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Facebookとマクドナルドの創業ストーリーの一致が示す「成功」のナラティブ

少し違った視点の記事で、少しでも気持ちの切り替えの役に立てればと書きました。

■マーク・ザッカーバーグ氏とレイ・クロック氏

市場の常識とはかけ離れているために、通常のマーケティングのフレームワークでは売りにくい商品やサービスのプロデュースをする際に、鍵となるのは、その商品やサービスに埋め込まれている物語(ナラティブ)を発見することです。

商品やサービスに固有の物語(ナラティブ)を、市場を支配している物語(ナラティブ)に結びつけることができれば、常識外れというマイナスは個性というプラスに変わります。

それを方法論にしてみたのが、以前にご紹介したマルチバース・マーケティング戦略なのですが、生き様を国家のナラティブとシンクロさせてしまうことで大成功を収めた人物がいます。

メタに社名変更してメタバース企業に生まれ変わろうとしているFacebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグ氏と、世界最大のファストフードチェーンであるマクドナルドを創り上げたレイ・クロック氏(故人)です。

世界史規模の大成功をおさめた経営者の成功の秘密を理解することで、マルチバースの妙(=セカイ理解の妙)を楽しんでいただけたら幸甚です。

■ナラトロジーで二人の創業者の評伝映画を観る

マーク・ザッカーバーグ氏とレイ・クロック氏の創業物語は、共に映画化され高い評価を受けています。

『ソーシャル・ネットワーク』(2010年・デヴィッド・フィンチャー監督)と『ファウンダー』(2016年・ジョン・リー・ハンコック監督)です。

両作品ともNetflixに入っているので、ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。

この業界も時代もまったく異なる二人の実業家の成功ストーリーは、実は、ナラトロジー(物語論)という方法論で見ると、全く同じです。

ナラトロジーは、物語の構造を発見・分析することで物語を理解しようとする手法です。例えば、ナラトロジーの視点に立つと、鶴の恩返しも浦島太郎も同じ型ということになります。

<主人公に贈り物と禁止事項が課される>
→<主人公が一人になる>
→<禁止事項が破られる>
→<夢のような時が終わる>

という基本パターンが同じだからです。

以下は、ネタバレになります。気にしない方はそのまま読み進めて下さい。

気になる方は、映画を鑑賞されてから本記事に戻ってきて下さい。鑑賞の順番は制作年代順に『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)→『ファウンダー』(2016年)がオススメです。

■2本の映画の物語構造

『ソーシャル・ネットワーク』の物語の骨子は次のとおりです。

<ザッカーバーグ氏が「ハーバード・コネクション」を知る>
→<「ハーバード・コネクション」をパクってFacebookをはじめる>
→<「ハーバード・コネクション」時代を黒歴史にして、Facebookを拡大する>

『ファウンダー』の物語の骨子は次のとおりです。

<レイ・クロック氏がマクドナルド兄弟の「マクドナルド」を知る>
→<「マクドナルド」の会社を自分のものにしてしまう>
→<マクドナルド兄弟時代を黒歴史にして、マクドナルドを拡大する>

ナラトロジー的に見れば、この2本の映画は同一の物語であることになります。

<主人公が素晴らしいものに出会う>
→<もとの持ち主から奪う>
→<最初から自分のものであったかのように振る舞いそれを広める>

という物語の構造が全く同一だからです。

ここまでは、単に2本の映画が類似しているという指摘に過ぎませんが、興味深いのは、これらが実話に基づいていることです。

簡略化したら同じ物語だったというのでは、それはヒットする映画のパターンの話であって、同じ物語の映画なんてめずらしくありません。しかし、実話に基づいているということは、映画を超えて二人の人生が同じナラティブ(物語)だったということになります。

実際に、二人の成功物語は、子細に見ていっても同じものです。

『ソーシャル・ネットワーク』から、マーク・ザッカーバーグ氏の成功物語を、『ファウンダー』からレイ・クロック氏の成功物語を、並べてみてみます。


■マーク・ザッカーバーグ氏の成功物語

映画『ソーシャル・ネットワーク』で展開されるマーク・ザッカーバーグ氏の成功物語は次のとおりです。

1.ハーバード大で女子学生格付けサイトを公開して学内女子に大顰蹙かつ謹慎処分になる

2.学内でウィンクルヴォス兄弟とナレンドが考案した「ハーバード・コネクション」という顕名式SNSの構想を知る

3.「ハーバード・コネクション」の開発を請け負い、その優位性の核心に気づく

4.「ハーバード・コネクション」の発想をパクり、「ザ・フェイスブック」を立ち上げるが、ハーバード限定なので学外には知名度が無い

5.ナップスターを起業したショーン・パーカーに出会い影響を受ける

6.自分たちのアイディアが知らないところで広がっていくことにウィンクルヴォス兄弟とナレンドが激怒する

7.ウィンクルヴォス兄弟とナレンドが訴訟を検討する

8.ウィンクルヴォス兄弟とナレンドが訴訟を断念する

9.名称をFacebookに変え拠点をパロアルトに移す

10.女子学生格付けサイトのときから支えてもらった友人のエドゥワルドを遠ざける

11.エドゥワルドの持ち株比率を0.03%に希薄化しFacebook社から彼の影響を完全に削ぐ

12.再び訴訟してきたウィンクルヴォス兄弟とナレンド、訴訟してきたエドゥワルドに対して示談に持ち込み、対立の目を無くしてしまう 

映画自体は12で終わりですが、その後のFacebookの躍進は世界中が知るところです。

■レイ・クロック氏の成功物語

次に、映画『ファウンダー』で展開されるレイ・クロック氏の成功物語を見てみます。

1.成功のビジョンを持ちながらもミルクシェイク・ミキサーの営業員として悶々とする毎日を送る

2.マクドナルド兄弟の画期的ハンバーガー店を知る

3.フランチャイズ契約を結ぶ

4.シンプルなメニュー、清潔さなど踏襲し、売上は高いが儲からなくて資金難になる

5.ハリー・ソナボーン氏がフランチャイズの新たなビジネスモデルを提案する

6.マクドナルド兄弟が品質第一を主張し、新たなビジネスモデルに反対する

7.勝手に契約違反してマクドナルド兄弟とトラブルになる

8.マクドナルド兄弟からマクドナルドの経営権と名称を奪う

9.フランチャイズをどんどん拡大する

10.糟糠の妻と離婚する

11.マクドナルド兄弟の1号店をすり替える

12.マクドナルド兄弟のハンバーガー店の前にマクドナルドを出店して兄弟の店を潰す


■ナラトロジーが明らかにする二人の成功の秘密

 こうして2本の映画のあらすじだけを追っていくと、結構酷い話なのですが、主演の二人が大変魅力的なので映画として大変面白いものになっています。

 ただし、ナラトロジーから分かることは、現実の二人の成功は人間としての魅力というより、彼らの生き方それ自体に起因していたのではないかということです。

 2本の映画に描かれた二人の生き方をナラトロジーで取り出すと次のようになります。

1.<明確なビジョンと方法論があるがそれを実現できない日々>

2.<画期的なシステムに出会う>

3.<参画し理解し共存する>

4.<当初の方法論の限界に直面>

5.<事業を飛躍させることのできる人物が現れる>

6.<事業の飛躍にパイオニアが反対する>

7.<パイオニアと衝突する>

8.<パイオニアに取って代わる>

9.<事業を水平展開で拡張する>

10.<事業開始前からずっと見守っていた存在と決別する>

11.<ファウンダーとして振る舞う>

12.<パイオニアを衰亡させる>

 そして、これはアメリカ合衆国の建国のナラトロジーそのものなんですね。高校世界史を履修したことがある方は、懐かしく思いだしていただけるかもしれませんが、アメリカ合衆国建国の流れは次のようになっています。

1.<明確なビジョンと方法論があるがそれを実現できない日々>(イギリスで迫害される清教徒)

2.<画期的なシステムに出会う>(新大陸の発見)

3.<参画し、理解し共存する>(新大陸へ集団移民し、ナバホ族などインディアンと英語を媒介に共存を試みる)

4.<当初の方法論の限界に直面>(開拓初期の農耕の困難と飢餓)

5.<事業を飛躍させるアイディアを持った人物が現れる>(キャプテン・スミスが植民地のパターンを作る)

6.<事業の飛躍にパイオニアが反対する>(自然破壊やバッファロー乱獲にインディアンが激怒)

7.<パイオニアと衝突する>(インディアン戦争)

8.<パイオニアに取って代わる>(インディアンを武力制圧する)

9.<事業を水平展開で拡張する>(西へ西へとフロンティアを拡大)

10.<事業開始前からずっと見ていた家族と決別する>(イギリスと独立戦争)

11.<ファウンダーとして振る舞う>(インディアンの時代をアメリカの黒歴史化)

12.<パイオニアを衰亡させる>(黒人奴隷は解放してもインディアンの聖地は開発と観光の名の下にほとんどが収奪したまま)

 マーク・ザッカーバーグ氏とレイ・クロック氏は、アメリカの建国の歴史をなぞったかのような人生を歩んだがゆえに大成功を収めたのです。

 マーク・ザッカーバーグ氏もレイ・クロック氏も、一般的な感覚では、必ずしも好ましい人物ではありません。映画でも問題人物として描かれています。しかしながら、映画全体を通して見ると、彼らは糾弾や告発の対象ではなく、個性的な成功者として描かれ、それが興行的にも成功しているのは、彼らの生き方が、米国人の琴線に触れる物語であるからだろうと思います。

米国で化けそうなベンチャーを探る場合、創業者の人生のナラティブをチェックしてみるのも有効かもしれません。

もちろん、アメリカ人に響く成功のナラティブは建国譚だけではないでしょうから、成功者のナラティブを採集したら何が見えてくるのか、興味深いです。

■おまけ:日本の場合

 逆に言えば、一国としてはアメリカ建国のナラトロジーを共有しない日本では、彼らのようなやり方で大金持ちになったとしても、尊敬まで得られることはないと考えられます。日本人が日本国内で日本人らしく大成功するには、日本のどこかから成功の構造を見つけ出し、それを国民の物語として一般化するナラトロジー戦略の知恵が必要だからです。

 日本の場合、歴史を振り返る人気の振り返り先の時代は、江戸時代と明治維新がツートップです。ここに問題があります。

 まず、明治維新です。明治維新に成功のナラトロジーを見てしまうと、黒船が始まりですから、玉座には常に海外があることになってしまいます。出羽守(ではのかみ)が、権勢を誇っているのも分かります。

 また、明治維新から始まった近代化の流れは、ポツダム宣言で一区切りを迎えますから、明治維新に成功のナラトロジーを見てしまうと成功を加速させて次の時代にどんどん移行することに心理的なブレーキがかかります。いつまでも維新維新と言い続けることになってしまいます。開拓が成功のナラトロジーで常に遠心力が働くアメリカとは逆に、向心力にとらわれることになります。遠心力と向心力がつり合えば無限ループです。

 次に、一番人気の江戸時代です。時代劇や大河ドラマはほとんどが江戸時代を舞台にしています。今の大河ドラマは鎌倉ですが、次回また江戸時代に戻ります。

 江戸時代を舞台とした作品は、ナラトロジー的には、最初から最後までお上(かみ)の手のひらの上で喜怒哀楽があるだけです。時代を作り替えてしまうような成功とは全く無縁の物語構造をしています。

 我々日本人は、成功なんてどうでもいい物語を繰り返し楽しんできた民族だと言えます。だから、日本での成功者は、そんな民族共通の物語にはつきあわないはみ出し者ばっかりなんですね。

 一方、成功の物語(その物語がひどい話かどうかという価値判断は置いておいて)を共有しているアメリカでは、人はよりアメリカ人っぽい人ほど成功します。移民一世でもアメリカという国家の建国譚とシンクロすれば、大成功者となれるのです。

 日本人は欧米への憧れが強いですから、気持ちの上ではアメリカ人は「お上」の位置にいます。これでは、アメリカに憧れて近づこうにも決してアメリカを超えられない。振り返る先の時代が、江戸と維新だけならば、ナラトロジー的には、あたりまえの構造です。

 さて、最近は、アニメが歴史の代替として機能する例が出てきています。311のときの福島の電源喪失時に、エヴァンゲリオンに範を取ったヤシマ作戦で節電のムーブメントが起きたことは印象的です。

 大河ドラマや時代劇より、アニメのヒット作の方が視聴者数が多い時代ですから、今後は社会現象となるようなアニメが、日本人のナラティブを創っていくのだと思います。(個人的には、国際環境の激しい変化と意識を変えるほどのテクノロジーの出現の二点で、『古事記』の時代が現在と似ていると思うので、古代文学系の学会に所属して『古事記』のナラトロジー解読を進めたりしています。漢とアメリカの揺らぎ、文字とAIの対比。余談です。)

 余談ですが、近年のアメリカンドラマや映画を観ていると、建国のナラティブをアメリカ自身が更新しようとしているのではないかと思うときがあります。白人中心史観を相対化する『ウエストワールド』や、他民族の視点での米国史を掘り起こす『アメリカンゴッズ』のような作品が次々に創られているからです。
 近代の権化のような国家であるアメリカ合衆国ですから、近代的なるものが揺らぐ現在、過去の見直しを通して近代国家としてのアイデンティティを脱却しようとしているのかもしれません。

Facebookもメタに社名を変更し、メタバース企業に生まれ変わろうとしています。建国史のナラティブの次に踏み出したメタと、建国史のナラティブを書き換えようとする動きはシンクロしたものなのかどうか、そういった視点でも着目しています。

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