【静岡】サムライとなった英国人航海士「三浦按針」/大航海時代のロマン漂う宿「界 アンジン」
サムライとなった英国人航海士
「三浦按針」とは
時は大航海時代。
イギリス東部のジリンガムに「ウィリアム・アダムス」という名の英国人航海士がいました。
12歳から造船所で徒弟(とてい)として働いたウィリアム・アダムスは、造船や天文学、航海術を学び、さらに海軍船長や北極探検なども経験します。
34歳で、5隻からなるオランダ東洋遠征隊に主任航海士として乗船、東洋へと出帆するも、航海は困難の連続でした。
食料などの補給も難しく、南極に近いマゼラン海峡での過酷な越冬、先住民の襲撃などにより、艦隊はやがてアダムスたちが乗ったリーフデ号ただ1隻に。
それでも貿易船としての責務を果たすため、針路を日本へと取り続けたリーフデ号はついに日本の陸影を確認。
オランダ出帆から1年10カ月、もはや帆走能力を失った状態で、現在の大分県臼杵市佐志生(さしう)に漂着したのでした。
時は1600年(慶長5年)4月、天下分け目・関ケ原の戦いのわずか半年前のことでした。
漂着したアダムスを、徳川家康は大阪城に呼び引見しました。
アダムスが持つ知識や公平な人柄を見抜いた家康は、関ケ原の戦いの勝利後、江戸日本橋にアダムスの屋敷を用意。
家康自身は数学や地理学を学び、重臣たちには砲術や航海術、天文学を指南させ、また、幕府の外交顧問としても重用していきます。
島国・日本で海上運送の必要性を感じていた家康は1604年(慶長9年)、アダムスに日本初の洋式帆船の建造を命じました。
アダムスは「海に注ぐ河口がある」「用材を切り出せる天城山系が近い」「有能な船大工が揃っている」などの観点から伊豆の伊東が適所と見極め、松川河口で日本初の洋式帆船造りをスタートさせたのです。
1605年(慶長10年)、家康はアダムスの功績に対し、三浦郡逸見(現在の横須賀市の一部)に領地250石と刀2本、脇差を下賜した上、三浦按針(みうら あんじん)という名を与えました。
三浦は領地に由来し、按針には水先案内人という意味があります。
こうしてウィリアム・アダムスは「サムライ」となり、その後は江戸商人の娘、お雪と結婚し二人の子にも恵まれたのでした。
大航海時代のロマン漂う宿
星野リゾート「界 アンジン」
星野リゾート「界 アンジン」は英国人航海士・三浦按針ゆかりの地に建つ、海や船にまつわるアートを取り入れた温泉旅館です。
三浦按針が日本で初めて造船した洋船「サン・ブエナベントゥーラ号」の甲板がモチーフのサンブエナデッキからは、時間毎に表情を変える海や空の景色の変化をお楽しみいただけます。
また、静岡県・伊豆半島に湧き出る伊東温泉は、全国でも屈指の豊富な湯量を誇り、徳川家光へ湯治湯を献上していた歴史ある温泉です。
界 アンジンの大浴場からは、青く広がる太平洋を一望することができ、朝日にきらきらと光る水面、グラデーションに染まった空と海の色など、時間とともに移りゆく景色とともに温泉を堪能することはできます。
湯上がりには、按針が日本で初めて造船した西洋式帆船「サン・ブエナ・ベントゥーラ号」の甲板をイメージした「サンブエナデッキ」で、海風を感じながら航海のお供と言われていたクラフトビールなどを楽しめます。
夕食は、伊豆ならではの食材に三浦按針の出身地である英国のエッセンスを加えた特別会席料理をご用意。
ブイヤベース鍋の具材には伊勢海老、金目鯛、あさりなどの新鮮な魚介をじっくりと炊き込み、丁寧に裏ごしして、出汁の旨み、魚の旨みを存分に味わえる一品で心から満たされる夕食のひとときを過ごすことができます。
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「伊東カントリークラブ×界 アンジン」
個性豊かで印象的な品格ある丘陵コース。
インターバルで高低差を処理しているので、ホール自体にはそれほどのアップダウンはないが、曲げると斜面からのショットになり難しい局面も。
アウトは距離がないかわりトリッキーなホールが多く、全体に正確なショットが必要です。
富士や相模湾などを望見する風光明媚なコースでリゾートゴルフをお楽しみいただけます。
大航海時代のロマン漂う宿
星野リゾート「界 アンジン」
界アンジン&伊東CC1泊2日
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