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一人読書会「新記号論」vol.0

年に一度は「新記号論: 脳とメディアが出会うとき(石田英敬・東浩紀著、ゲンロン叢書)」を読み返そうと思っており、このコロナ禍&転職の機会に再読してみた。そして、いくつかのマーケティング/ブランディングへのつなぎこみができる箇所において、これまでのように頭の中で考えるだけでなく「一人読書会」という形式で書き出しておくことでより理解を深めたいと思う。

「読書会」とは前職で実践しているチームがあったのだが、テーマとなる本の章ごとに読後の意見を出し合い、その読み方の違いから理解を深めるという手法だ。知識を身に着ける優れた手法だと感じており、それの一人語りバージョンだと思っていただければありがたい。

哲学全体について、勉強不足なので誤解も多いかもしれないがgoogle検索の力も借りて紐解いていこうと思う。また、個人的な感想かつ、この本を結局は読まないと理解できない内容かもしれないが、難しいことを分かりやすくすることは自分の得意領域だと信じて止まないので、一応、読む人へのインスピレーションを意識しながら書いていきたい。

もともとこの本は、第3講義の3番目のセクション「模倣と感染」において「20世紀の資本主義とは4つの柱があり、その1つが「マーケティング」である、そして人に与えた影響はどういったものなのか?」と解説されているほど、マーケティングにも関係が深い。

また社会が21世紀のシステム(=デジタルテクノロジーによる情報化社会)によって書き換わっているのに、哲学は新しいシステムについていけてないことをこの本は危惧している。それゆえに現状ではデジタルに振り回される危険性があり、哲学をアップデートすることによって、自らを理解しなおすことが必要であるという問題提起がこの本の趣旨だ。

また「記号論」については自分が学生だった時代を最後に、つまり20世紀末をもって、時代を思考する役割を終えたことをこの本から知ることができた。それはデジタル化以前でのメディア環境を基盤に「記号」を思考したため当然の結果だが、デジタル環境を基盤にアップデートされた「記号」を思考するべき、という論は本当に慧眼だ。

そしてマーケティングに関しても「20世紀の価値観の柱であるがゆえに、20世紀の哲学を元に理解されたままだ。」というのは私の感想だ。
21世紀の哲学でマーケティングを考えた論がないために、マーケティングそのものが21世紀のシステムに書き換わっているのに、それを考えるプランナーの学問的部分がデジタルにアップデートできてないのでは?という疑問と合致した。
例えば「認知」に関する記事はその1例である。

私がこれまでの記事で書いた「記号化」「記号性を高める」の意味に関してはマーケティングという領域内における、アメリカの哲学者パース等による「記号過程(セミオーシス)」という考え方に類似点を見てとることができた。まだこれを簡潔に説明するのに語彙力が足りないのだが、実践としての「記号性を高める」の表現は間違ってないと思う。

非常に面白いのが、この過程の理解には脳科学の進歩とも関連が深いようだ。いくつかの発見があったので、ピンポイントにはなるが今後この部分でのマーケティング/ブランディングとの関連性も考えていきたいと思う。
いよいよ新しい仕事が開始するので、毎週書き進められないかもしれないが、様々なマーケティングの「メタ記号化」をこの本を起点に進めていけたらと思う。

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