2015年8月4日

午前中だけで気が狂いそうになりました。
気づいたら娘の太ももをおもいきりたたいていました。
娘の泣き声でわれにかえりました。
3時、娘にこれ以上危険が及ばないように、外へでて、バスに乗りました。
知らないバス停でおりて、教わっていた場所まで歩きました。
20分くらいかけて子育て支援センターにつきました。
冷房はきいていないけれど、こんにちはと声をかけてくれる大人がいて、ホッとしました。
娘は、ほかに遊びに来ていたおとこのこと楽しそうに遊び始めました。
わたしのほうをちらちらとみて、わたしが笑うとうれしそうにしました。
わたしは娘をちらちらみながら、近所の保育園についてまとめられたファイルを読みました。
近所の保育園はどこもいっぱいですと言われましたが、一時保育で娘を預けられるところを探しました。

ふたりきりになるのがこわいんです。
娘に限らず、だれとでも、ふたりきりになるのがこわいんです。
どうしたらいいかわからなくなります。

引っ越しを終えて、夫は前よりもはやく家を出て、前よりも遅く帰ります。
娘とのふたりきりの時間が増えました。
毎日が限界なのです。
ふたりきりになるのがこわいんです。

5時半、保育園のおおよそのめぼしがつき、支援センターもしまる時間になったので、外へ出ました。
へとへとでした。
すこし歩けば気に入った喫茶店があったはずだと思い、歩きました。
すこし歩いても喫茶店はまったく見つからず、娘はわたしの胸の中でねむりました。
のどがかわいて、はやくどこかへ座りたいと思いました。
50分くらい歩いて、やっと知っている道に出ました。
3本くらい道を間違っていました。
もうすこし、もうすこしと思って、がんばって歩きました。
くつずれしたところが、じんじんと痛みました。

最高気温33度と、まとわりつく湿度のなか、行ってみたかった喫茶店をみつけました。
お気に入りの喫茶店はまだ先で、しかしもうくたくただったわたしは、目の前の喫茶店にはいりました。
ここも冷房がきいていませんでした。
マキアートと、ホットサンドと、お持ち帰りでスコーン。
セルフサービスのお水をがぶがぶ飲んで、目を覚ました娘にも水をやって、お祭り前の街をながめていました。
そうだ、おまつりなんです。

運ばれてきたマキアートを飲みながら、コーヒーよりもエスプレッソが好きだなと思いました。
それかオーガニックコーヒー。
ホットサンドはあつあつで、娘にもすこしやったけれど、キャベツをべーっとだしていました。
夏バテなのか引っ越しのストレスなのか、娘はあまりごはんを食べなくなっていました。

混んできたので喫茶店をでました。
こんどひとりできたいなと思いました。

中心街のほうへ歩いていくと、どんどんひとがおおくなり、屋台がたくさんでてきました。
かきごおり、やきとり、えだまめ、ビール、たくさんの誘惑。

7時、もう帰りたかったけれど、せっかくだからおまつりを見ていこうと思いました。
おまつりを見るのによい場所はないかと歩いていたら、真横でお囃子が始まりました。
太鼓の音、掛け声、横笛、鐘、笑顔、熱気。
ここ最近の情緒不安定がばくはつして、わたしは泣きました。
いえ、泣くのをがまんしました。
赤ん坊を抱いたおんながお囃子をみて泣いている、なんてあぶない姿なのでしょう。
見ず知らずの人に心配をかけてはいけないと、わたしはがまんしました。
お囃子の太鼓が胸に響きます。
わたしもまざりたいと思いました。

わたしはお祭り女だったのです。
地元のお祭りには毎年参加して鐘をたたき、横笛をならし、太鼓を覚えたのです。
学校生活も、文化祭が楽しみで楽しみで、そのために一年がんばっていたのです。

結婚してから、お祭りや人混みがだいきらいな夫のことや、一緒に参加していたきょうだいやともだちが地元をはなれたこともあって、わたしはおまつりに参加しなくなっていました。
それでもやっぱりでたくて、せめて山車を見に行くのです。
そしてお囃子をみては、やっぱり笛がふきたいな、太鼓が叩きたいなと思うのです。

引っ越して、スケールのちがう音や雰囲気を目の前で感じて、来年はぜったいに囃す側にたちたいと思いました。
地元のお祭りもでたいけれど、ここからまたはじめるのもいいと思いました。

娘がいいかげん飽きてぐずりはじめたので、よくもこんなにわたしに付き合ってくれたなと感謝しながら、駅に向かいました。
この子は今日はじめてバスに乗って、はじめて電車に乗るんだなと思いました。

駅につき、待合室へはいると、冷房がきいていたのでびっくりしました。
冷房のことなんてすっかり忘れていました。夢のようでした。

9時、駅につくと夫がむかえに来てくれていました。
お夕飯がないのでお惣菜を買って帰りました。

いまわたしは、寝つけずにこれを書いています。
苦しくて充実したいちにちでした。
一万歩以上歩きました。
くつずれには絆創膏をはりました。
夫にうれしかったこととかなしかったことを伝えました。

十数年のさみしさがばくはつして、わたしはこわれました。
十数年、大丈夫だよと言われたら、えがおになれるかしらと思いました。
わたしのしあわせは、夫の不幸のうえに成り立っているのではないかと、こわくなります。
それでも、そんなことないと、大丈夫だよと、夫は、今日もわたしに言うのです。
まいにち、大丈夫なんです。

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