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はじめての彼女

 これは昔、仕事仲間だった川田君という男性の、若くてウブだったころの体験談です。

川田君が関東にある大学に合格して、一人暮らしを始めてしばらくした頃のことだそうです。
彼はとある居酒屋でアルバイトをしていましたが、そこにお客として来ていた雪絵さんという女性とひょんなことから親しくなり、やがて付き合うようになりました。
年齢は川田君よりふたつ上とのことでしたが、愛嬌があり、見た目も可愛い女の子です。

自慢ではありませんがこの川田君、イケメンというよりは醜男に近く、高校時代まではまったくモテず、女性とお付き合いしたことなど一度もありませんでした。
初めてできた彼女、しかも自分にはもったいないくらいの可愛い女の子ということで、彼は有頂天になっていました。

何度かデートを重ねて、やがて街にイルミネーションがきらめく季節になりました。
付き合っているとはいえ、奥手の川田君はまだ彼女とは軽くキスを交わした程度です。
もうすぐやってくるクリスマスイブには、もっと先へと進みたいと期待に胸踊らせていました。

彼女とのデートの約束も取り付けて、その日が来るのを心待ちにしていた川田君でしたが、イブの二日前になって、バイト先に急に欠員ができて、24日の夜に店に出なくてはいけなくなりました。
雪絵さんには平謝りにあやまって、デートは25日に延期してもらいました。
しかし、せっかく買ったプレゼントを、どうしてもイブの日に渡したくて、24日の朝に彼女の部屋を突然訪れて、直接手渡そうというサプライズ演出を考えたのだそうです。

雪絵さんからは、彼女の家の住所はまだ教えてもらっていませんでしたが、実は川田君、どうしても知りたくて一度だけこっそりと後(あと)をつけたことがありました。
いつもデートの終わりは、表通りの大きなマンションの近くまで送って、そこで別れていたのですが、その日は帰るふりをして、もの陰に隠れながら彼女の後をつけていったのだそうです。

彼女は大きなマンションの脇を抜けて、裏通りにある古いアパートの2階の一室へと帰って行きました。
そのような雪絵さんの行動を見ても、彼女に夢中だった川田君は別になんとも思わずに、むしろ彼女の自宅がわかったことに、素直に嬉しさを感じていたのでした。

クリスマスイブの朝、川田君はバイト代を貯めて買った、プレゼントのブランド物のバッグを持って、彼女のアパートを訪れました。
朝日のもとで見たその建物は、夜に見たときよりもいっそう古ぼけて、荒れ果てているような感じです。

しかし、そのような光景も、初めて彼女の部屋を尋ねる期待と緊張感でいっぱいの川田君の目には、いっさい入っていませんでした。
ただ、彼女の部屋のペンキがところどころ剥げかけたドアと、色あせたチャイムのボタンだけを一心に見つめていたのです。

手汗で湿った指で、恐る恐るチャイムのボタンを押しました。
一回…二回…三回…、ようやく部屋の中で人の動く気配がしました。
「雪絵さん?おはよう、川田です。こんな時間にいきなりすみません」
そう声をかけて軽くノックすると、部屋の中の動きがピタリと止まり、やがてゆっくりと鍵をあける音がして、ドアが細めに開きました。

「はい」
そう嗄れた声がして、ドアの隙間から覗いたのは見ず知らずの中年女性でした。
髪はぼさぼさで、目の下にはくっきりとした隈がある女性が、ちょっと驚いたように川田君を見ています。

「あ、おはようございます。こんなに朝早くにすみません。
ボク、雪絵さんとお付き合いさせていただいている川田といいます」
彼はとっさに、お母さんかお姉さんだろうと判断して、緊張した声でこう挨拶しました。

女性は、細めに開けたドアはそのままに
「どうしてうちがわかったんですか?」と訝しげに問いかけます。
川田君は、正直に一度後をつけたことを話し、今日はどうしてもプレゼントを渡したくて来てしまったことを詫びた上、改めて雪絵さんは居るかと訪ねました。

この時点で初めて女性はドアを少し大きく開けて、半身を現しました。
朝の日差しを受けて、首周りの伸びてたるんだ黒いニットのセーターと、小じわの目立つ乾いた皮膚が印象的でした。
「雪絵は昨日から親戚の家に行っていてる留守んですよ」
女性は相変わらずの嗄れた声でこたえました。

不在と聞いて、川田君は大いにがっかりしたのですが、しかたありません。
プレゼントを目の前の女性に預けて帰ることにしました。
「わざわざ来てくれたのに、すみませんねえ。
雪絵が帰ってきたら渡しておきます」

そう言って女性はプレゼントの入った紙袋を受け取ろうとしました。
その差し出された両手を見た川田君は一瞬動きを止め、改めて女性の顔をまじまじと見つめました。
彼は数秒間その姿勢のまま固まっていましたが、やがて大きな深呼吸をひとつしたあと、プレゼントを手渡すことなく、アパートの階段を駆け下りたのだそうです。

「だって、差し出された女の手首にはボクが雪絵さんに贈ったブレスレットが光ってたんですよ。特徴的なデザインのものだから見間違えるはずはありません。それで改めて女の顔を見たら……。
いやぁ、本当に女の人って怖いと思いましたよ。あの化けっぷり、化粧のテクニックはまさに妖怪級でした。
その後ですか?もちろん連絡はいっさいとらず、付き合いもやめましたよ。プレゼントのバッグは……まぁ、それはね…アレですよ、アレ」
…という、そんなよくあるお話でした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 人怖報告回 十三夜目
2023.12.30

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