ISの奴隷だった女性が、ノーベル平和賞を受賞するまで

イラクでISに拉致されて性奴隷となり、その後生還した女性、ナディア・ムラードさん。彼女のその後の「人権活動家」としての歩みを追いかけたドキュメンタリー映画が2月1日から日本で上映される。

邦題は「ナディアの誓い」。原題の「ON HER SHOULDERS」が示唆しているように、作品は、イラクの一地方で暮らしていたごく普通の20歳代女性が、民族存亡を左右する大きな責任を背負っていく状況を描く。

宗教的少数派ヤジーディ(ヤジディ、ヤズディ、ヤズィーディなどの表記も)として生まれたがゆえに、ナディアさんは自らもISの囚われの身となった。2014年8月。ISがイラク北部モスルを攻め落とし、イスラム国家の樹立を宣言して約1か月後のことだった。

ヤジーディが信じるヤジード教(ヤジディ教などの表記も)は、いわゆる「民族宗教」である。ヤジーディ以外の人が新たに信者になることはできないし、反対にヤジーディの家に生まれた人は、ヤジード教徒になる以外の選択肢はない。イスラム教徒、キリスト教徒をはじめとした異教徒と結婚すればは、棄教を意味し、ヤジーディ・コミュニティから追放されるのが伝統的なしきたりだ。

ISは多神教と決めつけて迫害したが、ヤジード教は一神教という評価が一般的。古代メソポタミアの信仰に起源をもつといわれる。太陽に向かって祈りを捧げ、「孔雀(くじゃく)天使」を神の使徒として崇拝する。

付近で暮らすイスラム教徒と一定の共存があったことは確かだが、ISばかりでなく、この地域のイスラム教徒の多くから、異端・邪教視されてきた。2014年8月のISの攻撃にあたっては、一部のイスラム教徒住民の協力があった、とヤジーディたちは信じている。

難民として世界中に離散したヤジーディの救済と、ISの犯罪を「ジェノサイド」として裁くよう訴える彼女を、ムラード・イスマイル代表率いる国際NGO「ヤズダ」や、国際人権弁護士でハリウッドスターの妻、アマル・クルーニーさんが支援したことで運動は拡大し、人口50万人ともいわれるヤジーディの存亡が、20歳代の女性の双肩にかかるという、尋常ではない事態になっていく。にも拘わらず、ナディアさんは、スピーチのスキル、英語力などを驚異的なスピードで吸収するとともに、驚異的な精神力で、ハードスケジュールの世界行脚を続けていく。同胞を救いたい、という信念の強さゆえ、なのかもしれないが、驚くほかない。


イラク北西部ニナワ県のコチョ村という片田舎で生まれ育ち、村に美容室を開くのが夢だったという女性が2016年9月には、ついに国連親善大使に就任。翌月には、欧州議会が制定する人権賞「サハロフ賞」を受賞。

さらには、各国首脳が集う国連総会の場で演説する、というところまでステップを駆け上がる。ギリシャの難民キャンプでは、命からがら欧州まで逃れたものの、過酷な環境で避難生活を送るヤジーディの悲痛な声を聞く。いつのまにか、自分が背負うものがどんどん大きくなっていくことに、ナディアさん自身、困惑し、無力感も感じる。

ナディアさんは、目の前にいる困窮する難民たちを少しでも助けることをまず優先させるべきではないか、と悩む。しかし、時間はかかっても国際社会を動かして、ヤジーディを救援し、ISを裁くため、大きな波をおこすことに注力するほうが、より多くを救えるのでは、と考える。

1人の女性がここまで重荷を背負い込まなければならない、そんな事態に、なぜなってしまったのか。彼女が国連総会演説でも批判したように、この問題で、国際社会や当事国があまりに無策であったから、という指摘は避けられない。わずか50万人の少数民族は、複雑な利害が交錯する国際政治の構図に巻き込まれ、民族離散状態でなかば放置された状態に置かれてしまった。この点は、また改めて詳しく書きたい。

映画には、ヤジーディが今後、どのように自分たちのコミュニティを存続させていけばいいのか、その方策について議論する場面も織り込まれる。ギリシャのレストランで、国際刑事裁判所(ICC)元検察官のアルゼンチン人、ルイス・モレノ・オカンポ氏を交え、「ヤズダ」のムラード代表とナディアさんが議論する。「(イラク北西部の)ヤジーディの故郷をもう一度再建するしかない」と、オカンポ氏は主張するが、すでに大多数が故郷を離れ、いまだ帰還のめども立っていない状況であり、その道筋はまったく見通せていない。現実をよく知っているムラード氏とナディアさんの表情は暗かった。

イラクなどによる軍事掃討作戦で、ISの支配地はほとんど消滅したにもかかわらず、捕らえられた数千人のヤジーディ女性はいまだ行方不明。イラク政府と複数のクルド人勢力間の勢力争いのはざまで、ニナワ県の故郷は破壊されたまま、復興は進んでいない。

ナディアさんへのノーベル平和賞授与という追い風もあり、今回、「ユナイテッド・ピープル」配給で、日本公開が決まった。2月1日から東京・吉祥寺の「アップリンク吉祥寺」をはじまりに、全国で上映されるという。

監督のアレクサンドリア・ボンバッハさんはエンド・ロールに、この作品を「ヤジーディに捧ぐ」と書いて、ヤジーディへの深い共感・連帯を表明していた。これをきっかけとして日本でも、ヤジーディたちが置かれる現状への関心がさらに高まってほしい。ヤジーディの伝承によると、7世紀以降72回、迫害を受けてきたという。彼らの受難の歴史に終止符が打たれることを願いたい。(おわり)

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モタシャッケラム!(ペルシャ語で「ありがとう」)
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中東の少数派ヤジーディ

古代メソポタミアの信仰に源流を持ち、長くイスラム教徒などの迫害を受けながら、独特な宗教グループとして存続してきたヤジーディ。日本でほとんど知られとこなかった少数派を通じて、中東・オリエント地域を新たな視点から見直してみる。
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