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仏像と私~出会い編③~

出会い編、③となりました。2回で終わるはずが、いざ思い出を振り返るとなると後から後から湧いてくるものですね。

大学生となり、念願の初「仏旅」を決行。仏像の持つ存在感に圧倒され、さらにのめり込んでいきます。

社会人編です!(いえいえ、もちろん今だって社会人です。初期のころが中心です(笑))

※トップの画像は「スーパーパパ」さんによる写真ACからの写真です

1、仏像の新たな形を知る~興味を持つに至った思い出・社会人前編

1、仏像の新たな形を知る~興味を持つに至った思い出・社会人前編

社会人になりました。

朝から晩まで、長い時には一日20時間近く働く仕事に就きました。休日もほとんどありませんでした。こんな書き方をすると随分悲惨な仕事だったのかと思われるかもしれませんが、とても好きな、やりがいのある仕事だったので苦ではなかったですね。

唯一残念なのは、もちろん仏像を眺める時間が減ったことです。

パソコンの壁紙を仏像で埋め尽くしたり、仏像グッズを通販で買ったり。そんなことで自分を慰めていました…。

しかし、「仏像」への野望は捨てていませんでしたから、暑さも和らぐ晩秋を目途に、計画を進めていました。

そして、運よく忙しい時期に当たらず、11月中旬に「仏旅」に行けることに!

月日は流れ(というほどの時間は経っていませんが(笑))。やって来ました、再びの京都駅。

私が住んでいる県からは、飛行機で伊丹空港を経由し、さらに空港リムジンバスを利用するのが時間的には節約コース。

これまた初めて利用するコースだったので(前回は大学のある県から電車での仏旅でした)、京都駅八条口から烏丸口への移動に若干とまどいつつ、久しぶりに吸った京都の空気に、もはやご満悦な私。

いやいや、今回は1泊2日で、またもや弾丸ツアー。ぼんやりしている暇はありませんよ!

社会人になっての初めての仏旅は、京都のほかに、奈良にも足を延ばすと決めていました。小学生のころ、私に仏像や仏教の世界に導いた聖徳太子。その縁の地ですから。しかし、法隆寺がある斑鳩町は、ちょっと足を延ばしただけでは回りきれない様子。初奈良探訪はまだ土地が不案内なので、奈良市内にある寺院から攻めることにしました。

午後になる少し前に京都市内に到着はしましたが、拝観時間は限られているので、ホテルのフロントに荷物を預け、早速飛び出しました。

今回の京都でのお目当ては、体内から布(絹)でできた五臓六腑が発見されるなどの由来で「生身の仏像」としても知られる釈迦如来像を本尊とする「清凉寺」と、本尊に釈迦如来、阿弥陀如来の二尊を祀る紅葉の名所「二尊院」です。

まずは「清凉寺」へ。清凉寺は紅葉の名所で名高い嵐山・嵯峨野方面の端っこにあります。別名:嵯峨釈迦堂。利用しやすいのは京都市バスの一日乗車券(大人600円。当時は500円でした。かなり便利です!ちなみに子どもは半額)。有効期限は一日ですが、市バス区間内なら乗り放題。さすが観光都市・京都。この京都市バスに乗って「嵯峨釈迦堂前」で下りると目の前です。

「清凉寺」のご本尊は、拝観できる時期が決まっています。毎月8日の午前11時以降と、4、5、10、11月のみです。幸いにも訪ねた時期は11月だったので、チャンスをものにできました!

さて、本尊・釈迦如来立像は本堂(釈迦堂)に安置されています。

この像は、東大寺の僧であった奝然(ちょうねん)という人が、日本に持ち帰ったものと伝来しています。982年に中国に渡り仏教寺院を巡礼した奝然は、途中、インドから中国に渡ってきた釈迦37歳の姿を写したと伝えられる像「優填王思慕像(うでんおうしぼぞう)」に出会います。あまりの素晴らしい姿に心奪われた奝然は、地元の仏師にその像を模した像を作らせ、日本に持ち帰ったのです(一説には本物のすり替えて持ち帰ったという話も)。※お話はかなり省略しています

安置されていたお堂は、やはり人工の明かりを極力使わない、薄暗い感じだったと記憶しています。

この釈迦如来像は、インドから渡ってきたものらしく、とてもエキゾチックな風貌です。ガンダーラ地方あたりの仏像を創造していただけると近いかなと思います。すっと長く引かれた眉に同じく切れ長の瞳。鼻筋は高く通り、口元は薄く引き結ばれている。像高は162㎝。ところどころ黒光りする肌面が渡来の苦労と歴史を物語るようです。

背中に蓋状の部分があり、中に絹製の五臓六腑などが入っていたとのことです。三国をはるばる渡ってきたこの像は、「日本三大如来像」としても多くの人に敬われています。清凉寺の釈迦如来様、気になった方はこちらの公式ホームページよりご覧下さいね。五臓六腑など、体内より発見されたものも見ることができます。一見の価値あり!です。


実は私は、鎌倉時代あたりの筋肉粒々、より人に近い風貌の仏様よりも、インドをルーツとしたもの、また飛鳥・白鳳時代の異国情緒が残る仏様の方が好きなのです。この仏様にもかなり目を奪われました。

またこちらのお寺は、かの光源氏のモデル?と言われている源融の山荘「棲霞観」があった場所に建てられていますが、この源融がモデルと伝わる国宝「阿弥陀三尊」(霊宝館にあります。公開期間は4、5、10、11月です。拝観料別途)もぜひどうぞ。源融をモデルにしたというのも頷ける、美しいご尊顔の仏様です。


さて、続いては「二尊院」。

清凉寺からは約500mぐらいの距離なので、徒歩で向かいます。

「清凉寺」も「二尊院」も有名どころとはちょっと外れているので、観光シーズンとはいえ、人がごった返していないのが嬉しいのです。

特に「二尊院」は本堂に向かう参道でも2組ほどとすれ違ったくらいだったと思います。総門を入り、本堂へと続くのが静寂の中にもみじの枝が左右から屋根を成す参道「紅葉の馬場」。散策するだけで心を穏やかにしてくれたのを覚えています。

こちらに祀られているのは、その名の通り「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二尊です。よく「双子のよう」と例えられていますが、本堂に並び立つ二尊像は本当にそっくりです。向かって左が阿弥陀如来像、右が釈迦如来像。阿弥陀は釈迦の先生であったということですが、この世から極楽往生を目指す人を送り出すのがお釈迦様、極楽で迎えてくださるのが阿弥陀様なのだそうです。

像高は78.8㎝と小さめですが、すっきりとした細身の体躯は優美さが際立ち、いくら見ていても飽きない二尊。写真ブックで見て以来、どうしても見たかった美仏です。柔らかな表情は、日々の疲れをすっと癒してくれました。

お姿が気になる方、公式ホームページをどうぞ!


またまた長文に(汗)…。後編に続きます。初奈良探訪です。

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