《感想》マルドゥック・スクランブル The 1st 圧縮

コンテンツ……世界にはあらゆるエンターテイメントが溢れている。動画や音楽で視覚と聴覚を楽しませ、何かを舌に乗せれば味覚が刺激される。アロマやシーシャで嗅覚を刺激するだけでは飽き足らず、現代人はサウナで副交感神経にまで手を伸ばす始末だ。

その中で……読書、それも小説、物語を読むといった行為は何を刺激しているのだろうか? それを読み取るのは眼球……視覚だが、絵画やイラストを見るのと同じ刺激が発生しているとは考えにくい。もっと脳や人間の内部、例えるなら「想像力」を刺激する娯楽なのではないかというのが私の考えだ。

文字を読んで理解し、それを脳内に思い描く。それが一般的な読書のルーチンだ。そしてそこに介在する想像力には人によって差が存在し、それこそが小説は映画やアニメーションの下位互換ではない理由だと思っている。

というわけで、想像力の時間だ。私は今回、友人に勧められたタイトルを読んだ。そしてそれを楽しみ、せっかくなので感想を書こうとこのnoteにやって来た。

・マルドゥック・スクランブル

マルドゥック・スクランブル。2003年に刊行された作品の、2010に加筆修正された完全版らしい。私はこの作品を「あ~なんかタイトル聞いたことあるなぁ。でもタイトルしか知らない。あの……なんか読み方よくわかんない著者の人のやつでしょ? SFらしいのはなんとなく知ってる」という事前の認知度だった。

だからもちろん、著者の冲方丁(うぶかた とう)氏も「おきかた てい」だと思っていたし、それを悪いとも考えていない。それはつまり別にこの著者は私の恩人でもなんでもないので、この作品に対して気を使って感想を書いたりはしないということだ。クソだと思った部分はクソだと書くし、「完全版が出てるくらいには人気の作品なんだから、世間の評価を考えるとこれは絶賛しといた方が良さそうだぞ」みたいな腰抜けの評価もしない。

前置きがすっかり長くなってしまった。お菓子の原材料欄みたいに無駄に長い文章を書いてしまうのは私の悪い癖だ。それでは、ようやく感想に入ろう。小説を購入し、読んで感じたことを、頭から順に述べて行く。

・表紙

まずは表紙だ。小説の感想だからといって文章だけの話はしない。何故なら表紙もセットで小説という商品だからだ。ジョジョの奇妙な冒険という漫画を知っているか? あの作品はとびきり面白い冒険漫画で、読んだ奴はだいたい「めちゃおもしれー」と言って他人に勧めたが「なんか絵が合わない……」と言って50000人の人間が読まなかった。しかしそれは作品の責任と言えるだろう。「絵が好きじゃない」「タイトルがなんかピンとこない」みたいな理由で人は容易に読むのをやめる。なので、それらを考慮してあらゆるデザインをすることがコンテンツ商品には求められている。

この作品のタイトル「マルドゥック・スクランブル」というのも私は「ややしんどそうだな」と私は感じた。「マルドゥック」と言われてもなんのことやらさっぱりだし、「スクランブル」と言われても私の脳内辞書には「スクランブルエッグ」しか該当項目がない。このタイトルを見て私が思うのは「マルドゥックさんの卵料理の話か? レストランが舞台か? SFじゃなかったっけ?」というのがせいぜいだ。読了してみて振り返ると……余裕で全然違った。レストランじゃなくてバーしか出てこなかった。卵料理というのは少しだけかすっていた。

次に表紙のデザインだ。オレンジ色のバックに、黒髪で伏し目の少女……いやこれはアンドロイドか? 鈍色のボディスーツみたいな外観で、服を着ているという表現は似合わない。この見た目だけで、この作品が現代の池袋を舞台にした作品ではないということはわかる。まさにSFという感じ……なんか手足が後部にある黒い機械っぽい部分と同一化していて、見ようによっては磔みたいで可哀そうだ。私はこれを見て、FF8のアデルに取り込まれたリノアみたいだなと思った。

アデルに取り込まれたリノア

まあ恐らく……この黒髪の少女はヒロインなのだろう。個人的にはもっと発育が良くて明るく元気なキャラクターの方が好ましいが、肩口にちょこんといる服を着たネズミがキュートだったからそれで良しとした。

・プロローグ

彼女は愛おしむすべを持たない子供だった。
自分を取り巻く悪運や、
卑しい苦痛と和解したがっていた。
(中略)
最後に残されたものにも価値はなかった。
まだそのときには。

章前より引用(一部略)

またこれだ! 世の中の全ての小説家は、プロローグに「暗くて悲観的な文章」を書かなきゃならない決まりでもあるのか? 世界に存在する全てのプロローグを読んだら心が参って100%精神病になるんじゃないのか? 私はこういったプロローグを読み過ぎて、もはや「お前らのその同情買いには飽き飽きだ」という気持ちになってきている。だが、このプロローグは最後の行で少し逆転や波乱を匂わせており、まだマシかとも思った。

・第一章 呼気 Intake

小説の始まりなのだから当然だが、人物が登場し舞台が表現されていく章だ。バロット、シェル、ドクター、ウフコック、ボイルドが登場し、タイヤの無いエア・カーが登場するくらいには科学技術が発達した世界だということがわかる。バロットとシェルはまあ……どうでもいい。バロットは暗くてメソメソした少女で、シェルはキザでいけすかないヤローだ。そしてシェルがバロットを爆殺していた。ここでまあ、この話の悪い奴とそうでない奴がわかった。恐らく、爆炎の中から生還したバロットがシェルに復讐する話なのだろうと私は思った。しかしそれはお話として当然なので別に特筆することはない。

そんなことよりウフコックだ。金色の、喋るネズミだ。これには驚いた。
私の驚きをチープに例えるなら、以下のようになるだろう。

金色のネズミ → うんうんいいね、キャラ立ってる
服を着ている → かわいいね!
人間の言葉を喋る → ほぇ~! SFだねぇ!
匂いで人の心理が読み取れる → すごいじゃん!!
様々な機械に変身(ターン)できる万能道具存在(ユニバーサルアイテム) → !?!?!????!?????

読書中の脳内

ウフコックは第一章だけでカーナビから双眼鏡やら消火器など、様々な機械に変身した。SFだからと言われればそれまでだが、それでも私は、かなり強い「現実離れ」を感じてしまった。

私は小説の登場人物に「真剣さ」を求めている。作中でキャラクターが何か行動を起こす。例えそれがどんなに奇妙でキテレツなことであっても、その世界でその人物が真剣にやっていればそれで良いのだ。だがしかし、エア・カーが登場する世界で「様々な機械に変身できるネズミ」を登場させるのは、かなり挑戦的というか……お話として無謀ではないかと思った。

漫画「ドラえもん」には「もしもボックス」というひみつ道具が登場する。これは簡単に言ってしまえばなんでも願いを叶えられる最強の電話ボックスで、言ってしまえば作中で発生するどんなトラブルもこの道具ひとつで解決できてしまう。しかし漫画の中でそうならないのは、ドラえもんはギャグ漫画で、様々なアイテムが登場することが作品の魅力であり、そして何より、なんでも「もしもボックス」で解決していたらつまらないからだ。

話をウフコックに戻そう。シェルに車ごと爆殺され、身体が燃えるバロットを救助するために、ウフコックは身体を消火機械に変えた。そこで私は思う。「どうして消火器なの?」

私が言いたいのはこういうことだ。エア・カーこと空を飛ぶ車が存在するんだったら、「人間を一瞬で健康な状態に戻せるマシン」やそれに類するスーパー・マシンも存在していいんじゃないのか? ということだ。カーナビから消火器や双眼鏡に姿を変えるということは、質量保存の法則は既に超越しているということはわかる(元々がネズミということもあるし)。それならば極端な話、タンクローリーみたいに大きな機械になったり、時間の一方向性という法則を超えた「タイムマシン」になることもできるのではないか? という疑念だ。

ウフコックが変身できる機械の限界はどこまでなのか? 作中で名言されたのは「俺にインプットされたもの」ということであり、ロケット弾にはなれるらしいが……どこでもドアがインプットされていない証拠はない。

火中のバロットを助けるためにウフコックが消火器になったのであれば、それがその世界における最善の策であったということであり、サイエンス・フィクションに対し無粋な文句をつけているのが私なのだろうということも理解している。もちろん私は物語が進むにつれて"そういうもの"と理解して読み進めていって問題なく楽しむことはできた。それでもやはりどこか、この時点で私は疑念を抱いてしまった。「ウフコック………………お前は"真剣"なのか?」

ドクター・イースターはその後でバロットを再生させた。しかも、機械を思うがままに操作できるスーパー・パワー付きでだ。ここは読んでいてわくわくした。メソメソしていた軟弱な少女が、恐ろしく強靭な敵と戦うために手にしたパワーが「機械操作&電子的コントロール」とは、とても心躍る能力だ。"操作"と書いて"スナーク"と読ませる意味は不明だが、バロットはあらゆる機械を意のままに操って、声帯が焼かれてしまっていても問題が無かった。ウフコックともテレパシー的にコミュニケーションが取れて、しかも物語の序盤から信頼関係がそこそこ出来上がっており、なかなか順調と言えた。

一方で、ボイルドだ。大男で、冷徹で、マッシヴで、口径のデカイ銃を使う。この本の中で、彼が私の一番のお気に入りだ。章の内容は前後するが、彼にもバロットやウフコックに並ぶような能力があり、その見せ方もクールだった。作中で彼の肌の色等は描写されていなかったように思うが、私のイメージでは往年の黒人レスラー、アーメッド・ジョンソンがダークネイビーのスーツを着ている姿でイメージしていた。

アーメッド・ジョンソン。逆三角形マッチョ。

・第二章 混合気 Mixture

この章では……特に大したことは起こらなかった。バロットとウフコックがお出かけしてショッピングモールで買い物し、ボイルドがやってきて殺害予告めいたことをされてバロットがビビり、それでも頑張れとウフコックに励まされてなんとか前向きに頑張るぞと決めたという章だった。戦闘も爆発も無し。気の利いた会話は少しあった。

ウフコックは身体はネズミだが精神は成熟した男性のようである風に描写されており、人間の精神年齢で言えば三十代のようであったが、たまに非人間らしさを見せるのが可愛いなと思った。その"非人間らしさ"というのをアンドロイドやエイリアンのようではなく、可愛らしい動物として描写されており、それがとても良かった。なんで事件の捜査官とかをやっているのかとかは私には難しくてよくわからなかった。

・第三章 発動 Crank-Up

法廷で、バロットの過去をほじくり返すシーンから始まる。バロットの過去は家族にひどい目に遭わされたりと鬱々としておりつまらなかった。しかし、色々あってバロットは戦う覚悟を決め、少しづつ戦闘の熱が高まっていくのを感じた。

シェルのことも描写されていた。シェルは記憶を自分でなくしたりして悪い事や金稼ぎをしている悪党だということがわかった。悪党だが、かなり資本主義を頑張っており、マルドゥック・シティというフィールドで上を目指して良い暮らしとか良い思いをたくさんするぞ! という前向きな精神を感じ取ることができた。なんでそんなことをしているのかよくわからないウフコックよりもシェルの方が理解しやすいなと私は思った。

次に、バンダースナッチ・カンパニーの面々が登場する。ボイルドがバロット達に放った刺客だ。彼らは気に入った他人の部位を、自分の身体に移植して悦に浸るという五人組のおぞましい変態イカレ殺し屋集団であり、最もわかりやすくエンターテイメントしていたので読んでいてわくわくした。殺した少女のヴァギナを自分の手に移植する奴とかが出てきて最高に気色悪い。名前も「ウェルダン・ザ・プッシーハンド」「ミンチ・ザ・ウィンク」「レア・ザ・ヘア」などというふざけた通り名で、「いいぞ! お前らはきっと死ぬと思うけどできるだけ頑張れ!」と私は思った。

先述した以外にも、人間の指に執着する奴や肌と髪を自分に移植する奴。他人の眼を自分の身体に生きたまま移植する奴などが居て、「とんでもない科学力と医療の力だ」とも思ったが、バロットは火だるまから復活してたりしたし、まあそういうこともあるかと思った。そして、もし自分もこの変態イカレ殺し屋集団に所属するならどこの部位に執着しようかなと考え……ベタかもしれないが「腕」だなと思った。4本腕とかのキャラクター…………カイリキーとか見てると、やっぱ便利そうだなあと思うし、困ることは合う服が無いとかそれくらいだろう。ゲームのコントローラを握りながらポテチをスムーズに食べれるし、やっぱり腕がいいな。多椀のバケモノに、私はなる!

一方で、バロットは戦士としての才覚を発揮し始めた。ドクターと訓練し、身体の精密操作並びに銃撃のセンスがあることが判明した。ウフコックが変身したバトルドレスと銃を手に、敵と戦う準備を始めた。

・第4章 導火 Spark

ウフコックは警備機構を雇っていたが、彼らはあっという間にバンダースナッチの奴らに殺されてしまった。ハイテンションに警備機構をブッ殺したバンダースナッチの5人は、そのままウフコック達の隠れ家を襲撃する。

ウフコックとバロットのシーンに移る。ウフコックは匂いであらゆるものを嗅ぎつける能力があるので、敵の襲撃も事前に察知した。バロットに戦闘準備を促す。

「準備はいいか?」
―—いいわ、ウフコック。
バロットは相手に指を絡ませ、自分をぴったり包むものをイメージした。
―—抱いて。タイトに。
ぐにゃりとウフコックが変身(ターン)した。オンリーワンの、選び抜かれたドレスへ。

第4章より引用

下手に言葉を尽くす方が無粋だ。銃士が己の相棒に弾を込めていくシーンとか、侍が厳かに刀を履くシーン、控室のボクサーがシャドーで空気を切る音、武道家が微動だにせず精神集中するシーン、そういった"儀式めいた戦闘準備"のシーン、それらがひとつの"見せ場"だということは論ずるまでもない。そして冲方丁もそれはそれはしっかりと仕事をした。私も読んでテンションが上がったし、脳内にはロッキーのテーマが流れた。ぱっぱーぱぱぱーぱっぱぱぱー。

そして……視点が移る。バンダースナッチ、バロットを狙う殺し屋達の視点で話が進行し始めたのだ。私はそこで「なんで……?」と思った。常識的に考えて、ここからは激しいバトルが展開されるのではないか? バロットとウフコックのコンビネーションで、恐ろしい殺し屋達と一進一退の攻防が繰り広げられるのではないのか?

しかし、その疑問はすぐに氷解した。何故なら、恐ろしい殺し屋達は全然恐ろしくなかったのだ。正確には、"覚醒したバロット"に比べれば、殺し屋集団は可愛いウサギも同然だったのである。このシークエンスでは、バンダースナッチの殺し屋達の視点で話が進み、類まれなる電子操作技術を持つバロットの恐ろしさが描かれる。彼らはバリバリに肉体を改造しているので、もちろんインプラントで身体に電子機器を埋め込んでいる。仲間達との通信もテレパシー同然のハンズフリーだが、バロットの前ではそれが仇となった。

視覚も聴覚も通信もハックされ、少女とネズミが作り出したモンスターハウスに迷い込むバンダースナッチ達。仲間との通信は遮断され、電子制御の設備は一人でに動き、ミディアム・ザ・ウィンクは恐慌状態に陥る。しかしようやく標的のバロットに出くわしたかと思えば、ミディの銃撃に対し、弾丸で弾丸をはじくという離れ業で退けられ、返り討ちにあった。もはやどちらが殺し屋かわからない。次々に殺されるバンダースナッチ達。バロットには戦闘中に敵をいたぶる余裕すらできていた。全然一進一退じゃない。もうガン攻めっていうか、対戦ダイヤグラムでいうと8:2くらいでバロット有利という感じだった。

ここも……最高だった! 完全にホラー映画の見せ方というか、心霊スポットに遊びに来たバカな大学生が恐ろしい怪物に殺されていくシーンでしかないんだけど、主役が怪物側というだけで二倍痛快なシーンになっていた。バロット、全然苦戦とかしない。もうほとんど殺戮マシーン。車を操作してウェルダン・ザ・プッシーハンドを追いつめるシーンなんて、完全に能力バトル漫画のラスボスという感じだった。もちろん、悪役の方のボスだ。残虐かつ残忍。

しかし殺し屋一味を全員倒したところで、バロットはふと冷静さを取り戻す。そして、ウフコックが体調を崩してしまう。どうやらバロットがバトルでハイになって人間狩りを楽しむ感じだったのをよく思っていないらしかった。個人的には何事もイヤイヤやるより楽しめた方がお得だと思うのだが、こと殺戮に関しては「濫用」されるとウフコックは体調を崩すようだった。バロットによる酷使でウフコックがマジでしんどそうにしているところに、ボイルドが襲い掛かってくる。これは……大ピンチだ!

・勘違い

そして…………、この時点で、本書を読んでいる私は大変な違和感に気付いた。その違和感は電子書籍では感じるとことができない。オールド読書スタイルである紙書籍だからこそ感じ取ることのできる違和感だった。それはつまり……残りページがもうほとんど無いのだ!

この時点で、だいたい書籍の97%ほどをめくってしまっていた。こういった文庫本って最後の方に別作品紹介とか奥付とかがあるから実質的に小説の続きがあるのは残り数ページしかないはずだ。この少ないページ数でボイルドとの決戦を描いてエピローグまでたどり着くことができるのか? バンダースナッチ達を処刑していくだけでも結構なページ数を使ったはずなのに、ボイルドとの最終決戦が尻すぼみで終わるなんてありえない。そもそもウフコックが調子悪そうだし、ここから復調して決戦に挑むなんて、どう考えてもページ数が足りないよ! どうなっちゃうの? と私は考えていたのだ。

この感想をここまで読んだあなたは既にお気づきだろうが……そう、このマルドゥック・スクランブルは「上中下巻」の作品なのである。私はそれも知らずに、てっきりこの一冊で話が軽くまとまってオチがつくと考えて読み進めていたため、こんな勘違いをしていたのだった。最近はライトノベルばかり読んでいたことも悪さをしていた。このマルドゥック・スクランブルに2冊目と3冊目があることは知っていたが、てっきり2冊目には2冊目の別の強敵が出現するのだと思っていた。

そんな! ここで終わるのかよ! まだ2冊目買ってないよ!!! というかそんなんだったら表紙に「THE 1st 圧縮」なんて書かずに素直に「上巻」って書いてよ!!! 

というわけで、バロット達がボイルドに追い詰められたところでこの本は終わりました。当然ですが、私の感想は「これからどうなっちゃうの~~~???」です。もちろん、まだ2冊目は読んでいません。

感想が書き終わったので、今から2冊目を注文します。こんなことって……こんなことって!!!

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