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パソコンからのメッセージ

以前、グアテマラ産の珈琲豆を調べようとして、パソコンに「ガテマラ」と入力して検索したところ、画面の一番上に「グアテマラではありませんか?」と表示されたことがありました。
パソコン画面にこちらのミスを指摘されて、とっさに「あっ……そうですね」という恥じらいとともに、微かにカチンと来て複雑な気持ちになるわたし。

当店では「オリジナルブレンド」以外に、「本日の珈琲」として各地のストレート豆を日替わりで1種類だけメニューに載せています。
それは店内の黒板に手書きで表示しているのですが、これをかなり長い間わたしは「ガテマラ」と表記しておりました。
たしかに正しくは「グアテマラ」だろうし、グアテマラの方々には大変失礼なのでしょうけれど、でも、「ガテマラ」で全然通じるしぃ。
お客様だって「ガテマラ」って言ってるしぃ。
だいたい、カタカナで書く時点で発音正確じゃないしぃ。
と、パソコンを前に心で負け惜しみを呟くわたし。

たとえば「デズニーランド」と耳にしたとしても、「ディズニーランドではありませんか?」なんて面と向かって絶対に言いませんよね。
もしお客様が、「本日の珈琲の『テマラ』をお願いします」と明らかに「」と発音してご注文されたとして、わたしがそこで、

「お客様、もしかして『グアテマラ』ではありませんか?」

なんて言ったら、ものすごく感じ悪い店です。
絶対に言いません。

このように、パソコン画面に表示される言葉にいちいち反応しがちな面倒くさい人間であるわたしは、noteの記事を書く時にも毎度気になることがあります。
noteでは、記事を書いた後に下書き保存ボタンをクリックして閉じると、いろんなコメントが表示されますね。

記事を保存しました。執筆お疲れ様です。

という皆様ご存じのあれです。

いくつかのパターンがあって、その時々でコメントが違うのですが、「執筆お疲れ様です。」や、「執筆がすすんだら軽く休憩してみましょう。」なら何も問題はないのです。
むしろそんな労いの言葉をかけて頂いて、「いやぁ、大したこと書いてないのに恐縮です」という気持ちにすらなります。
でも、「続きが楽しみです。」が出ると、「え、この記事、続きとかないけど……」と一瞬戸惑います。
「読み直すと新たな発見があるかも?」と表示された時には、「まだ公開するだけのレベルに達していない。読み直せ」と言われているような気がして、さらに推敲を重ねて何かを発見しなければいけないのかと思い、公開をためらい続けて熟成下書きとなります。
考えすぎなのですが、どうしても毎回そう思ってしまいます。

こちらは作家でも専門家でもない、ただ日々思ったことを好きなように綴って駄文を量産しているだけの一般ピーポーなのですが、noteの画面に「執筆お疲れ様です」などと労いの言葉をかけて頂くと、なんだか一瞬、自分が編集者がついた作家先生にでもなったような心地になります。
そもそも「執筆」なんて言葉がもう、それなりのものを書いた気にさせる響きがあって、保存の際の画面の言葉が編集者からの一言のように思えるのです。

「記事を保存しました。素晴らしい出来だと思います。応募してみたらいかがですか?」

なんて出てきたら、きっといい気分です。
いやいや、おだてられて公開された記事なんてきっとダメですね。
厳しく評価されてこそクリエイター(「クリエイター」って響きにもなんだか尻込みしちゃうのですが)。
素晴らしい作品を創り出すには、生みの苦しみが伴うらしいので、厳しいアドバイスによってすぐに公開できないようにしたほうが、推敲を重ねた良記事になるのかも。

「ひとまず記事は保存しました。そのままで公開できるとお考えですか?」

「記事は保存しません。ボツです。イチから書き直し!」

こんなメッセージが出たら、永遠に公開できないだろうなあ。
やっぱり、こういうどうでもいい記事でも投稿できるくらいの、今のままのスタイルがいいですね。

作家じゃなくても、才能なんてなくても、考えて書いて、そして読んでもらって得られることもあるのです。
記事を書ける環境にあること、発表の場をいただけること、読んでくださる皆様がいること、大変ありがたく思っております。

noteをはじめて1年が経ちました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。




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