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鍋日記(3)

本日10月29日、日曜日。カルボ蕎麦。
ここまで来るともはや鍋じゃありません。一回でも煮込んだら鍋ってことにしちゃおうか。

今年になって何回カルボ蕎麦を作ったっけ。そろそろチーズを取り過ぎを気にして終わりにしなきゃと思えどまた作ってしまった。一週間ぶりのカルボ蕎麦にワクワクが止まらない。

健康を気にしてパスタではなく蕎麦。ベーコンではなく無塩せきのハム。生クリーム代わりに牛乳。少量の米油とバター。一番重役なのは意外にもコンソメ粉末。キャベツやタマネギをたくさん入れるから蕎麦は半束でいい。むしろ野菜の方がスープをたくさん吸ってくれるので実はこっちのほうが美味い。

写真が悪いね … 。

未だ苦戦しているのは蕎麦のゆで時間と卵を入れる瞬間の火加減。
蕎麦はすこし早めに上げてちゃんと冷水で切る。
卵はすぐ固まるので火を止めてからが良いみたいだけど、なるべく火を通したくなっていつもそこでせめぎ合っている。

今日やっと念願のパルメザンチーズ買った。あれが置いてあるだけでお洒落になったよね。岡奈なな子ちゃんがそんなこと言っていた気がする。最近好きな遊びは岡奈なな子ちゃんごっこ。独り言呟きながら料理して本人のYouTubeを見ながら食べるという遊び。家(うち・アパート)は築年数が古いのでちょうどそれっぽい。暗くなってくると腹も心も空いてくるから帰り道はそれを楽しみに急ぐ。




もう街のあちこちでハロウィンをちらつかせている。11月か、大学生の長い長い休みまで残り1ヶ月半。休みに入る前までに終わらせなきゃならないことがある。それがなんなのか、あまり書きたくない。珍しく秘密ノートにすら書いていなかった。秘密ノートを始めるずっと昔からある問題だからそれもそうなのかもしれない。あまりに大きくて広くてすでにもう日常に溶け込んでいたみたい。そんなんだから人にもちゃんと話したことがなかった。誰かに理解してもらうだけの言葉を用意することができないのはさておき、これに共感を得ても良いことはないので自然な流れなんだろう、たぶん今のところは。あるよね、こういうこと。それでこんな気持ちを表す一言もわりとある。四方八方、ふがいない、居心地が悪い、肩身が狭い、などなど。

 あー・・・やめようやめよう、過去に持って行かれる。今、あーでこーでと片っ端から書き殴るのは違うよね。あまり見つめすぎちゃいけないこともある。先日届いた親友からの手紙にもちょうどそんなことが書いてあった。良いタイミングで背中を押してもらってすっかり目が軽くなった。
 本当はどうなりたいのか頭でちゃんと描いているのにそこに辿り着くまでの方法がわからないことはしょっちゅう。「それでも一つ一つの答えを地道に見つけていくのは人間のありきたりで刺激的で、ささやかな生きがいなんじゃない?」と恰好つけて気楽なこと言ってみる。でも嘘じゃない。普段から嘘は言わない、言い方を変えているだけ。
 悲しいことに取り返しのつかないくらい過ぎ去ってしまっても、どうなりたかったのかなって仮定法「もし~なら」で思い描いて、そういうつもりになっていれば自分だけは一瞬そこに留まることができる。例えるなら映画や小説の世界観に浸る、みたいな。人からはそう見えなくても短い間、それは永遠になる。

「もし、体を忘れなかったなら。」
「もし、心だけの存在にならず居れたなら。」

なんとか今年までに体を完全に取り戻したい。まだ間に合う。何に間に合うのかこれといった説明できないけど、もっと自由になれる。するといつもの日常がもっと美しい物に映る、そんな世界観を生きる人は綺麗に決まっている。もうとにかく迫っている。!明日も美味しいご飯を作ろう。


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