ジャイアントロボットギャラリーで

2016年12月17日から個展をやっている。コテンと聞くとなぜか身構えていた。言葉が重い。個(人)の展(覧会)。重い。ヘビーだ。

なので長らくお誘いを受けてもおことわりしていた時代が長かった。じぶんは印刷されるイラスト仕事をメインでやってるからというのと、先にあげた重さ、ふたつの理由からだ。仕事といわゆるアートワークを線引きしてた時代です。

そんな個展ワークを始めたきっかけは阿佐ヶ谷美術専門学校の卒業生イラストレーター、デザイナーによるグループ展で一枚の絵を描いたことだ。

B1サイズの紙に油性のマッキーで下描きなしで描いてみた。なぜB1のでかさかというと、大きいと迫力出るだろうってことで、なぜ油性のマッキーだったかというと気楽でいいやってことで、なぜ下描きなしかというと、鉛筆の線をなぞるのがいやだったのと、消しゴムをかけるのが面倒くさかったからだ。それ以上ではない、そんな理由で展覧会の一ヶ月前くらいに紙を買ってきて、同サイズの段ボールを手に入れてそこにテープで留めて、居間のちゃぶ台の上で寝かせて描いたはずだ。油性マーカーで一枚の絵を完成させようと図ったのはこのときが最初だ。

描き始めは、マッキーだし、と気軽なひとふでだったのだが、気がつくと存外に緻密なタッチになっていって自分でも、あれ?と思った。じぶんとしてはもっとざっくりしたはみ出たり歪んだり荒いタッチでガシガシ描くつもりで置いた線が、逸脱を許さない律儀な線であったこと、それが徐々に画面を支配してきてそれなりに厳密な構成を求めてきたことにとまどった。しかしやめるわけにもいかず、さりとて途中からタッチを変えるわけにもいかないので描き進めてみた。描き始めたモチーフは左上あたりの麒麟だったはずだ。

描き始める絵のイメージはこのときすでにあった。様々な動物や想像上のクリーチャーが渦を為して画面を埋め尽くすものだ。念頭にそれを置いて描き進めた。油性のマッキーという後戻りが利かない画材ゆえに、描き終わった部分への気遣いと構成から画面からどんどん慎重さを要求され、気がつくと楽をしようと始めた作業が、ぜんぜん楽じゃない仕事に変化していた。何日かは手を付けないで、日頃のメイン業務の仕事のあいまにぼんやり眺めて構成を考えたりした。たぶん、描く時間より、観て考えてる時間のほうが長かった。最後に完成部分のところにタッチをいれたときは、なかなか達成感があった。表現に達成感は日頃から不必要だとおもっていたのだが、単純に作業としての達成感はあった。絵としてこれはどうなのか、という部分ではそんなに深く考えておらず、なんとか白と黒のバランスはとれたんじゃないの、くらいのモノにはなった。グループ展の展示では別段、感想も聞けず、現役の学生が残したアンケートには「どうして色を塗らないのか理解ができません」とあったのが印象に残った。

たぶん自分の好みと、若い視野だけでなにげなくしたと思うそのコメントに応えるつもりでその時考えてみた。色をつけなかったのは、面倒くさかったからでもあるからだが、同時にできあがった線がマーカーとはいえ、なかなか美しかったからでもある。色いらないんじゃないかと思った。線画はいいな、とも思ったからだ。墨絵の一種だと思えば成立するし。

とはいえその学生がどう思ったにせよ、その時は足を運んでくれたひとりの鑑賞者に不満を感じさせてしまったので、まあそんなもんだったか、とも感じて展示が終わってからは仕事場の片隅に仕舞い込んでいた。

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