰郷のため途中まで道連れになった友人と別れ、初めての「仏旅」には、王道ですが京都を選びました。最初の旅の目的地は「高雄山・神護寺」です!

なぜ神護寺なのか。若い女子が選ぶには若干シブい感じもしますかね…。というのも、仏像に思いを寄せるなら、やはり外せないのは真言密教の存在。仏像紹介のときにもお話ししましたが、特に「天部」の仏像は、真言密教特有の仏です。

そんなこともあって興味の初めから密教、天台宗と真言宗に関心を寄せていた私は、伝教大師・最澄、そして弘法大師・空海を中興の祖とする神護寺へ、どうしても最初に行きたかったんですね。

そうして、やって来ました!神護寺。ここには「国宝・薬師如来立像」があります!もう一つお目当てにしたいのは多宝塔に安置されている「五大虚空蔵菩薩像」ですが、こちらは秘仏として年2回(春:5月13~15日、秋:体育の日を含む土日月)のみの御開帳です。この時は残念ながら秋の公開期間ではありませんでした(うまくスケジュールが合わなかったのです…)。

さてさて、神護寺拝観です。お寺って「山」と号がつくように、わりかし結構な山道・坂道・階段を上らないとたどり着かないところが多いのですよ。ご存じでした??当時の私は周りの環境はあまり下調べをせず(交通機関はしっかり調べていましたが)、とにかく仏像観たい!と前のめりになっていたので、これは盲点でした。神護寺は約400段の階段を上るのですが、予想していなかっただけに、この時はやけに境内が遠く感じらました。

神護寺は、周囲にある「槇尾山・西明寺」「栂尾山・高山寺」と合わせて「三尾めぐり」という観光コースにもなっており、紅葉の名所としても知られています。私が訪ねたこの時は紅葉にはまだ早かったのですが、観光バスは結構来ていましたね。

神護寺の通常拝観料は600円(多宝塔特別拝観は別途必要です)。ドキドキしながら、「薬師如来立像」とのご対面です。

薬師如来とは、正式名を「薬師瑠璃光如来」といいます。浄土の中でも東方浄瑠璃世界を治める仏様です。菩薩として修行中に「病気の人を治し、災いをなくし、人々の衣食住を満たす」という十二の誓願を立て、それを達成して如来になりました。多くは日光・月光の両菩薩を脇侍として従え、「薬師三尊」として表現されます。

薬師如来立像を中心とした薬師三尊が安置されているのは金堂。やや薄暗い堂内に、その姿が神秘的に浮かび上がっています。

薬師如来立像は平安時代初期の作で榧(かや)の一木造り。像高は170.6㎝です。平安時代堂々として肉感的なのがこの仏様の特徴の一つ。拝観時にはあまり近くに寄れないのでわかりにくいのですが、きゅっと引き結んだ口元に鋭い眼差しが印象的です。

祈りの形として悠久の歴史を経てきた仏像。その存在の重みが十分に伝わる、傑作の一つだと思います。

写真は掲載できないので、公式サイトからそのお姿をご覧ください!

その深い眼差しを見てみたい!という方は、かの偉大なる写真家・土門拳さんが撮影された一枚が私のおススメです。ぜひ探してみてくださいね。

目を凝らして一心に眺めていましたが、大学とバイトの合間を縫っての弾丸ツアーだったので、そうゆっくりもしていられません。

30分ほど薬師様と日光・月光菩薩を堪能すると、タイムアップ。神護寺では有名な「かわらけ投げ」という願掛け体験もできるのですが、ぼっち旅ということも手伝って挑戦はせず。

しかし、目当ての一つだったご朱印帳と神護寺のご朱印は何とかゲット。弘法大師ゆかりの地でご朱印帳を買う!と中学生ごろから決めていたので、感激もひとしおでした。

ご朱印ブームはまだ先のこと。このころはまだ「ご朱印」は八十八カ所巡りなどの巡礼をされている方か、よほど信仰の深い方しかまだご朱印集めなんてやっていなかった時代です。ですので、若い女子が「ご朱印ください」なんて事務所を訪ねていくと、大概不思議そうな目で見られていました(笑)。

そんなこんなで、私の初めての「仏旅」は、忙しい行程ではありましたが、目的達成!ということで終わりました。

最後の余談ですが、「三尾」の「高山寺」は、有名な国宝「鳥獣人物戯画」があります。せっかく三尾に行ったので、もちろん高山寺にも寄りました。…なんですが、私はそちらには当時はあまり興味がなく、同じく国宝の「仏眼仏母像」ばかりに気を取られていて、どんなものだったか記憶が薄いというのが正直なところ。


だいぶ長くなってしまいました…。

社会人編は、また次回と致します!

読んでくださった方、ありがとうございます!ではまた~!

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