あの夏はもう帰ってこないけれど

17歳の夏。
部活の集大成。
絶対に勝ちたかった。

と言っても運動部じゃない。
合唱部。

3年やってきた集大成。
先輩らは超えたであろう手応えと自覚はあった。


1年の時は地区を超えて道大会に進み奨励賞。
2年の時は当時の3年のご乱心で地区突破に至らず。

そして3年。
それまでに色んなことがあった。
基本たんぱらな私はよく先輩とぶつかったし。
好きな先輩もいたし。
先輩に片思いもした。
後輩は後輩で手のかかるやつばかりで。
めっちゃめんどくさいことも多かった。
けどどんなやつでも、合唱って不思議なものでひとつになれる。
それが私を熱中させた。
歌うのが楽しかったし。
もっともっと上手くなりたかった。

あんなに情熱をかけてあの3年間を頑張れたのは他でもない同期のおかげ。



自分含めた9人のメンツ。
これを超える仲間を私は知らない。

よく笑い、とにかく笑い、時に歌ってまた歌い。
けど真面目に熱くなれる。
ほんとにいいヤツら。

絶大なる信頼と安定感と、ゆるさと、やっぱり笑い。

部活を辞めたい時も親に辞めさせられそうな時もあったけど、彼奴等とまだまだ歌いたかったから、頑張れたんだ。

とはいえ、戻りたいか?と言ったら戻りたくはないあの夏。


17歳の少女だったから楽しかったあの、夏。

けど、めちゃくちゃいい思い出なのは確かで。

結果的には地区を突破して、道大会で銅賞。
彼奴等とだから最高の演奏を出来たんだと思う。
今考えればあれをああしてればとか思うことはある。
けど、あれが17、18歳の自分たちのベストだったと胸を張れる。

胸は張れるけど、あんなに嬉しくて、そして切ない夏はもう二度と来ない。

あれから時は経ち。
進学校だったがゆえに、みんな地元を離れ別々の進路へ。


私はその夏から秋を越してその冬、発見された脳腫瘍の手術のため生死をかけることになり。闘病生活中はほんとにあの時歌った思い出、歌声に励ましてもらった。


むしろあの夏の思い出がなかったら、9回のオペと放射線治療は気力が持たなかったかもしれない。

今となってはなんだかんだ私は後遺症もなくピンピン生きているし、彼奴等は彼奴等で結婚したり子が生まれたり離婚したり転職したり休職したり、人生はまたいろいろ。

いろいろあっても、みんな生きているし、お盆や正月に再会できるのがとにかく嬉しい。

バラバラの所にいても、私は誕生日おめでとうの連絡を欠かさない。
それは彼奴等一人一人が生まれて、出会って今があることに感謝してやまないからだ。

あの時某紙パックの紅茶を飲んでいた私は、今や美味しいお酒でみんなと乾杯できる。
あの夏の思い出は、たぶん一生モノだろう。

また歌う日が来るかは分からないが。

あの思い出があるから今を生きられる。

たぶん思い出はどんどん熟成されたいい肴になる。

この夏の乾杯も心から楽しみにしている。

あなたと支え合いたい.