見出し画像

通訳の仕事 ~SP対応編 その4~

いよいよモディ首相来神の当日が来ました。「SP対応編その3」で記載したとおり、その日はもともとオフの日でした。何時からでもいいから来てほしいと言われ、連日朝も早く、夜も遅かったことから、10時からでいいということになったように記憶しています。

2016年11月12日の土曜日、モディ首相は東京から安倍元総理と一緒に新幹線で来神ということで、神戸で待機していたSPの方々の仕事は新幹線の新神戸駅からスタート。10時頃に新神戸駅に行ってみると、数多くの警察車両、黒づくめの人たちで物々しい雰囲気に包まれていました。どくどくとアドレナリンが出るのを感じながら、数日来一緒に行動しているボスとその右腕をなんとか見つけて業務に就きました。安倍さんとモディ首相は、新神戸駅に到着後、一旦別行動を取るという日程になっており、モディ首相は新神戸駅の駅長室の一角のような場所で少し休憩されるとのこと。大阪にあるインド総領事館の総領事も自国の首相をもてなすべくおお忙し。総領事の奥様お手製のチャイを駅長室まで届ける云々、ばたばたしながら両首相の到着を待っていました。

いよいよモディ首相を乗せた新幹線が新神戸駅のホームに入ってきました。ボスに伴って両国の首脳をお出迎え。どちらの首相が先に新幹線から出てこられたかは忘れてしまったけれど、何か乗り物から降りると一時停止がお決まりのルールなのか、誰も何も言ってないのに一旦静止。新聞記者のカメラからパシャパシャという音が聞こえ、神戸市長がお出迎えされていたように思います。予定通り、安倍さんは日本SPの車に乗ってどこかへ。モディ首相は先ほどの駅長室に入ってチャイを楽しまれました🎵

その後、また安倍さんと合流して兵庫公館でランチョン、新幹線製造メーカーへの見学。(見学のようすはこちらをクリック)夕方は、また安倍さんと別れ、SPが宿泊施設として使っていたホテルで在神戸インド人の方々との交流会がありました。来日する直前に、脱税・汚職対策としてインドの高額紙幣を廃止したということもあり、会場は大盛り上がり。何度も拍手喝采が起こり、退場予定時間になってもモディ首相はなかなか演壇から降りて来ません。

ふと兵庫県警のメイン担当者から呼ばれ、ボスに折り入って話があるとのこと。聞いてみると、「このままだと空港への到着は遅れる。飛行機の出発が遅れる。それでもよいか?」という単純な内容。しかし、SPにだけ分る話なのか、声のトーンはものすごく真剣だったことを覚えています。おそらく、予定がずれるということは計画からずれるということ、計画からずれると警護がしにくくなるということだったのではないでしょうか。ボスは少し考えた後、「構わない。首相には思うように話していただこう。」との回答。日本側も「了」とのこと。

この日に至るまでも、インドと日本における警護のつき方の違いにより、たびたび長い議論をしていた両者。どちらも目指すことは同じで、いかにして自分の命に代えて要人を守るかというところ。(かっこいい💛)(両者が本当に意図したところはどこか分からないけれど、)最後の最後で、阿吽の呼吸で会話ができたように感じました。そんな2人の会話を通訳させていただくことができた私にとっては、「通訳は私の天職だ!」と思える幸せな瞬間となりました。

実は、てんやわんやな1週間を過ごさせてくれたボスですが、しっかりと名前を聞いた記憶がないのです。挨拶を交わしたであろう打ち合わせの初日は(SP対応編その1をご覧いただけると幸いです。)途中から参加だったし、珍道中に突然名前を聞くのも変だし、最後はモディ首相が空港へと向かう車両に乗って行ってしまったし、ということで最後までお名前を聞けず仕舞い。。。商談会などだと、数日一緒に回った最後なんかに、「ありがとう!(ほっぺにチュッ:ヨーロッパなどからのお客様の場合)」とあるのですが、なんともあっけない幕引き。でも、当時のことをメモして残してたわけでも何でもないのに、これほど鮮明に覚えているのはきっと'one of my career defining moments(キャリアを決定づける瞬間の1つ)'だったからだと思います。あれから4年、私はどれほど成長できただろうか。これを機にもう1度、(もし通訳者としての胴着があるなら)帯を締めなおし、また日々の訓練や仕事に取り組みたいなと思ったのです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!





よろしければサポートお願いします。サポートは世の中のコミュニケーションがよくなるための活動に使わせていただきます💛