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蘭州ラーメンから見える、この広くて複雑な世界の断面(後編)

フェイスブックで、「友人の友人」が書き込んでいた、東京・本郷の蘭州牛肉麺についての情報を見て、俄然、その店に行ってみたくなった。店名がムーサであることも気になる。ムーサは、キリスト、イスラム、ユダヤの3大啓示宗教に共通の預言者で、旧約聖書では、「十戒」を授けられたことで知られるモーゼのアラビア語読みだ。

その友人は、さらに衝撃的なことも書き込んでいた。

ウィグル人に聞いたんだけど、中国麺の全てのルーツは本当はサラール族なんですってよ。ウィグルは違うよと断言してました。

えっ?すべての中国麺のルーツはサラール族にあるっていうの? 情報の源は、千葉県内のハラールショップに勤めるウイグル人店員だという。

サマルカンドから移動説

ネットで少し調べてみると、サラール族は、蘭州がある甘粛省の隣、青海省の循化サラール族自治県に多く暮らしているイスラム教徒らしい。中国のイスラム教徒というと、ウイグル語を話すチュルク系の「ウイグル人」や、民族的には漢民族とされる「回族」が有名だが、サラール族は、それらとは別の少数民族らしい。チュルク語系のサラール語を話すといい、元々、中央アジアの「華の都」サマルカンドにいて、東へ移動してきたという説明もある。

循化には、こんな美しいモスク(中国では「清真寺」と呼ぶ)もあるようだ。

中国麺の源流については諸説あり、いまも確たる定説はないようだが、サラール族が、麺の発祥地と言われることもある中央アジアから来たことが、ルーツといわれる理由にあるのだろうか。

東大・赤門近くで牛肉麺

本郷の蘭州牛肉麺展に行く日は月曜の夜と決めた。その日は4月から習い始めたクルド語の授業が、本郷の「東京外国語大学・本郷サテライト」であるからだ。授業を終え、急いで、東大の赤門にほど近い、本郷通り沿いの店へ向かう。

横長の緑色の大看板に「蘭州牛肉拉麵」の文字。その左に緑の新月マークにアルファベットで「Musa」、漢字で「穆撒」の文字。漢字はどうやら「ムーサ」と読むようだ。イスラム法的に合法な食品であることを示す「halal」の文字もある。

主と思われる緑色のスカーフをかぶった女性が忙しく動きまわっている。入り口の前からのぞいていると、「いいから入って」という感じで手招きされる。

メニューは写真入りでわかりやすい。蘭州牛肉ラーメンは、麺の種類で「普通麺」「太麺」「平麺」「毛細」の4種類で、味付ゆで卵もついて880円。しかも大盛りでも金額が同じ。蘭州ラーメンとしては、かなり安いほうではないか。

主人に「平麺」を指差して待つ。6つほどのテーブルに散らばるように客が5,6人。奥の部屋もあって、客がぱらぱらといる。キッチンでは、男性が麺を伸ばしたり叩いたりしていた。

料理を運ぶため私の横を通り抜ける女性に「サラール? サラール?」と聞いてみる。しかし、「何を言っているかわからない」というような顔をされる。

入り口に近いテーブルで、小さなケバブのような串焼きと、肉まんのようなものを交互に食べている男性が「通訳しましょうか?」と助け舟を出してくれた。日本語がとても流暢だったが、外国人のようだった。

やはり、サラールから来た

男性に中国語の通訳をしてもらって、聞き取った彼女の発言は以下のようなものだった。

・自分たちは青海省循化サラール自治県から来た。
・中国語とサラール語を話す
・自分たちは「トルクマン」である
・「回族」と「サラール族」は違う民族である。

「トルクマン」というのはオグズとも言われるテュルク系民族の名前。サラール族は、24あるトルクマンの氏族の1つ。トルクマンの氏族には、セルジューク朝やオスマン朝を建設した氏族もいる。まさにシルクロードの興亡の歴史の主要民族だと言える。

滋味深いスープ

注文したラーメンがテーブルに置かれた。味付ゆで卵は、から付きのまま別皿に乗せて添えられていた。殻をむいて、麺の上に乗せる。


麺は言わなくても大盛りにしてくれたようだ。汁がはねないよう、慎重に麺を箸で持ち上げ、一気にすすりこむ。かみごたえがあり、咀嚼していると、じわじわと味わいが届いてくる。ちょっと甘辛い感じの薄切り牛肉の醤油煮、味のしみた大根。スープは牛骨のダシが効いていてじわじわとうま味が舌に伝わってくる。今まで食べた中で最も印象的だった蘭州ラーメン、「ザムザムの泉」のものと共通しているものが多いと感じた。

ユーラシアに一大歴史を築いたトルクマン民族の一氏族が作るラーメン。それを東京で食べる。なんとも贅沢なことではないか。一足先に、店のことをツイッターでつぶやいたら、埼玉県の西川口中華街の関係者とみられる方から、コメントがあった。

循化サラール族自治県、お隣は蘭州ラーメンのもう一つのふるさと青海省化隆ですね このあたりが出自のお店は、汁麺もいいけど拌麺が美味しい
この本郷の穆撒さんもモチモチの拌麺美味しいです

「蘭州ラーメンのもう一つのふるさと」という場所があるのか…それが、青海省の化隆という街なのか…「蘭州人が作らない蘭州ラーメン」があるというのか…

武器密造と蘭州ラーメン

とブツブツつぶやきながら、ネットで調べていたところ、こんな記事に行き当たる。銃密造を主産業にしていた化隆が、今は中国国内でもっとも多く蘭州ラーメン店を経営している最大勢力だというのだ。

日本の蘭州ラーメン店を営んでいるのも、実は蘭州人ではないのだろうか。さまざまな疑問が浮かんでくる。青海省のサラール人が作る蘭州ラーメン。その隣の蘭州ラーメン店を大量輩出している同省の化隆という街。滋味深いラーメンの背後にあるユーラシア大陸の歴史にさらなる興味をかきたてられた。探究はまだ始まったばかりと思った。(おわり)

前編はこちら:


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