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前職10年半のエピローグ

 どちらかというと、健康面との闘いという歴史なのかなと

入社後に直面した健康問題

 入社後すぐに直面したことは、喉が渇く、汗をよくかく、頻尿。何だろうと思いました。半年後の健康診断で判明したのは、『糖尿病』。恐ろしいことですがHbA1cは12というトンデモ数値でした。
 その後、真摯に治療し、1年でHbA1cは、5.5まで下げました。体重も112kgまであったのが102kgまで下がったという所でした。

面倒くさくなった通院と総合内科という所

 その後、結婚し妻の職場の近くで、私自身通勤が少し楽になる場所へ引っ越しました。そうなると、要予約の総合病院への通院も億劫になり、近所の評判の良いクリニックに転院しました。そして、当時、使用していたアクトスという薬で、前立腺がんの発病率が問題になり、アクトスを止めました。ただ、そこに対する代替なく治療を継続し、結局HbA1cは7.8まで上がりました。また、非常に混むクリニックだったのと、自宅の近所に糖尿病の専門医が内科を開院したため、また転院しました。

年齢の壁

 入社して5年くらい経ったころから、冬に、体調不良で数日出社できないことが、年に1回、2回と増えていきました。
 今考えると、家事をやったり、自分の好きなことをやって、夜中の2時に寝て、通勤で1時間電車で寝ていくなんて言う狂った生活をしていたことが仇になったのかなと思います。
 そして、自分の意識と体の衰えに乖離が出たという事だと思います。

糖尿病が改善しない

 HbA1c相変わらず、7台の数値をキープし、GLP-1受容体作動薬の注射を開始しました。まぁ、これがきついわけです。体の代謝を促すレベルが上がり、疲労感もあり更に仕事のパフォーマンスが悪化しました。
 そんなコロナ禍の生活を送りました。

糖尿病の改善とコロナ禍の終焉での気付き

 体の負荷の厳しさと改善が思うようでないことで、GLP-1受容体作動薬を内服に切り替えました。管理が難しい薬でしたが、HbA1cが劇的に改善しました。そして仕事のパフォーマンスもあがりました。

通勤ストレスとの闘い

 通勤は正直ストレスでした。それがどうストレスなのかという事を、理解するのに9年半かかったのですが、とにかく体がでかい人間を満員電車は邪魔者扱いするのです。およそ、180cm、100kgの体は、席に座っても、肩をすぼめ、それでも、男女問わず邪魔だとグイグイ押してくる輩との戦いでした。特に会社員らしい格好で乗っていると容赦ないという事は、何年かして気付いたので、少しヤバい人な服装にシフトしました。
 最終的にはキャップと、アメフトのレプリカジャージで通勤に落ち着きましたが、仮にそれで席に座ったとしても、肩身の狭い通勤には変わりないわけです。

抗えない通勤ストレスに

 実際転職活動は9年目の後半から始めました。正直、もう少し資格を充実させてからという視点もありましたが、並行しました。
 今年の夏は、酷暑で、疲れとストレスで抗えず、会社を辞めることも決めていたので、上司との面談で休養の指示が出たところで、どのくらいで元に戻ると思うかという問いに、戻ることは無いと思うと伝え、8月の中旬に休職を開始しました。

退職までのプロセス

 医師からは、Max休職を利用して次を探せばいいと言われ、結果、復職のプロセスを取ることの煩雑さが判明し、結果、荷物の引き取りだけで、退職に至りました。
 こういうケースってメンタルやられていたと思われがちなのですが、実はそういう背景でしたという話で、メンタルはまったくやられてはいませんでした。

エピローグ

 10年の中で、限界突破の方法論や、自戒という部分で自分でも成長したかなと思います。それを持って、現職で頑張れればと思う次第です。

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