【感想エッセイ】ひと(小野史宜)

店先に並ぶ最後のコロッケ。値段は50円。消費税込だとしても54円。
55円の有り金でお釣りがもらえるそのコロッケを買おうとして、横やりが入る。
勢いよく割り込んできたお婆さんに、青年はそのコロッケを譲った。

父を亡くし、数年を経て母を亡くし、故郷の鳥取から東京への移住をやむなくなった大学生。
『ひと』という小説は、この青年がコロッケを譲ったことから思わぬ縁に見舞われて、少しずつ人との輪を広げていく物語だ。

文体はとても落ちついている。日常が当たり前のように流れていく。
それは、何も起きないという意味ではない。


物語の始まり以前に、主人公に降りかかった両親の喪失。
大きすぎる出来事を前に、主人公はむしろ心の置き所がわからないでいる。
だから突然、その理由もつかめないうちに、人目もはばからず泣いてしまったりする。

大きな出来事や、個人の感情など、日常は考慮してくれない。
身寄りの無い大学生には真っ先にお金の問題が降りかかってくる。
すっぱりと大学に通うことを諦めた主人公は、満足な食事もできないまま、ただ自分の身銭を切り詰めることだけを考えていた。

全体的に落ちついた文章は、日常生活を送らなければいけない主人公の境遇を映し出しているようだった。
そうしなければ生きていかない。主人公はひたすら、自分の人格を押し殺して生きていたように思えた。


この小説でもう一つ特徴を挙げると、会話がとても多い。
それも意味深なことはほとんどなくて、大概が淡い、雑談の域を出ない言葉のやりとりだ。

会話だけで他人のことをすべてわかるとは限らない。優しい言葉で、刺々しいことを言う人も大勢いる。どちらとも言えない人もいる。

そしてもちろん、優しい言葉をそのまま投げかけてくれる人もいる。
会話は心そのものではない。だけど、裏を返せば、本心などわざわざ見せなくても人と人とは会話することができる。
それってすごいことなのかも知れない。


会話ができると、人と人とは簡単に関わり合うことができる。
相手の一面を知って、良くも悪くも理解する。人間関係の一番いいところだ。楽しいところといってもいい。
人のことがわかってくると、今度はその人を鏡にして、自分自身のことがわかってくる。

『ひと』の主人公も、少しずつ変わっていった。
いろんなことを諦めて、距離を置いていた彼は、最後にはゆずれないものを手に入れる。
人と関わることで、逆に自分らしさを取り戻していく。


 僕は二十一歳。急がなくていい。一つ一つだ。急がないが、とどまらない。そんなふうにやっていけたらいい。先は大事。でも今も大事。先はみなければいけない。でも今も疎かにしたくない。だって僕は、生きてる。


大きな事件などなくても、成長を描くことはできるのだと、思い知らされるような、力強い物語だった。

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