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ただ、そこにあったジョアン・ジルベルト。

喫茶店や書店の役割は、「時が過ぎるのを待つ」場所ではないはずだ。
そう思って生きています。

基本的に僕は、「時間を潰す」という行為ができない。
非生産的に思えて仕方がない。
ただ時が過ぎるのを待つだけなんて、喫茶店にも書店にも失礼だ。

なので「空いている時間」という呼び方をします。

この予定と予定の空き時間、自分はだいたい映画館に入るか、美術館に入るか、演劇を見る。
次の予定の目的地に1番近いところで可能な3択を行う。

朝起きて、予定を過ごし、次の予定までの目的地に近いもしくは、電車での通り道にある映画館と、美術館をまず、調べる。
そして、下北沢につながっている場合は、午後イチと夜の観劇スケジュールを調べる。

そうすると、空き時間は大体何かしらを見ている時間になる。

この時間の使い方、別に生産性を高めているわけではないので、「意識高いですね!」と言われても困る。
ただ、好きなだけなのだから・・・。
そして、「そこに山があるから」のように、「そこに入れる芸術鑑賞があった」だけなのだ。

今夜もぽっかりと打ち合わせが終わり、時間ができた。
渋谷で身体1つで街に放り出された。

そこで、思った。「映画に行こう」と。

気になっていた作品の1つ。ボサノバの伝説、ジョアン・ジルベルト。
ある日、姿を消して雲隠れしてしまった彼をマークフィッシャーが生前追い求めて、その後を監督を手がける
ジョルジュ・ガショが追い続ける。

どこに行っても彼の姿はなく、一部の接することができる人たちでさえ、会える保証もない。

だけど、ここでは、「会える」「会えない」はそんなに大切でもないな。と感じてしまった。

(会えるか会えないかは映画を見て下さい。リオデジャネイロの景色がそれはもう綺麗ですよ)

追いかければ追いかけるほど相手は逃げる。ただその姿を追い続け、会ったところで何が生まれるのかわからないような状況で会うよりも、
作品として彼が残してくれた芸術を愛すること。その幻のような姿を想像して、自分が動く原動力にすることのほうが会ってしまうよりもよっぽど価値があるね。と感じた。

恵比寿ガーデンシネマ。話したこともない女子に大学時代にいきなり映画に誘われて初めて緊張しながら向かった場所に19年ぶりに行くことになるとは。自分もジョアンを探してしまったけど、実際に探していたのはコンビニでした。

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