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ドリブンズ園田、期待値采配戦略とプロ芸人魂を麻雀遊戯王で語る。麻雀とは運ゲーである!


まずは上記の動画でもご覧ください。動画の内容はドリブンズ期待値采配戦略でした。一試合当たりの期待値のポイント設定まで当noteの設定とほぼ同じでした。園田もたろうも実際に+の期待値なのかどうかも、怪しいわけですが、、、、

ドリブンズがどういう思考で丸山を10試合に抑え込んでいるのかという理屈も、園田は饒舌に語っていたわけですが下記のnote「もし伊達や東城がドリブンズに入っていたら・・・ドリブンズの期待値采配の是非について」でほぼ正確に考察できていたことが確認されました。実際のところ、ダイレクトの資料を見たわけでもなく、あくまで自分の洞察力だけが頼りだったのでようやく今、答え合わせ完了といったところです。

そしてもう一つわかったのは伊達や東城がドリブンズに入ったとしても、園田の理屈で言えば確実に飼い殺しにされていたということです

期待値の理屈に目を奪われ 越山の采配の愚かさも園田にはよくわかっていなかったのは本当にショックの一言。もう少し賢いものだと思っていた。

それからもう一つわかったのは1年目の優勝でたろうのみならず、村上も園田も越山も単なる上振れを実力と勘違いし おごり高ぶっていたってことが今回の麻雀遊戯王の動画でもよくわかった。収穫。

結局 園田がMリーガーになってちゃんと確率の計算もしてようやく 行き着いた答えって、麻雀って単なる運ゲーじゃんってことだったわけです。これものすごく重要な部分です。

NHKでの番組の顔も麻雀芸人としての一つのポーズだったんじゃないですかね。なぜなら本人自身が5000試合でも期待値に収束しない運ゲーだって結論に達しているわけですから

     プロの麻雀芸人として演じ切っている。

一方でわずか100試合のハイパー運ゲーの世界で期待値とか振りかざし丸山の登板数を減らす理屈を滔々と語る大いなる矛盾。完全なる論理破綻。

ドリブンズの成績を言い訳するには、これだけのサンプルで期待値なんか収束しねぇ運がなかった、下振れだ、運ゲーだと確率論を自己防衛のための道具とし、丸山を出さない理屈では一転、期待値こそが大事なのですと論理を展開。これダブスタもいいところです。(笑)

ちなみにもしドリブンズが勝っていたら園田の話す内容は全く違うことになっていたはずです。つまりものすごく恣意的に都合よく話を進めているのです。上振れ優勝は実力(優勝当時)、下振れ敗戦は不運(最下位を彷徨う現在)という典型的なガチ勢バイアスに園田も嵌っていたということですね

まとめ

確率論的にはどう見ても、麻雀とは単なる運ゲーであることに気づいてしまった園田は期待値を振りかざし、麻雀を実力によって支配された奥深い競技であるとファンに錯覚させたり、Mリーガーになるまでのストーリーを文学的に仕立てエンターティンメントとして盛り上げつつ、「なんなん芸人」としてキャラを確立させてゆくことがプロとして生き残る道であることに目覚するに至った

と語っているわけです。

この括弧の中の部分が読み取れなければほんとうにあの動画を見たことにはならない。

しかし下記のnote「なぜドリブンズ主義の期待値采配が戦略的にダメなのか?理論的にわかりやすく」をご覧いただいた方が、今回の園田の理屈を聞いてどう思ったのか正直聞いてみたい気持ちもあります。一応グーの音も出ない形でnoteは提出したつもりなので、気が向いたらまだの人は是非ご笑覧ください。

note「なぜドリブンズ主義の期待値采配が戦略的にダメなのか?理論的にわかりやすく」を見て園田の方が正しいと思ったり、あるいは当noteに納得できない方は遠慮なく、どしどし返金申請してください。😊

ただ たぶんここまで理論的にわかりやすくドリブンズ主義の戦略的間違いをレビューしているのは自分のnoteだけだとは思っています。


例えば下記noteにも書いた寿人の高宮に対する切れ味鋭いレビューなど、まず園田にはできないと思います。

麻雀脳って学歴でもないんですね



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