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27. 掌の中 ひとつになった矛と盾


毎日手にするスマートフォン、
触れる時間も賢く 短くまとめたくて、
使い始めから失敗と工夫を重ねながら
少しず “持つようになって良かったこと” も増えてきたけれど
自制心を働かせられない時は、今も、
これ調べるんだった  あれ取り寄せなきゃ あの人に連絡を  これだけ見たら…
の鎖がさらさらと長くなってしまう。

結果、予定がずれてしまっても
それで何とかなってしまう生活なんだから、そのままを受け入れるしかないのに、
自分の選択であることを棚にあげて
この小さな機械とその向こうの 誰かが作った世界に その瞬間瞬間しかない今を持っていかれる感覚が、静かに 安定的に悔しいから、その思いを文章にしておこうと、手にしているのは…スマートフォンで、
出口の無い迷路にはまってしまった様な心細さが時折やってくる。

便利で助かっていてありがたい存在だけれど、ありがたさと同じかそれ以上に『無い世界で暮らしたい。』と、夢みることがある。

まだ無かった時代に、人生の、多分一番多感な頃を過ごしたからか、今もITの波に乗りきれず、乗りたくない気持ちもどこかにずっとある。

落ち着いて考えると 信じ難いほどにどんどん進む技術の革新を、シンプルに楽しめたらいいのに。こちらは中途半端なあまのじゃくで停滞気味。


それ自体は命を宿さない。ただ 物体のはずなのに、こうして考えを文字に落とす空間に繋げてしまっていることで、距離感が特殊になっていく。1つの “道具” として割りきれなくて困惑してしまう。


戸惑いや警戒心をを抱いてしまうものについても、良い面、明るい側面を優先して見るようにしようと、力を込めた側から迷いが立ち上がる。

ふと我に返ると、“曖昧さ” や “どっち付かずなもの” は切り捨てて、信じる基準も無いままに、何でも 良し悪しで分別しようとしている自分がいる。
時を経て 暗黙の内に浸透していた、または信じ込まされていた あらゆる基準や枠が、日々改変を繰り返している現状に直面しての反射的な反応なのかも知れないけれど…

人は無自覚に自分を善だと見なしている時ほど、白黒はっきりさせようとする と聞いたことがある。
生き続けるために、自分を信じるのは大切だけれど、自分を善とするのは、それとは違うと分かっていたいし、白と黒の間の数え切れないグレーの表情が分かる眼を内から育てて守っていきたい。

その想いがあっても、現実社会の生活の中ではどうしても、はっきり決めざるを得ないことの方がずっと多い。
だから尚のこと、自分にとって大切なことについては、混乱して苦しくても、細部まで消化して進むために、目を逸らさず見つめ続けなくてはと思う。

何かや誰かに疑いを抱いたら、想像力に制限をかけずに その矛先を自分にも向ける時間を持つようにしたい。
真実は複雑で、命を続けるには根気が要る。
自分にとっての真実をそのまま、ありのまま受けとめる勇気の成長はゆっくりだから。

スマートフォンが無かった時代の感覚はどんなに検索しても見付けられない。
生まれた時代と生い立ちを、自分で “今” に活かす術を探していて、少しずつ手がかりを見付けつつある気がしている。







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