見出し画像

クリスマス

クリスマス

仏教徒の私にとって
キリストの誕生日を祝うって
正直なところナンセンス
と思いつつ、
世界中が盛り上がっているから
とりあえずお祝いの挨拶と
家族へのプレゼントくらいは
しておこうかな
と言う感覚です。

キリスト教国のイタリアでも
単にお祭り騒ぎが好きな人
家族で集まるいい言い訳にしてる人
友人同僚に感謝をプレゼントで示す人
いろんなアプローチがあります。

10年前は合唱団の指揮をしていて
クリスマスのメサも
合唱指揮者として参加していました。
指揮を辞めてから
すっかり教会から遠のいていました。

今年は新居で初めてのクリスマス。
コロナ禍ロックダウンのため
どこにも行けず
クリスマスコンサートの仕事も皆無。

お料理もあえて好きではないので
お肉と野菜でワンプレートとか、
質素な食卓。
あとは掃除したり
洗濯したり
近所を散歩したり。

不思議な感覚のクリスマス。

夜中のミサは午後6時に行われます。
ちょっと顔出そっか?
といそいそ出かけて行きました。

キリストが生まれたこの日。
(本当にこの日だったかどうかは
定かではないけれど)
ここ世界を救うために遣わされた
キリストが生まれたこの日。
貧しい人
病める人
道を踏み外す人
全ての人に光を与えて救うために
生きとし生けるもの全てを愛した
キリストが生まれたこの日。

誰もがいつもより少しだけでも
人に優しくなれる日。

輪廻を信じる私。
偉大な存在も
時に人の姿を借りて地上に降りて
私たちに気づきを与えてくれると
時々感じることがあります。

ふとした時に
優しい言葉をかけてくれる人
気づきを与えてくれる人
天の遣いだなと思う人がいます。

偉大な存在が降りてくる時
物乞いだったり
障害のある人だったり
病に臥していたり
あるいは亡くなってしまったり
私たちに優しくなる機会を与える為に
そっとさりげなく現れます。
見て見ぬふりをして
嫌な気分になったり、
全く気がつかない事もあります。
これからは意識して
現れてくれてありがとう
と言う気持ちで接したい。

霊氣の臼井氏の言葉
今日だけは
怒るな
心配するな
感謝して
業に励め
人に親切に

宗教を超えて生きる指針だなと
教会でクリスマスミサ中に
ふと思いました。

クリスマスだけじゃなく
毎日
少しずつ
より優しい自分になれるよう
気づかせてくれたミサでした。

サポートしてくださる方に愛が溢れ、願いが叶い、いいことが起こり、素敵な出会いがあるように祈りを込めました。いいねを押してくださった方にも同様に。