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ドリブンズ村上、勝利の女神から見放された理由とは何か!人生を賭した歴史に残る一局、BEAST Japanext ドラフト指名オーディション ファイナル。


BEAST Japanext ドラフト指名オーディション ファイナル、各雀士が人生を賭した歴史に残る一局であり、伝説の闘牌になったと言っても過言ではない。まさに麻雀の醍醐味が凝縮された南四局だった。

ツィッターでも、
魚谷「面白過ぎて、心臓止まりそう」
渋川「名勝負過ぎた」
解説河野「凄すぎる対局だった!号泣です」
石橋「凄すぎるゲームだった」
というコメントが立ち並ぶことになった。

浅井からの菅原へ6マン神アシストや内田の黒子に徹した局回しなど、ドラマが生じるにはその舞台を成立させるべく4人がそれぞれの持ち場を明確に意識しその仕事をこなしたからであり、これは4人が作り上げた一つの芸術作品だと言って良いのかもしれない。数多くの観客をその熱気で引き込んだギリギリ戦いであり、優勝を決めた菅原と啓文との差はわずか700点に過ぎなかった

まさにこうした麻雀における筋書きのないドラマ性にこそ、多くのファンは惹きつけられるものなのだろう。

ファンを魅了して止まないエンターティメントにおける最も大事にしなければならないものを風姿花伝という書の中で世阿弥は「」と表現した。

当時最先端のエンターテイメントであった「猿楽」を深い精神性と美学によって「能」という芸術にまで高めた世阿弥。超一流の芸能人でありながら芸能プロダクションのTOPに君臨、「夢幻能」という全く新しい作風を切り開いた気鋭の作家であり、まさしく時代の革命児。マルチな天才であった。そして後の世に風姿花伝という哲学書・戦略本とも言える不滅の古典まで残してこの世を去っていった。

時代を超えても今も尚、「能」がエンターテイメントとして現代まで生きながらえている以上、Mリーグもまた、世阿弥に多くの学ぶべきものがあるのではないだろうか。

「幽玄」という物事の趣が奥深くはかりしれないもの、芸術性を「能」に求めた世阿弥。しかしは単に芸術作品であるだけでなく大衆から人気を博すエンターテインメントでもあった。芸の奥義を窮めるという縦への方向性大衆へも理解を求める横への方向性、その両方を世阿弥は持っていたということでもある。

すなわち能には幽玄と花、そのどちらもが必要なのだ。

敢えてMリーグに例えるならガチとエンタメ、両方とも必要であると言い換えてもいいのかもしれない。

例えば、中田花奈のMリーグ入りはあるかどうかを考えた場合、その可能性自体は十分に見積もって何らおかしいことではない。

このnoteでは世阿弥のから特にMリーグのエンターティメントについてアプローチを試みたい。

世阿弥は大衆を引き付けるエンターティンメントの魅力「花」の一つとして役者の容姿、その姿の美しさにあると言っている。世阿弥自身が若い頃は時代をときめく超イケメンの舞台俳優だったのであり、人は本能的に美しいものに惹きつけられるのである。

これは麻雀ファイトクラブの人気投票となる。Mリーグのコナミが1位と2位を独占している。



以下、エンターティンメントとしての戦略、他のプロスポーツビジネスなども参考に、一流のプロフェッショナルの洗練された振る舞いとはどうあるべきか?など人生を賭した歴史に残る一局、BEAST Japanext ドラフト指名オーディション ファイナルを絡めながら、世阿弥の風姿花伝をヒントにいろいろと語ってみたい。ドリブンズ村上が勝利の女神に見放された理由についても当noteなりの見解を示させてもらった。

この記事をアップした数時間後、最強戦のオーラスを見るに至り、役満に完全包囲された村上は、やはり勝利の女神から見放されていたのだと確信!

ドリブンズ主義なるものも定義し、それが世阿弥の「花」から見てどうなのか?など、かなり見どころのあるの内容にしたつもりではある。おそらく他の麻雀noteにはないユニークな内容にはなっていると信じている。よかったらご笑覧いただければ幸いに思う。無料部分も合わせると全編通して7000文字近くとなってしまった。(苦笑)尚、後半には世阿弥を通しジャパネット高田社長の話もほんの少しだけ出て来る。魅せることにかけては高田社長は超一流のプロである。

ちなみに下記noteはそれなりに加筆修正をしたので記事がアップされたばかりの時にご訪問いただいた方は改めてご覧いただけると、少しだけ内容が分厚くなっていますので、よかったらお気楽にお立ち寄りください。


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