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凡人のカフェ開業 ~天才のカフェ経営を真似てはいけない~開業前1-⑦

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2015/7/2 Thu. pm9:40 

方南町交差点を環七通りを南へ
神田川を渡ってすぐの路地を入ると
竹林が壁代わりの5階建てのマンションがある。
竹の伸びたら5階建てのマンションでも
外から見えなくなりそうだが
竹が2m以上下から生えているため
竹の壁の向こうにワインレッドの壁に
大きな屋根がついた建影が見ることができる。
地域の住民から『竹館(たけやかた)』
と呼ばれていた。

この竹館の隣のアパート
『メゾン三刻』の202号室が紗季の住処だ。
メゾン三刻は1階2階それぞれ2部屋しかない。
そして202号室は竹館のすぐ隣で
竹館側の窓の景色は一面竹の壁である。
その青々しい竹をベットに横になりながら
かれこれ30分は紗季は眺めていた。


念願のカフェをだす物件が決まったというのに。






紗季が『宮畑ありす』から『山下文七』を
紹介されてから2週間経っている。

この間に2度、紗季は文七と会っていた。



初見、紗季がは文七を40代と思っていたが
話を聞くと50代半ばだそうだ。

文七はもともとあのビックバンク
『コスモス銀行』の本店次長をしていたそうだ。

銀行の本店次長と言えば
出世コースど真ん中でゆくゆくは
幹部になることが既定路線いえる役職だ

しかし出世コースに乗っていたにかかわらず
2010年にコスモス銀行を辞め
企業の金融専門のWEBマスターとして起業

本店次長の経験を活かし普通のWEBマスター
が太刀打ちできない金融や経理、資金面の
アドバイスをしつつ、
ちょうどITシステムが大幅に進化し移行が
進み始めた時期に企業に適切なWEB管理を提案。

仕組みもさることながら
セキュリティーとバックアップを重視し
企業の屋台骨を支えてくれる文七は
いまやひっぱりだこの存在だそうだ

本店次長の経験もさることながら
決してWEBリテラシーが高くない銀行で働きながら
同時に自分でITを試行錯誤しながら使い覚えたのが
山下さんの凄いところ、とありすは褒めていた。



そんな文七と次にあったのは
ありすに紹介してもらった3日後。

文七が所有している物件を車で案内してもらっていた。

場所は高円寺と荻窪と、新中野

他に文京区や台東区、墨田区江東区にも
いくつか物件をもっているらしく
紗季が望めば案内してくれるそうだったが
想定している立地ではないので丁重にお断りした。

その中でも最初から候補地として考えていた高円寺

文七と会った『流星の光』とは高円寺南口の逆側
高円寺北口純情商店街を横にずれて
路地に入ったところにある駅から徒歩7分ほどの
マンションの1階の物件が紗季にはしっくりきた。

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その日の別れ際に

『香山さんがどんな想いでカフェをだすのか
聞かせて貰った上で物件を貸すかどうか決めたい』

と文七に言われた紗季は
1週間後に指定されたお店に向かうため
神保町A7出口からすずらん通りに入る。

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そこからさらに路地に入り
そのまま直進すれば財閥系大規模ビルディングや
マンションが立ち並ぶ区域に入るが
その手前に昭和感を残す通りがあり
そこに『豆山工場ビルヂング』
と書かれた7階建てのグレー建物がある。

テナントプレートを見ると7階に
文七が指定したお店『KABO』の名前があった。

年季を感じさせるエレベーターで7階にあがると
フロアのすべてが真っ白だった。
その真っ白な空間に『KABO』と書かれた
鉄製の扉がありその横には顔認証センサーがある。
後はすべて真っ白であった。

文七に連絡しようとスマホを取り出した時
音もなく目の前の鉄の扉が横にスライドした。

こんなに軽々とこの扉動くんだ。

なんて思っていた紗季の目の前
扉の先に続く通路に一人の女性が立っていた。

黒のセミロングの綺麗な髪を頭の上に纏めており
額から綺麗に後ろに髪が流れている。
清潔なコックコートに黒の前掛けに黒のズボン。
その姿が実にしっくりきている。


『香山紗季様ですね。
山下からお伺いしております。
どうぞこちらへ』


丁寧にでも軽やかに紗季を案内するその女性は
『鳥飼』
と書かれた金属のネームプレートをつけていた。


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