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ISとの間に生まれた子供たちを、ヤジーディ社会は迎え入れるべきか

「ヤジーディ」とも呼ばれる、中東の少数派宗教「ヤジード教」の信徒たちの社会生活には、他の宗教と異なる大きな特徴がある。

「ヤジーディ同士でしか結婚できない」という決まりだ。男女にかかわらずヤジード教信徒が、イスラム教などヤジード教以外の人と結婚しようとした場合、ヤジーディ社会から追放される。はっきり言ってしまえば、ヤジーディ社会に、ヤジード教徒以外の居場所はないということだ。個々のヤジード教徒からみれば、彼らは、ヤジーディ社会以外に身を置く居場所がない、ということでもある。

こうした原則は、800年以上の歴史を持つヤジード教が、宗教集団としての強固な結集力を維持するために続けられてきたものなのだろう。異なる宗教の信者、とりわけ地域で多数派のイスラム教徒との結婚を認めれば、数で圧倒的に少ないヤジーディは、たちまちイスラム社会に飲み込まれてしまう、という危惧もあったことは予想できる。

だが、少数派宗教集団の伝統は今、大きく揺れ動いている。ISに拉致され、性奴隷にされたヤジーディ女性が産んだ子供たちの処遇問題がきっかけだった。

まず、ここまでの経緯を簡単に振り返ろう。イラク北西部シンジャールに暮らしていたヤジーディが、ISの攻撃を受けて、6000人以上の女性たちが拉致されたのは2014年8月のことだ。その後シリアなどに連行され、IS戦闘員の性奴隷にされた。

ISは、欧米の空爆やクルド人部隊の軍事作戦もあって実効支配領土を減らしていき、2019年2月にはイラク、シリア両国のIS拠点がすべて壊滅した。イラクのクルディスタン地域政府(KRG)によると、拉致された女性のうち、2992人は依然として行方不明だが、一部はISの手から逃れ、家族のもとに帰った人もいる。

ここで帰還(しようとしている)女性とその子供たちの処遇がクローズアップされることになる。大きく分けて2つの問題がある。

ひとつは、「性奴隷にされた女性をヤジーディ社会が受け入れるか否か」である。ヤジーディ社会は周辺のイスラム教徒の社会と同様に、男女の関係に関して、非常に保守的な社会である。女性たちに非はないとはいえ、女性たちをイスラム教徒によって「純潔」を奪われた人々とみなして、批判的にとらえる感覚があることは否めない。

加えて、そもそもヤジーディ社会は、ヤジーディ以外との結婚を認めていない。もちろん、彼女たちはIS戦闘員の性奴隷にされたのであって、結婚したわけではない。だが、そうした異教徒との関わりにヤジーディは、特別な否定的感情を抱く。「ヤジーディ同士でしか結婚を認めない」、しかも「ヤジーディ同士であっても婚前交渉は認めない」という極めて保守的な原則を維持しているからだ。

そうしたヤジーディ社会の空気を察したのか、ヤジード教の宗教権威であるバーバー・シェイフ氏は2014年9月に宗教令を出し、ISに性奴隷にされた女性たちを、ヤジーディコミュニティが暖かく迎えるよう呼びかけた。

宗教トップの号令には、ある程度の効果はあったとみられているが、それでも女性の中には、社会や家族の冷たい目を感じて、故郷に戻ることができず、NGOなどがシリアなどで運営するシェルターで暮らす人もいるようだ。

2つ目は、女性とIS戦闘員との間に生まれた子供たちの処遇だ。

すでに述べたように、ヤジーディ社会は、ヤジーディの父母の間に生まれた子供しか、ヤジーディと認定しない。この原則からすると、ヤジーディ女性とイスラム教徒の間の子どもは、ヤジーディと認定される資格を持たないことになる。

またイラクの法律には、「父親がイスラム教徒なら、子供もイスラム教徒とみなす」との規定がある。この点も、IS戦闘員男性とヤジーディ女性の子供をヤジーディ社会が簡単に受け入れられない背景にある。

この問題については、ヤジード教という宗教の根幹をめぐる議論となるため、宗教権威もどう答えを出すべきか迷いもあったようだ。それは、ヤジーディ宗教界の最高機関である「精神評議会」の迷走ぶりにも表れている。

同評議会はまず、2019年4月24日に最初の声明を出す。この声明は、女性とIS戦闘員との間に生まれた子供たちの処遇について、具体的な言及はなかったものの、「彼らの(ヤジーディ社会への)帰還を受け入れる」ことを表明したと、多くの人が解釈する内容だった。

この表明に対し、国際機関や国際人権団体は相次いで支持を表明した。

英紙ガーディアンによると、国連機関のユニセフのジュリエット・トーマ氏は「子供は(どんな子であっても)子供であるという原則に沿った決定。歓迎する」と歓迎した。

国際人権団体「ヒューマンライツウォッチ」のベルキス・ウィル・イラク担当上級研究員は、IS戦闘員との子供を産んだ女性たちがコミュニティへの帰還を前に「子供は歓迎されないだろう」と考えて、孤児院に預けたりした者もいた」と指摘した上で、「(女性たちは)どんなに辛かったことか。この声明は待望されていたものだ」とのコメントを出した。

しかし、それから3日後。評議会は新たな声明が出す。先の声明は、「(ISによる)レイプで生まれた子供たちの受け入れを意味するものではない」との考えを示したのだ。

「IS戦闘員との子供については、受け入れるとは言っていない」と釈明するもので、事実上、最初の声明を取り消したものだった。

元性奴隷で、2018年のノーベル平和賞受賞者のナディア・ムラードさんの活動を支援したことでも知られる国際NGO「ヤズダ」の事務局長、ムラード・イスマエル氏は、声明が取り消された背景について、イラク・クルド地域のテレビ局「ルダウ」に対し、以下のようにコメントした。

「ヤジーディ・コミュニティ内の政党、宗教界、部族などの勢力の一部からの強い反対があったためだ。多くの人々には、(子供たちの受け入れは)ヤジード教の規範から明らかに逸脱するものだと映った」

ヤジーディの伝統層には、異教徒の子供をコミュニティで引き受ける用意はなかった、ということだろう。自分たちを殺害したり拉致したりしたIS戦闘員の子供を迎えることへの、理屈ではない感情的な反発もあっただろうと推測できる。

評議会の決定は、人権の見地からみると、決してほめられたものではないのかも知れない。だがそれは、イスラム教が多数派を占める地域で長年、少数派として自分たちのコミュニティを守るためにヤジーディが選択してきた慣習に根差したものであり、そういった意味での重みもある。白なのか黒なのかと簡単に論じられるものではない。

米公共ラジオ「NPR」(電子版)は5月9日付で、モロッコ人のIS戦闘員との間に生まれた2歳の男の子をシリアに置いて故郷イラクに帰らざるを得なかった22歳のヤジーディ女性の悲嘆を伝えている。

この女性には、ヤジーディの夫との間に生まれた5歳の娘もいる。夫はISに殺害され、もういない。

「私は娘と同じように息子を愛しているのに、両親は息子を受け入れようとはしない」。女性はすすり泣きながら語ったという。

ヤジーディ支援を行うNGO「ジョイントヘルプ・フォー・クルディスタン」設立者のニマーム・ガーフーリ氏は言う。

「(ISとの間に生まれた)『拷問などISから受けた恐怖の体験を思い出すから』と言って、『子供と一緒にいたくない』と語る女性ももいる。しかし一方で、子供に母としての愛を抱き続ける者もいる。そうした女性たちのために、我々は、母子が一緒に暮らせるよう、努力しなければならない」。

シリアで、イラクから拉致されたヤジーディの支援をしている同胞ヤジーディ組織によれば、母とともに帰郷を許されない子供たちは、シリアのクルド人民兵が運営する孤児院に預けられることになるという。

この女性は結局、5歳の娘とともにイラク北部の故郷に戻っていった。2歳の男の子はシリアに残され、シリアのヤジーディ一家のもとに預けられ、正式な里親が見つかるのを待っているという。

ISの性奴隷にされるという想像を絶する苦しみを味わったヤジーディの女性たちとその子供たち。自らが属するコミュニティーの伝統の壁にはばまれたことで、さらなる苦しみを受けている。

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