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エジプト生まれの捨て猫きょうだいは、いかにして日本にやって来たか

砂漠の国、というイメージが強いエジプトという国だが、首都のカイロは、街のど真ん中をナイル川が流れ、場所によっては街路樹がうっそうとしげり、緑と水にあふれた大都会である。

だから、野良猫もたくさん生活している。不妊・去勢などがひろまっていないということもあるのだが、街を歩くといたるところにいる。

野良猫たちとの出会いは、それはそれで、街歩きの楽しみでもあるのだが、猫をめでる、とか、そういう気楽なものではなく、本当にのっぴきならない、出会いというのもある。

カイロの街を歩くと、猫の「生と死」をまのあたりにする。車にひかれた猫の死骸を目にするのも日常なら、生まれたばかりの赤ちゃん猫が、砂にまみれた路上が母親のおっぱいを吸っていたりしているのも日常だ。

私がエジプト猫と出会ったのも、そんな混沌としたカイロの路上でだ。

2014年の7月の暑い日の朝。仕事場に行こうと自宅マンションを出たら、ブロックを敷き詰めた歩道の上の果物出荷用のかごの中で、3匹の猫の赤ちゃんがすやすや眠っていた。まだ目もあいていない。とりあえず、家にいたパートナーにスマホで撮った写真をメールで送って出勤した。

この段階で、この猫たちの、その後の運命はだいたい決まったのかも知れない。エジプトの夏の日差しは強烈だ。放置したら、昼までこの猫たちの命はもたない。

かくして、3匹の猫がわが家にやってきた。実は、家にはすでに、以前、イラン・テヘランで暮らしていた時に拾った元野良猫のにゃーこがいた。これで4匹の猫と暮らすことになった。

もちろん、最初は固形物は食べられない。ミルクを哺乳瓶にいれて与えた。

その後、離乳食に。毛並みもだんだん整っていくと、3匹の見た目が随分と違うことに驚いた。捨て猫なので、本当にきょうだていなのかは分からない。ただし、猫の場合、きょうだいでも、柄や色が異なることは割と普通のことらしい。

名前は喜美(ヨシミ、オス)、小梅(コウメ、メス)、寛平(カンペイ、オス)とつけた。喜美の腹が張って腸閉塞ではないか慌てたこともあったりしたが、すくすくと育った。

そして1年半。2016年春、私たちが日本に帰ることなり、一緒に連れて帰ることにした。

エジプト猫とイラン猫計5匹の日本渡航記はまた改めて書く機会もあると思う。「史上最大の作戦」と呼んでいるぐらい、大がかりなものだった。あれ、4匹じゃ、と思ったかも知れないが、この理由も、またのちほど。

大型ケージに1匹づつ収容して、3匹を貨物扱い、2匹はソフトケージに入れて客室に同行。

使ったのは、ルフトハンザ航空便。フランクフルト空港でトランジット。

24時間ほどの長旅だったが、なんとか成田空港に到着した。動物検疫も無事にパス。これも改めて書く機会があるかも知れないが、事前の手続きをしていたので、動物検疫所での係留されることもなかった。

こうして今、3匹のエジプト猫は日本で暮らしている。もう、エジプトの土を踏むことは、おそらくないと思う。エジプト発・日本行きの片道飛行。ヨシミ、コウメ、カンペイの旅は、それで終わるのだろうと思う。

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