自負心はいつも小さくて、承認欲求はそれよりも大きい

読んでくれるかもしれないどなたかへ

今、これを書きながら、どうせ誰も読まないだろう、という気持ちと、でも誰かは読んでくれるんじゃないかという気持ちが半々くらいにあります。そして投げやりになるよりは、読んでくれる誰かのことを考えながら書いた方が、まだ良いものにできると思うので、そんな心持ちで書くことにします。

なのでまず、
読んでくれているかもしれないどなたか、ありがとうございます。

改めまして、中大二劇2023年度春公演『幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい』にて役者を務めさせていただきます、「石倉ぴぃ」と申します。
ぴぃ、ってものすごく間の抜ける響きですね。せっかくしっかりした気持ちで書こうとしたのに、名乗った途端に少し勢いが鈍る感じがしました。
まあそれならそれでにぶにぶとした文章でも良いんではないでしょうか。堅いと読みづらいですよね。

さて、今回のテーマは【自分について】ということですが、なかなか難しいですよね。
クラス替えの後の15秒くらいの自己紹介で頭が真っ白になるのに、果たしてまとめられるんでしょうか。むしろ15秒しかないから難しいんですかね?そんな気がしてきました。
少なくともここには時間制限も視線を投げるクラスメイトもいない、わけです。
だから多少、長くなったり意味がわからなくなったりしても良い…はず。いや読んでくれる人のことを思うと良くはない…ですね。
ただ、そこの葛藤を続けると、私はいつまで経ってもこの投稿を書き上げられない気がします。
なのでやっぱり、少し大目に見てくださると嬉しいです。こういうときこそ人は傲慢であるべき。うん。本当か??

さながらそれはもじぴったんのように

私は多分、いつもいっぱい言葉を吐きたい人なんですね。
それは文字でも、声でも良い。
言葉が私の輪郭になる気がするんです。
むしろ、言葉に残した分だけしか私はいない気がする。いやもちろんそんなことはないんですが。手の温度とか、髪の匂いとか、そういう肉体だって持ってるんですけど。
でもいつか私が死んだら、それはきっとほとんど残らないものですね。
ちょっと待って……初回ブログから死生観ゴリゴリなの怖くないですか?書いてて不安になってきました。大丈夫ですか?
いやでもこういうときこそ人は傲慢であるべき…。Let's be 傲慢。
(ちょっと英語に自信がなくて調べたんですが、let'sってlet usなんですよね。「俺たち傲慢になりましょうよ」みたいな感じになっちゃってますね。人に押し付けるのは良くないよ…と思いつつ、書き上げたい気持ちが僅かに勝ったので、ここはもうスルーしていくことにします。)

話を戻すと、
私の肉体は死んだら残らないわけです。
でも言葉はもしかしたら残るかもしれない。
だから言葉を大切にしてあげたいんですね。
死後の私を彩ってくれるのは他でもない生前の私の言葉かもしれないんだから。
と、そんな大それたことを言っても、お前はその辺の一庶民だよとも思います。「いつかWikipediaに記事を作られたりしてえな〜」と謎に思うときがあるけど、それ何のカテゴリだよとも思います。なんでもいいんじゃないですかね。
思想の強さを昇華して何者かになれるなら万々歳です。

ウワーー!!わっしょい!!!!

思想を果物ナイフのようにちらつかせていないか不安になってきたので無理やりバランスを取っていきたいです。一度深呼吸します。

(8拍)

長くなりそうなので、目次でもつけようかなと思います。せっかくそういう機能があるなら使った方が良いです。
ここまで読んで、「目次なんてついてなかったけど」と思われる方もいるかもしれません。その場合さっきの「目次でもつけようかな」は一つの嘘になってしまいますね。私は思ってないことは言わないけど嘘は吐きます。そういう人間だと思っています。普通に最低なので良くない。
「大丈夫、ちゃんと目次ついてたよ」という場合は、ちょっぴり未来の私グッジョブという感じです。
(調べてみたらnoteで目次を作るのはそんなに大変ではなさそうなので、この雑記が投稿されるときにはおそらく目次がつけられていることでしょう。)

抱きしめられず足踏み

さて、自分について語るとき、ありきたりかもしれませんが、やはり好きな作品を挙げるのが一番わかりやすいのではないかなぁと思うわけです。
ですが実を言うと、好きな作品を挙げるという行為に伴って、いつも私の中で小さな抵抗感が生まれます。
それはおそらく、私がそれを好きと言って良いのか?という疑問によるものです。
だって絶対他にもっとその作品に詳しい人とかがいて、その人に「フン…俄か風情が…」と不快な気持ちを抱かせてしまうかもしれないじゃないですか。
私如きが好きと形容して良いはずがない…。
「好きなものは好き!」と言えるきもち抱きしめてたいのですが、私のせいでその作品が浮薄なものになってしまうのが恐ろしい。
ここで紹介することで、私の言葉なんかで、形を決めてしまって良いのだろうか。

とかなんとか思ってしまうのですが、そこの私に気を遣ってあげてると本当にこの投稿はいつまで経っても書き上がらないので、なんかもう良いです。書くぞ!!
いやでも一口に作品と言ってもいろいろなものがありますよね…。何から書くのが良いんだろう。
書きながら、やっぱり怖くなってきました。だらだら喋ってないで早く書けばいいよ、話長いよみたいな。思われると思います。ごめんなさい。絶対、書くことには書くので…。
小さい頃、大縄跳びが苦手でした。いつ入って良いかわからなくて、でも入ろう、入りたい、入らなきゃとは思うから目で縄を追って、首ばかりが上下する、そういう子どもでした。なんの話だ?
話もいろいろ散らかるし、だから私の部屋は汚いのかなと思いました。良い子なので真っ直ぐ帰宅することがほとんどですが、本当はきっと寄り道とか好きです。確かにときどき寄り道するとブチ上がる感覚が、ある。

小さい頃好きだったもの(もしくは小さい頃から好きなもの)って、特別なものですね。
5歳の頃、1年間は人生の5分の1でした。
そして世界は知らないことで溢れていました。惹かれる、心が動く感覚に比較的素直でいられたのではないかと思います。好きなものとの出会いについて、鮮烈、というほど強い感覚だったかはわかりませんが、でもなんというか、5歳なりの(たとえばポッピングシャワーのぱちぱちする部分くらいの)鮮烈さを覚えていたと思います。

同様に、中高生の頃に好きだったものも、特別なものだと思います。
5歳の頃に比べればずっと多くのことを知っているけれど、なんでしょうね、それでも日々が鮮烈でした。きっと、深いところで人と関わることができていたからだと思います。
大人になると関わらない選択肢を取ることができるようになってしまうから、嫌な予感がすることはあっても、傷つくことすらできないようになるのだと思います。
雨降って地固まる。
大人は傘を差すことを覚えるから、大人に届くのは雨の匂いだけになります。
本当はずぶ濡れになって風邪引いたって良かった。
話が逸れましたが、当時は側からみれば些細なことが大問題で、心が柔らかくなっていて、好きなバンドの音はもっと深いところまで刺さっていた気がする。
そういう意味で、全てが鮮烈でした。

できればその鮮烈なものへ向ける眼差しの、何か手応えみたいなものを、掴んだまま生きていきたい。幾つになっても何かにわくわくしたり目を輝かせたりできるなら、それはとても素敵なことだと思います。
さういふものに、わたしはなりたいのかもしれない。

こんなに前置きが長くなると好きなものをぽんと書きづらくなってしまいますね!!わはは。自業自得なんですが。
だらだら書いているせいで感情の流れが一筋でない……のが嫌だ……。
なんでもこう、ガッっと書き上げる方が良いですよね。レポートとかもそう。何が何でも今晩書き上げます(宣誓)。


と、宣誓したのが昨晩です。翌朝になってしまいました。大学へ向かう電車の途中でこれを書いています。
寝てる間、自分の投稿の反応がすごく良くない、みたいな雰囲気の夢を見た気がします。気の所為かもしれない。一体何にそんな怯えているんだ…。

「屋根猫がぜんぶ正しい」

※急遽Switchから引っ張ってきたスクリーンショットたち



自分でも記事一本書くのに何日かけてんだよという気持ちが湧いてきてしまった(なんなら少し飽きてきました)ので、大人しく好きなものについて書きます。
上の動画と3枚の画像は、「Night in the Woods」というカナダで作られたゲームのものです。
登場人物たちの見た目はみんな動物ですが、会話や生態は普通に人間です。見た目だけ動物の人間。
主人公のメイ・ボロウスキ(猫)が大学を中退して地元に帰ってくるところから物語は始まります。
夕方に起きて、母親と少し話をして、町を走り回って、友達とバンドの練習をしたり、昔よく遊んだショッピングモールに行ったりして、夜に帰ってきてまた眠りに就く。
メイの1日は大体そんな感じです。
けれど、自分が大学辞めるまでの間に地元の友達は職に就き、もともと地盤沈下の多かった町は昔以上に寂れているわけです。
戻ってきて数日すると、メイは悪夢にうなされるようになります。
そしてハロウィーンの夜に誘拐事件を目撃したことをきっかけに、メイは暗く深い夜の森へと誘われていく…そんなお話です。

この作品の台詞の雰囲気が好きです。
登場人物たち一人一人の生活を感じるので。
あとメイが割と不良なのも好き。電線の上を歩いて警官に怒られたりするし、気に食わないヤツへの態度が大体煽り散らかしてます。クソガキ。
私がこのゲームを初めて遊んだのが高校2年生のときで良かったなぁと思います。
なにしろ主人公は限界二十歳なので、今出会っていたらいろいろ刺さってしまって、私もバットで蛍光灯を割ったりしていたかもしれません。

「人間のからだはばかだから」

いちばん古い記事まで遡って、一日一投稿ずつ帰りの電車で読み進めるのが、受験期の楽しみでした。
高校生の頃、夜更かしが好きで、深夜の音楽番組を観るのが好きでした。今は意味もなく遅くまで起きて、次の日もただ起きられなくてただダメだな〜〜って感じですけど。
その音楽番組で紹介されてて、
なんだこれ、と、思った、バンドです(あ、貼ったのはそのバンドのボーカルが書いてたブログです)。
そのときはへ〜おもしろ、と思って見てたんですが、なんか、なんとなく覚えてて、後からYouTubeで改めてMVを見たんですが。
なんか、良くて。
他にも何曲か聴いたら、なんかね、途中までふざけてる感じでも、サビが絶対キャッチーなんですよ。悔しくて。
多分、卑屈なんだけど人生悪くないと思えてる感じが伝わってきて嬉しくなっちゃったんでしょうね。ああ、いいんだ!みたいな。

「あ、へえ、こういうの好きなんだ?」って思われるの実は少し嫌なんですね、だって私も初見のとき引いてたんだから。
そんでもって自分の好きなものが、微塵も引っかからない何かに成り下がってしまうかもしれないのが怖い。
そうしたら、あの頃ちょっと救われたみたいな気持ちになってた自分は、どうなってしまうんでしょうか。
でもこんな長い投稿、多分誰もそんなちゃんと読んでないですよ。うん…。
聴いた人に「は?キモ」なんて一蹴されたらどうしよう、とちょっと怯えています。
それでも、受験勉強なんてクソだよな、と友達と話しながら10分しかない休み時間に教室を抜け出して、北棟の花壇でイヤホンを半分にしながらミュージックビデオを眺めていた思い出が、私にとっては最高です。
それで良いことにします。

とはいえ、シンプルに自信満々に紹介できるものも書きたい!!
ヘンテコバンドだけじゃなくてみんなに普通にへー良いじゃんって思ってもらえるものも、書きたい…。そう、気付いたんですけどこんな長文書くってことは多分承認欲求とかバカ強いんでしょうね。キツ。でもどうせ演劇やってる人なんて、というか人間みんな承認欲求抱えてんだから開き直ります。悪いか?!?!

一度黙ります


この曲に関しては私がつべこべ言うのは野暮だと思います。それこそ話せば話すほど何かが抜け落ちてしまう気がする。
好きな曲です。
道の傍に置いてあったものを拾い上げる感じで、誰が置いたのかとかはどうでも良い感じで、はい。

読んでくれたかもしれないどなたかへ

好きなもの幾つか紹介できたので割と満足かもしれません。
そろそろ書き終わることにします。
途中から全然読む人のこと考えられてませんでしたね。
たくさん話してしまってごめんなさい。
まあ20年程度生きた人間が自分について話すとなったら、そりゃ短く終わるわけがないんですよ。まとめる気がないだけかもしれませんが…。
きっと、こうして書いて良いよ、と言ってもらえる場が嬉しかったんだと思います。

何にせよ、私がどんな人間なのか、ある程度伝わったんじゃないでしょうか。
それが不快なものや、悪い印象ではないことを祈ります。

それでは、
読んでくれたかもしれないどなたか、ありがとうございました。

石倉ぴぃ


中大二劇2023年度春公演
『幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい』
作・広田淳一(劇団アマヤドリ)
演出・師岡亮

〈日程〉
6月29日(木) 17:00
6月30日(金) 18:00
7月1日(土) 13:00/18:00
7月2日(日) 13:00

〈会場〉
千歳船橋 APOCシアター

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