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多数派と少数派の同床異夢…イラクのシーア派とヤジーディ

ヤジーディはイラクの人口の1%

イスラム教徒が多数の地域で宗教的少数派のヤジーディ。イラクには数十万人いるとされ、イラクの全人口の1パーセント程度とみられている。

ヤジーディを迫害してきたのは、いわゆるイスラム過激派あるいはサラフィー主義者と呼ばれるイスラム教スンニ派の一部過激勢力だ。特に、フセイン政権が2003年に米英の攻撃を受けて崩壊した後、現在までの十数年は、ヤジーディにとっての未曽有の受難の時期だといえる。

2014年8月、ヤジーディの居住地であるシンジャール地方がISに襲われ、多数が殺害され、多くの女性が拉致された。ISは、ヤジーディを「多神教の偶像崇拝者」であると非難。指導者バグダーディが樹立を宣言したイスラム国家には不要の存在だとみなした。

ヤジーディの居住地はシンジャール地方を含むイラク北西部に点在しているが、シンジャール地方が標的にされたのは、同地方が、ISの拠点だったスンニ派が多く暮らす地域に隣接しているという地理的要因も大きかった。

シーア派は人口の6割

一方、イラクで多数派を形成するのは、イスラム教シーア派だ。全人口の6割程度を占めるとみられている。フセイン政権はシーア派勢力を警戒し、特に南部ナジャフを中心とするシーア派宗教界を弾圧してきた。「模倣の源泉」(マルジャエ・タグリード)というシーア派宗教界で最高位の称号を持ち、信徒が従うべき模範的人物とされるアリ・シスタニ師の言動は、イラクのシーア派信徒に強い影響力を持つ。

2003年の政権崩壊で、比較的フセイン政権に近い立場にいたスンニ派は凋落し、弾圧される側だったシーア派とクルド人勢力がいわば「戦勝」側となった。占領統治を敷いた米国はフセイン政権の政権基盤であったバース党や軍幹部の公職追放を行い、一方でシーア派やクルド人勢力を登用。その後、実施された選挙では、多数派の数の力を生かしてシーア派政党が勝利し、バグダッドでの中央政治の主導権をにぎるようになった。現在のイラク政府は「シーア派勢力」に牛耳られているといっていい。

この記事の主目的は、フセイン政権下で迫害される「弱者」の立場だったシーア派と、オスマン朝時代以来、一貫して弱者だったと言っていいヤジーディが、政権崩壊後のイラク政治の構造変化の中で、「強者と弱者」の関係に変わっていく過程を明らかにすることにある。

ともに「異端」と非難され

人口の多寡はともかくとして、シーア派とヤジーディには今も変わらない重要な共通点がある。それは、どちらもイスラム過激派勢力から「異端視」されているということだ。過激派から「偶像崇拝」とレッテルを張られているのはシーア派も同じ。アリーをはじめとした預言者の係累を崇拝するシーア派を、ISをはじめとする過激派は「真の信仰を放棄した者=棄教者」だとして批判する。

民兵連合「人民動員軍」結成

2014年6月、ISがイラク北西部モスルを占領したのを受け、イラク政府は、ISと戦う兵力を強化するため、国内にあった各民兵組織などを糾合した「人民動員軍」(ハシド・シャアビー)を結成する。シーア派を敵視するISの台頭は、イラク政府にとってみずからの存亡を脅かされる危機といえた。

「人民動員軍」が結成されたのは、この国の正規軍が、士気や戦闘能力がとても低いとみられていたからでもある。給料を支払われていることになっているのに存在していない「幽霊兵士」も多かった。そんな弱体の正規軍に代わり、対ISの最前線に立つ戦闘集団として期待されたのが、「人民動員軍」という民兵連合組織だったというわけだ。ISのモスル制圧直後の6月13日に発せられたアリ・シスタニ師の「首都バグダッド防衛」を訴えるファトワ(宗教見解)がきっかけとなった。

「人民動員軍」は、約60個師団からなり、総兵力は10万人以上といわれる巨大な民兵集合体となった。多数派のシーア派の民兵組織が中核となり、スンニ派やキリスト教、そしてヤジーディの民兵の一部もその傘下に加わった。形の上では、国内の全勢力がISと対峙する「挙国一致体制」が構築された。

「人民動員軍」は、正規軍とともに、首都バグダッドまで数十キロまで迫ったISを迎撃して、徐々に北に押し戻していく。そして、2017年7月にはついにモスル奪還に成功する。

この対IS戦では、主力を担ったシーア派の民兵、兵士にも大きな犠牲が出た。戦闘による死者だけでなく、兵士・民兵がISに拉致され、殺害されたケースも少なくない。中部ティクリートの「スペイサー基地」では2015年5月、470人の遺体が見つかった。前年の6月に拉致、処刑されたシーア派兵士の遺体とみられ、その後、死者数は1500人にのぼると推計されている。

「IS後」に両者の溝広がる

ともにISに異端視されて敵視されていたシーア派とヤジーディが、対ISで同じ隊列を組むことになったのは自然なことだった。そして、どちらも大きな犠牲を出した。だが、IS掃討が完了して、「共通の敵」であるISの脅威が低下すると、両者は溝を広げていくことになる。

「多数派」であるシーア派は、自分たちの勢力拡大を露骨に追求するようになり、「少数派」であるヤジーディとの立ち位置の違いが顕著になっていく。イラクでIS掃討が一応完了し、力の「真空状態」が生まれたイラク北部で、シーア派を中核とする「人民動員軍」が、なりふり構わぬ勢力拡大に乗り出していったからだ。

ISが一掃されたイラク北部、特にシンジャール地方では、覇権をめぐってなわばり争いが激化する。単純化すると、「人民動員軍(シーア派)」「イラクのクルド勢力(クルド地域政府)」「トルコ・シリアのクルド勢力(PKK)」の3者による争いだ。彼らが奪い合ったのは、イラク国内で、ヤジーディが最も集中しているシンジャール地方だった。

クルドと共通点多く

シンジャール地方はフセイン政権時代から、中央政府とクルド勢力の間にある、一種の緩衝地帯だった。ヤジーディはクルド語の方言であるクルマンジー語を話し、春分の日を新年とする暦を使うなど、生活文化慣習もクルド人と共通する点が多い。それゆえ、民族的にはクルド人とみなされるのが一般的だ。

ISによるシンジャール侵攻当時、KRGトップだったマスード・バルザーニ氏(イスラム教徒)は、演説などで、「ヤジード教は、クルド人がもともと信じていた宗教」と再三述べて、ヤジーディとの連帯を強調し、ヤジーディに秋波を送った。

イラクのクルド人勢力、つまりイラク北部でクルド人自治を敷く「クルド地域政府」(KRG)は、ISがいなくなったこの機会にシンジャールへの浸透を拡大しようともくろんだ。

行政的には中央政府管轄

念のためにいっておくと、シンジャール地方はイラクの行政区分上、、ニナワ県に属する。ニナワ県は、イラク中央政府の担当地域であり、クルド人による自治が行われる「クルド地域」の外にある。だから、フセイン政権時代以来、中央政府とのつながりが強かった。フセイン政権時代、とりわけシンジャール地方にアラブ人の入植(アラブ人化)を進めたのも、こうした地理条件が影響しているとみられる。ヤジーディ民兵の一部が、中央政府が結成した「人民動員軍」に加わったのも、そうした歴史的背景と無関係ではない。

KRG傘下の民兵組織ペシュメルガは、2015年11月にIS奪われていたシンジャール奪還作戦の主力となった。モスル奪還作戦にも、人民動員軍ともに参加しており、ISなき後のシンジャールの支配権を獲得する権利がある、と考えたのかも知れない。

さらに、「トルコ・シリアのクルド勢力」も、IS侵攻を機にシンジャールに浸透することになった。というのも、2014年8月のISのシンジャール侵攻で、着の身着のまま逃れたヤジーディたちの一部を助けたのは、「トルコ・シリアのクルド勢力」、つまりクルド労働者党(PKK)とその関連組織だったからだ。

IS侵攻直後はPKK人気

IS侵攻の際、シンジャール地方にペシュメルガ部隊も駐留していたが、侵攻の前日、住民に何も告げずにシンジャールから撤退したとされる。これによりKRGは、ヤジーディからの支持を大きく損なう結果になり、PKKの株が上がった。

このように、少数派であるヤジーディは、ISの侵攻以降、この3者によるめまぐるしく変化する勢力図にほんろうされる結果になっている。もっとも、ヤジーディが強者にほんろうされるのは、それ以前のずっと前から続いていたいたことでもある。

そのめまぐるしい状況変化のなかで、イラク政府傘下のシーア派民兵勢力「人民動員軍」が、シンジャールでの影響力拡大に乗り出してくる。

次第にシーア派の影響拡大

IS占領直後

ISがシンジャールを占領した直後、避難したヤジーディの間では「トルコ・シリアのクルド勢力」、つまりPKKとその関連組織がへの支持が拡大した。前述の通り、シンジャールを放棄したペシュメルガへのヤジーディの信頼は失われ、窮地を救ってくれたPKKへの支持が高まったのだ。親PKKのヤジーディ民兵組織YBSが結成され、シンジャール周辺地域に駐留。ほとんど機能していない状態の国境を行き来しながら、シリアのPKK系民兵組織YPGが側面支援した。

シンジャール奪還後

その後、ペシュメルガを主力としたクルド地域政府の部隊がシンジャール奪還作戦を開始し、2015年11月に奪還に成功する。これをきっかけに、親ペシュメルガのヤジーディ、カーシム・シャショー氏が率いる民兵組織が勢いを増し、YBSとシンジャールの覇権を争うようになる。両者の間で、たびたび衝突が起きるようになった。PKKとペシュメルガは、どちらもクルド人の組織なのだが、深刻な対立が続いてきた。当初共産主義を掲げていたPKKと、イラク北部のバルザニ部族を中核とした保守的なクルド地域政府の傘下にあるペシュメルガは思想的に相いれないものがある。

モスル奪還後

そしてさらに、2017年7月、イラク軍と人民動員軍主導のモスル奪還作戦が終了すると、作戦後も残留した人民動員軍とペシュメルガの間で衝突が始まる。同年10月にイラク政府とクルド地域政府が支配を争ってきた油田地帯、北部キルクークで衝突起き、人民動員軍側の実質的勝利に終わる。

同じころ、シンジャールでも、人民動員軍傘下のヤジーディ民兵部隊がシンジャールにも進駐し、一部地域の警備を担当するようになる。力の空白を狙って、人民動員軍が勢力を拡大を狙ったものだ。

3者の影には大国

ただ、シンジャールはではその後、「PKK系民兵組織」や「ペシュメルガ」が一掃されたわけではなく、「人民動員軍」を加えた3者によるにらみあいが続いている。散発的な戦闘も発生している。

この3者の対立には、背後に地域大国や欧米の思惑も見え隠れしている。国家の代理戦争的な意味合いもあるのだ。PKK系民兵組織には欧米が比較的同情的だといえる。実際、シリアでは、米国がPKK系民兵組織も加わるシリア民主軍(SDF)を支援している。かつて共産主義者組織で、世俗主義的なPKKと欧米に一定の親和性があるのだろう。

「ペシュメルガ」は、クルド地域政府と近い関係にある隣国トルコの意向がはたらいているとの見方が強い。「人民動員軍」の動きには、イラク政府が関係を深めているシーア派の大国イランの影がちらつく。

PKKとトルコ国内で30年以上にわたり泥沼の「内戦」を続けているトルコ政府は、PKKを「テロ組織」とみなす。それゆえ、PKK系列組織がシンジャールに駐留して新たな拠点になりつつあることに危機感を募らせている。トルコ軍は、たびたびイラク領であるシンジャールに越境空爆を行った。クルド地域政府との関係を強化しようとしているのも、PKKの勢力拡大を封じ込める狙いからだ。

イラク政府が紛争当事者に

こうした紛争が絶えないシンジャールに、ヤジーディ住民が帰還しようという動きは進んでいない。

フセイン政権崩壊後、シーア派色を強めているイラク中央政府の統治能力は、とりわけ、シーア派住民の少ない地域で顕著に低下している。シンジャールがその一例だ。自派の利益だけを追求しようとする態度が目立ち、ヤジーディの立場からすると公正さが感じらず、信頼に足る政府とは感じられないのだ。

IS撤退後の混乱は、イラク政府がみずから引き起こしている側面も強い。中央政府として、混乱の収拾に努力するべきところ、その責任を果たさず、むしろ混乱を醸成する1プレーヤーとなってしまっている。傘下の人民動員軍を使って、シーア派の勢力拡大に血道をあげ、紛争を助長している有り様なのだ。

ヤジーディたちの間では、3派のうちどこを支持するか、対応が割れている。3派の民兵組織それぞれに、ヤジーディの若者が加わる。本来、イラク政府の管轄地域であるシンジャールが、3派の民兵部隊が入り乱れて争う状態になっているのは、イラク政府にその責任の第一があるといわざるを得ない。

さらに問題なのは、イラク政府にはそもそも、ヤジーディやキリスト教徒といった「宗教的少数派」に寄り添う姿勢はみられないことだ。自身もISから「シーア派の背教者政府」と非難され、攻撃の標的にされているにもかかわらずだ。

中東のの多様性維持のために

こうした状況のもとで、イラクのヤジーディの将来に明るい展望を見出すことはできない。

「(シーア派主導の)イラク中央政府とクルド地域政府の領土のとりあいを終わらせる必要がある」(ナディア・ムラードさん2018=2018年ノーベル平和賞受賞者)

自身もISの性奴隷になり、その後人権活動家としてISの暴虐を国際世論に訴え、2018年にノーベル平和賞を受賞したヤジーディのナディア・ムラードさんは7月、米ワシントンで開かれた会議でそう訴えた。ナディアさんが主張するように、イラク政府とクルド地域政府の対立が続けば、そのはざまにいるシンジャールのヤジーディに身の安全はもたらされないだろう。

また最近イラクから聞こえてくる、一部のシーア派勢力によるヤジーディを攻撃する声も気がかりだ。アラブのニュースサイト「バワーバ」によると、シーア派有力政治指導者のムクタダ・サドル師は、ナディアさんらヤジーディ活動家の訪問団が7月、イスラエルのテルアビブを訪れたことを問題視。ナディアさんらを「極端なリベラリズム」に走っているとして批判した。

イラクの政治の中心にいるシーア派勢力は、ヤジーディがISの暴虐による「最大の被害者」であることをしっかりと認識する必要がある。その上で、ヤジーディ・コミュニティの再建を支援する実効的な政策を取るべきだ。これはイラクの平和のためだけではない。

多様性の守られたイラクを維持することは、宗派的対立がくすぶる中東全体の問題の解決にもつながる。イラクの1少数派にかかわる、小さな問題ではないのだ。

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