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人生ゲーム

実家に家族が集まった際に、姉がなぜか「人生ゲーム」を持ってきたことがありました。
双六で人生の様々な節目を進み、止まったマスの指示に従ってお金を支払ったりもらったりする、あのゲームです。
おかげでいい年をした大人たちが、双六に興じることになりました。

たかがゲームなのですが、これがやってみるとそれぞれの性格が出てなかなかに面白い。
姉は、ハイリスクハイリターン路線で度胸があります。ルーレットでは大金を賭けて、そして当てるギャンブラー。
不思議なことに、そういう人の方が止まるマス目もラッキーなことが多いのです。
「カラオケで100点満点! $7000もらう」とか、
「油田を発見! $80000もらう」など。

ところが、わたしは逆。
所詮ゲームと割り切ってドーンとバクチを打てばいいものを、どうしても手堅く出てしまう小心者です。
止まるマス目も、
「逆上がりできない。$2000はらう」とか、
「夜食の食べ過ぎで太りぎみ。$8000はらう」とか、支払うマスばかり。
しみったれている。
そうやって持ち金がないのに、
「アラスカでオーロラを見る。$12000はらう」
などというマスに止まって、借金を繰り返します。
そして、最後の最後で、よりによって宇宙旅行に行くマス($250000はらう)に止まって、大借金。

手形ばかりを手にするわたしを不憫に思い、母は「可哀想……」とつぶやいてくれるけれど、そんな母もゲームの一員なので「左隣の人と家を交換する」というマスに止まると、容赦なく娘の家を取り上げます。
その横では、高額紙幣を手にしてほくそ笑むわたしの夫、それを虎視眈々と狙う父と義兄。
あんまり面白いんで、あの頃、何回もやっていました。

でも、毎回負けるわたしは、勝敗の決め方にどうも納得がいきませんでした。
このゲームの勝敗は、ゴールに到着した時点で手にしている財産、手形、すべてを清算して出した金額で決まります。

人生の成功は、果たして儲けたお金の額で決まるのでしょうか?
人生を終えた時、手にした財産を持ってあの世に行けますか?
だいたい、逆上がりができなくても、夜食の食べ過ぎで太っても、実際お金は支払わないよね?
「オーロラを見る」とか「宇宙旅行に行く」とか、たとえ大金を失ったとしても、そんな経験をした人生は素晴らしいものではありませんか。
そもそも、人生のあらゆる事柄を、すべてお金に換算することが間違っている!

そんなことを、自分のしょぼい金額を計算しながら鼻息荒く訴えたところ、家族が言いました。

「じゃあ、どんな指標で勝敗を決めればいいの?」

え。
ええと。それは……。
ああ、そうだ! 
「魂の震えポイント」はどうでしょう。
魂が震えるような経験がどれだけあったかによって人生の価値が決まるとしたら? 
出費の大きいオーロラも宇宙旅行も、お金換算の人生ゲームではマイナスポイント。
でも、魂の震え換算ならプラスポイントです。
絶景を目の前にする体験、映画や小説や音楽に感動する心、恋に破れて身を削る思い、何かに挑戦して成功する喜び、あるいは挫折する絶望、親しい人とのお別れの痛みなども、みんな魂が震えるわけです。
魂の震えは、心地よいことばかりではなく、心を痛めることもあります。
でもその経験が、自分を顧みるとか、他人を思い遣るとか、結局は自分自身を鍛えて心を豊かにすることにいつか繋がると思うのです。
人生における辛い出来事はたしかに苦しいけれど、そこから何を学ぶか、どう自分を鍛えるかで、時間がかかってもプラスに転換することは可能なはず(たぶん)。
どんな経験も、長い目で見てマイナスにするかプラスにするかは自分次第。
泣いて笑ってどれだけ魂が震えて、その経験でどれだけ成長できたか、それで勝敗が決まる人生ゲームならどうでしょう。

さて、そんな「魂の震えポイント人生ゲーム」、想像してみると……。
あれ?
なんだかぜんぜん盛り上がらなそう。
「どれだけ魂が震えたか」は、「どれだけ儲かったか」に比べて、ゲームとしての面白みに断然欠ける感じ。
なんだかんだキレイゴト言うくせに、どうもゲームとなるとお金の方がテンション上がっちゃうわたし。
お金ってスゴイですね。

ゲームではない実際の人生は、魂の震えポイント重視で生きたいものです。


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