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ヤジーディの女性兵士は、本当に「クルド万歳」と叫んだのか

東京・銀座の「シネスイッチ」で、映画「バハールの涙」をみた。ISに異端視され、我が子を拉致されたりしたイラクの少数派ヤジーディの女性たちが、女性だけの対IS部隊に加わり、我が手で故郷や我が子の奪還をめざす、というストーリーだ。

主演は、イラン人女優のゴルシフテ・ファラハニ。ベルリン映画祭金熊賞を受賞したことがあるイランのアスガル・ファルハディ監督作品「彼女の消えた浜辺」(2009年)や、リドリー・スコット監督のハリウッド映画「ワールド・オブ・ライズ」でレオナルド・ディカプリオと共演したことがある国際的な女優だ。監督は、フランス人のエバ・ウッソン氏。フランス・ベルギー・ジョージア・スイス合作。配給はコムストック・グループ+ツイン。

ゴルシフテ・ファラハニは、ヤジーディ女性部隊の隊長バハールを演じる。部隊の名前は「太陽の女たち」。これは映画のフランス語原題でもあり、ヤジーディが多く暮らすイラク北部シンジャール地区がISに攻撃された後、2014年秋に実際にヤジーディ女性によって結成された部隊と同じ名前だ。ヤジーディは古代メソポタミア文明に源流を持つとされる「ヤジード教」を信仰する人々であり、太陽を崇拝し、日に3回、太陽に向かって礼拝するならわしがある。当然、ヤジード教徒(ヤジーディ)であることを意識したネーミングである。

映画は、バハール率いるヤジーディ女性部隊が、シンジャール市を指すとみられるヤジーディの町を、ISから奪還しようと戦うシーンと、バハールが部隊に加入するきっかけになった、ISに性奴隷にされた体験の回想シーンが交互に織り交ぜられながら進んでいく。

話の設定・筋書きは、2014年にイラク北部で現実に起きたことが下敷きになっている。ただ、ところどころで少し事実と異なるところもある。もちろん、この作品は、事実を下敷きにした「フィクション」であるのだから、事実と異なっていることに特段の問題があるわけではない。

しかし、「ヤジーディはどういう人々なのか」ということを考えていく場合には、この映画での描かれ方について、現実との違いを慎重に見極めていく必要はあるだろう。ヤジーディへの理解をより正確なものにしていくためにも。

私が違和感を感じたのは、「太陽の女たち」が苦戦の末、ISが占拠する施設を奪還した時のシーンだ。バハールは、建物の上に掲げられていたISの黒旗を降ろし、「自由クルディスタン万歳」と叫ぶ。

ヤジーディは、民族的には「クルド人」と分類されるのが通常だ。彼らはクルド語の一方言である「クルマンジー語」を話し、文化や生活慣習にもクルド人と共有のものも多い。だから、このシーンで「クルディスタン」(クルド人の土地という意味)の解放を喜ぶのは、自然なことではないのか、と思う方も多いだろう。

イラクのクルド地域政府トップのマスード・バルザーニ氏(イスラム教徒)は、「ヤジード教は、クルド人がもともと信じていた宗教」だと語ったこともある。以下は2005年6月の演説だ。

ヤジーディの起源・歴史については、機会を改めて説明したいと思うが、バルザーニ氏の見方はあながち的外れではない。クルド人の大多数を占めるイスラム教徒とヤジーディとの間には、一定の親近感があることも確かである。

ただ、クルド人の大多数のイスラム教徒とヤジーディでは、異なっていることも少なくない。もちろん、宗教が異なる。また、血縁関係についても、ヤジーディはヤジーディとしか結婚できないので、両者に通婚関係は原則としてない。最近は様変わりしつつあるものの、ヤジーディは概して他宗派の人々とは隔絶した社会生活を営んでいる場合も多い。

ここで、「民族」の定義についての議論には立ち入らないが、つまり、クルド人イスラム教徒とヤジーディとしでは、実態あるいは意識の両面で異なることも少なくないといえるのだ。

こうした実情がある中で、ヤジーディ女性からなる「太陽の女たち」部隊が、ヤジーディが住民の多数を占める町の奪還を達成した際に「クルディスタン(クルド人の土地」の解放」を祝う言葉を真っ先に口にするだろうか。それは考えにくいと思う。

さらに言うと、2014年8月にヤジーディの居住地域であるシンジャール地区がISの攻撃を受けて以降は、ヤジーディのクルド人イスラム教徒、あるいはイスラム教徒が中核を占めるクルド地域政府に対する意識がさらに悪化した。

その理由は明白だ。クルド地域政府が、ヤジーディを見捨てたからだ。2014年8月3日、ISはヤジーディが居住するイラク北部シンジャール地区に攻め込む。その直前、IS襲来を察知した地域政府の治安部隊「ペシュメルガ」は、シンジャール地区から連絡もなく勝手に撤退したのだ。

もし、このペシュメルガの撤退がなければ、歴史はどうなっていただろう。シンジャール地区がISに蹂躙され、6000人とも言われるヤジーディ女性が拉致されて性奴隷にされ、改宗を拒否した数千人の男性らが殺害されるという未曽有の「虐待・虐殺」は起きなかったのではないか。

もちろん、バハールたちは、自分たちを苦しめるISと戦うというのっぴきならない理由があったとはいえ、クルド地域政府の治安部隊であるペシュメルガの軍事訓練を受け、彼らの傘下で共闘した。これは実際に現実に起きたことだ。

だが、ヤジーディ女性兵士たちの胸には、ペシュメルガへのわだかまりは決して消えていなかったはずだ。故郷の奪還にあたっての最初の言葉が「自由クルディスタン万歳」になるだろうか。

ヤジーディの女性の中には、クルド地域政府との共闘ではなく、地域政府とは対立関係にあるトルコの武装組織「クルド労働者党」(PKK)との連携を選択した人たちもいる。

ヤジーディの人口はイラク国内に数十万人程度。数百万人クルド人全体の中で少数派である。イラク全体で考えるとさらに微々たる割合だ。自力でISと戦うことができない以上、周辺のだれかの力を頼らざるを得ないのは当然だ。

歴史をさかのぼれば、ヤジーディには、イスラム教徒のクルド人に迫害されたこともある。自分たちの周辺に、信頼できる他民族・他宗派の勢力はいない。それが、ヤジーディがこの地域で生きてきた環境だ。ヤジーディが歩んできたのは、孤独で哀しい道だ。その苦難の歴史については、また改めて紹介してみたい。

ここで紹介した映画「バハールの涙」のほか、2月1日からドキュメンタリー映画「ナディアの誓い」の公開も始まる。

また、ISの性奴隷となり、その後生還したナディア・ムラードさんが体験をつづった「THE LAST GIRL」も書店に並んでいる。

イラクで起きた、そして今も続いているヤジーディ問題にぜひ目を向けてほしい。

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