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日本人がアートを学ぶ必要性とは

武蔵野美術大学大学院造形構想研究科クリエイティブリーダーシップコースクリエイティブリーダーシップ特論 第4回山口周さん

5月8日、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』(2017年 光文社)の著者、山口周さんの講演を聞く機会に恵まれた。もともと、広告会社でマーケティングの仕事をしていた私が、デザインやアートに関心を持つようになったのは、山口さんの影響が大きい。

著書に加えて、山口さんが持つ経歴にも個人的に惹かれていた。
山口さんは文学部出身で、専攻が学部では哲学、大学院では美術史学だ。文学部出身者ならば分かってもらえると思うが、文学部はビジネスには不向きという空気が企業では根強い。だから、文学部出身の私は、第一線で活躍している山口さんにシンパシーを感じている。

一方で、山口さんの講演を聞いて、著書を読んだ時に感じたことを再認識した。なぜアート的な感覚が大事になってくるのか、を非常にロジカルに、左脳で説得させられる。言うなれば「アートの重要性を、サイエンス的に説かれている」感じがするのである。

「アートについて、サイエンスで語る」。このコミュニケーションの形は、自分が勤めている広告会社のプレゼン構造に酷似している。社内でタスクチームを組む時、デザイナーは戦略担当とセットになる。そして戦略がデザインをリードすることが多い。
多くの日本企業では、デザインやアートなどサイエンスで語れない領域は「サイエンス」があってこそ活きる。アート的な感覚だけでは、ビジネスを進めていくのは難しい、ということになる。

このアートの位置付けは、日本のコミュニケーションのあり方と密接に関わっている。
それを示唆しているのが劇作家であり大阪大学教授の平田オリザ氏だ。平田氏は、著書『わかりあえないことから』(講談社現代新書 2012年)の中で、「社会的弱者と言語的弱者は、ほぼ等しい」と述べている。ここでいう「言語」とはコミュニケーション能力のことであり、さらに言うと「自分の意志・意見を、相手の上手く伝える能力」のことである。

この能力はWhat to say と How to say、両方が合わさって発揮される。
そして、大まかなイメージで言うと、What to sayにはアートが、How to sayにはサイエンスが影響する。

多民族・異なる文化背景の人達が共生する欧米では、What to sayが圧倒的に重要だ。日本(の学校・会社)のように「空気を読み合う」「同調する」ことは美德ではなく、「自分の意見を持つこと」「主張すること」をしない人は評価されないし、周りは慮ってくれない。だから、自分のビジョン・主張・好きなことなどWhat to sayを伝達できる形にする能力として、アートを学ぶことに大きな価値があるのである。

これは文化・歴史の違いによるものであり、コミュニケーションの優劣ではない。一人ひとりがWhat to sayを持たなくても、察してもらえる日本のコミュニケーションのスタイルはとても便利な側面もある。
しかし、社会のグローバル化が進み、ビジネスにおいてもグローバル・スタンダードなコミュニケーション能力が必要になってきているならば、「自発性」や「自分を表現する」能力を育むアート教育は、日本においても重要になってくるのではないだろうか。

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