中東の少数派「ヤジーディ」の呼称に表れる偏見と差別の歴史

外国語の固有名詞などを日本語でどう表記するかは、とても悩ましい問題だ。異なる音を持つ言語を、完全な形で別の言語に置き換えることには、おのずと限界があるのも確かだ。だから、「絶対にこうあるべきだ」という唯一の表記があるわけでもない。

そうした限界があることは承知の上で、「では、どうするのがいいのか」、根拠をなるべく具体的に記しながら考えてみたい。このマガジンで連載を続けている、中東の少数派宗教集団「Yazidis」を日本語でどう表記についてである。

あふれる様々な表記

私が現在のところ、採用している表記は、宗教名としては「ヤジード教」、宗教集団、あるいは信徒としては「ヤジーディ」である。

日本語では他に、宗教名としては「ヤズィード教」「ヤズディ教」「ヤズィーディ教」、宗教集団をさす場合に「ヤズィーディ」「ヤズディ」「エズディ」などがある。

まず宗教集団の表記をみていきたい。

私が採用する表記「ヤジーディ」は、英語のYazidi(英語ならば複数形Sがつく場合が多いかも知れないが)の発音を日本語に落としたものに近い。英語では、「Yazidi」あるいは「Yezidi」という2通り(「a」か「e」か)で定着している。

この英語表記は、おそらくアラビア語表記を参考にして決められたものではないかと思われる。アラビア語で「ヤジーディ」は「يزيدية」。日本語にすると「ヤジーディーヤ」という表記がその発音に近い。「ヤジーディーヤ」は、女性名詞である「ヤジード」の形容詞変化形。英語でYazid(ヤジード)を形容詞に転換する場合、例えば「Iraq」が「Iraqi」になるように「Yazidi」とするのはそれほど不自然ではないように思える。

つまり、「ヤジーディ」という日本語表記は、英語とアラビア語の表記を意識したものといえる。「ヤズィーディ」「ヤズディ」といった、最初の文字を「ヤ」と表記するものも、同様だと考えてよい。

クルド語では「エズディー」

ところで、ヤジーディが日常的に使っているのは、おおむねクルド語のクルマンジー方言である。これは、イラク、シリア、トルコ、イランなどにまたがるクルド人が多く暮らす「クルディスタン」と呼ばれる地域のうち、西部(細かくいうと、チグリス川支流の大ザブ川より西)で使用されている方言だ。迫害を逃れるために欧州やアルメニアなどに移動した人々を除けば、ヤジーディの居住域はクルマンジー方言圏におさまる。

そのクルド語クルマンジー方言で、ヤジーディは「Êzîdî」と書く。この発音を日本語で表記しようとすると「エジーディ」とか「エズィーディ」となるだろう。ヤジーディが使う言語で、「エジーディ=Êzîdî」であるなら、日本語でもそう表記するのが自然ではないか。これは、ひとつの有力な考え方だろうと思う。実際、ネット検索をしてみると、「エジーディ」を採用している人もいる。

となると、「ヤジーディ」と表記の妥当性が、どうしても問われてくることになる。アラビア語ではなぜ、「エジーディ」でなく、「ヤジード」の形容詞形「ヤジーディーヤ」で呼ばれているか。由来は諸説あるようだ。ひとつは、古代ペルシャ語で「神」を意味する「ヤザダ」からきているというもの。もうひとつの有力な説は、歴史上の人物名からきているというものだ。

由来は悪名高いカリフ?

その人物とは、ヤジード・イブン・ムアーウィーヤ(647-683)。イスラム教草創期である7世紀のウマイヤ朝第二代カリフだったアラブ人である。
初代カリフは、ヤジードの父のムアーウィーヤ。シリアの総督を務めた人物だ。その息子がヤジードである。
では、そのヤジードとは、どんな人物なのか。
時代は預言者ムハンマドの死から約半世紀。預言者の血をひくいわゆる「正統カリフ」の時代が4代で終わり、シリア総督であるムアーウィーヤ、すなわちヤジードの父がウマイヤ朝をうち立て、カリフに就任する。そのムアーウィーヤの後継カリフとなったのが、息子のヤジードだった。ヤジードは、最後の正統カリフであったアリーの息子、フセインと対立する。ヤジードの軍は、イラク南部カルバラの地にフセインを追い詰め、フセインを殺害する。
こうした経緯から、フセインやその父アリーを崇拝する人々、彼らはのちに「シーア派」と呼ばれる宗派を形成する。シーアはフセインの仇として、ヤジードをとても嫌悪するようになった。

一方、ヤジードは、イスラム教の主流派であるスンニ派からも、とても評判の悪い人物だ。スンニ派の側もフセインの人徳を認めており、徳のある人物を殺害した人物としてヤジードを非難する傾向が強い。フセイン殺害後、ヤジードが、ウマイヤ朝に対する反乱を鎮圧しようして、現在のサウジアラビア・メッカにあるイスラム聖地、カーバ神殿を戦火に巻き込み、炎上させたことも、ヤジードが宗派にかかわらず、イスラム教徒から批判を受ける理由にもなっている。

つまり、ヤジードは、イスラム教のスンニ派からもシーア派からも嫌われていた人物といえる。アラビア語で「ヤジード」の形容詞形である「ヤジーディーヤ」は、「ヤジードを支持する人々」といった意味になる。宗教名を「ヤジード教」と記すのも、「ヤジーディ=ヤジードを支持する人々」という発想が前提となる。

アラブ人イスラム教徒たちは、異教の宗教集団を「ヤジーディーヤ」と呼んでいた。その呼称が「ヤジード」由来であるとすれば、宗教集団をどのようにみなしていたかは明らかだろう。

12世紀、アブドルカリーム・サマーニーという人物が著した「キターブ・アンサーブ」には、ヤジーディについて「彼らはヤジード・イブン・ムアーウィーヤを信仰する」と書かれている。さらに14世紀にアブ・フィラース・アブドラ・イブン・シービの手稿にも、同様の記述があったという。シービは、「彼らは悪魔に惑わされ、ヤジードを愛している」とも書いている。

ただ、ヤジーディ側の資料に、ヤジード・イブン・ムアーウィーヤとの関連性を示唆するものは見当たらない。ヤジード教には聖典が2つあるが、そこにもヤジードの名前は登場しない。

ヤジーディたちが、かつて「ヤジード支持者」であるというのは史実なのか。「ヤジーディーヤ」という呼称に妥当性はあるのか。今となっては、明確な答えを出すのは難しいかも知れない。

「ヤジーディ」に抵抗感

英語で「ヤジーディ」、アラビア語で「ヤジーディーヤ」という呼称は、現在、相当定着している。だが、ヤジーディの人々は、自分たちがヤジーディと呼ばれ、ヤジード・イブン・ムアーウィーヤと結びつけられて語られることに抵抗感を持ち続けている。

ヤジーディたちは元々、自分たちをヤジーディと自称することはなく、「ダースィン」と呼んでいた人も多かったようだ。ダースィンとは、トルコ東南部のハッカリ地方にあったクルド人王朝の名前である。

もちろん、ヤジーディがかつて、本当にヤジードの支持者だった可能性はある。

ヤジーディたちが本当に「ヤジード支持者」だったかどうかの事実認定は置いても、時代が移り、ヤジードと結びついた「ヤジーディ」という呼び名で呼ばれたくはない、と思っている人は少なからずいることは確かだろう。

ただ一方で、「ヤジーディ」「ヤジーディ」という呼び方は、クルド語圏以外では「他称」としてはほぼ定着していることは確かだ。

「ジプシー」呼称と同じ根

これは、欧州などを移動して生活する「ジプシー」の呼称問題とも共通点がある。「ジプシー」は差別的な他称だとして、1970年代から、彼らの自称の1つである「ロマ」という呼び方に変えるべきだと提唱され、公的機関もこれを採用するという動きがあった。

「ヤジーディ」という表記にも、アラブ人イスラム教徒などによるヤジーディに対する「偏見」「差別意識」のようなものが内包されている可能性が高いといえる。そのことは、ヤジーディという少数派宗教集団を考える上では、自覚しておいたほうがいいように思う。

■人名の「ヤジード」について、日本では「ヤズィード」という表記もあるが、ここでは「ヤジード」を採用した。「ヤズィード」表記に、原音を区別するためという理由があるのは理解しているが、「ズィ」が日本語としては定着しているとは言えない発音であるというのが主な理由。「ヤズィーディ」ではなく「ヤジーディ」としているのも同様の理由。









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カフェバグダッド

中東(オリエント)の奥行きの深さを、文化、歴史を交えて日本に紹介していきたいと考えています。近くて、遠い、両者の関係を深める助けになるんじゃないかと思います。旅をしている気持ちになれるようなエッセイも、トラベル情報を織り込みながら書いていきます。

中東の少数派ヤジーディ

古代メソポタミアの信仰に源流を持ち、長くイスラム教徒などの迫害を受けながら、独特な宗教グループとして存続してきたヤジーディ。日本でほとんど知られとこなかった少数派を通じて、中東・オリエント地域を新たな視点から見直してみる。
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