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「旅感」をもとめて パート4

9月26日の夕方、喜茂別町の廃校を改装したライダーハウス&カフェ、「雪月花廊」へと到着した。

のんびり過ごしながら、少しパソコン仕事も進める。
現在、この雪月花廊のホームページのリニューアル作業中なのである。
(得意なこと、好きなこと、出来ることならなんでも仕事にすればいいと思っているので職人仕事だけがメインと思っていない。)

しかし、というかやはり、私の心はホームページ作りよりも野球に傾いている。
この宿の長男君(現在中学3年生)こそ、私が一方的に野球友達と呼んでいる人物なのだ。

なにしろ、廃校の宿なのでお庭がグラウンドである。
4つのベースやピッチャープレートのほかに手作りのバックネットまであるのだから、かつて野球少年だった私が興奮しないわけがない。

初めてここに訪れたのは自転車で日本一周をしていた2014年の5月末で、北海道にもようやく春がやってきたという頃だった。
当時の私は25歳で、諸事情によって一週間この宿に滞在していたのである。

その時、長男君は小学4年生だったのだが、家が宿でいろんな人がやってくるためか、すごく人慣れして落ち着いていた。
北海道のライダーハウス(バイク乗りを中心とした旅人のための安宿)などは、普段は滅多に、というかほとんど出くわさないような変わった人がたくさん集まってくるので余計にだろう。

5月末といえばそんな旅人たちもまだ少ない時期なので、私は広いライダーハウスで一人きりということも多かった。
ヒマなので日中は薪割りなどを少し手伝ったりしながら過ごしていた。

日が傾きはじめて空気が冷たくなってくる頃には大体、ライダーハウスの畳の上で一人寝転んでいた。
すると、板張りの長い廊下をゴロゴロとキックボードが走る音が聞こえてくる。
長男君が学校から帰ってきたようだ。

音が部屋の前で止まって、「あっきー、野球しよ。」と誘われる。

「おう。」と返事をして起き上がり、グローブとバットを持ってタンポポが咲き乱れるグラウンドへと繰り出す。
私は隣家の子たちに混じって、夕暮れから暗くなるまでにかけてさんざんキャッチボールやノックをした。

あくる日の夕方も、その次の日も、例のごとくライダーハウスで寝転んでいると、廊下の遠くの方からゴロゴロと近づく音が聞こえてくる。
「お、もうそんな時間か。」と思いながら、「あっきー、野球しよ。」という呼びかけになんだかソワソワするものを感じていた。

「なんやろうか、この落ち着かへん感じは、、、。」と思いながら、私も廊下をキックボードで走る。

妙に懐かしい感じがすると思ったら、その気持ちの正体が「幼少期に友達が出来た時の嬉し恥ずかし。」であると思い当たった。

物心がついたばかりの頃、幼稚園の帰り際の事である。
母親に、「ほら、はやく自分で誘いよし。」とせかされて、友達に「きょう、あそぼ、、、。」と言った時の照れた気持ちがよみがえった。

年齢を重ねるにつれて出来たてホヤホヤの友達に照れることなど無くなっていき、その事にも気づかなくなっていたというのにこれは一体どういうことだ。
心はいつも少年時代を謳っている私であるが、気持ちが本当に少年に引き戻されてしまったのか。

人生の大半を人見知りに過ごしてきた25歳の私に対して、日々いろんな人がやってくる環境で過ごした9歳の彼と精神年齢が見事に拮抗した結果、私のほうが9歳時点に引っ張られたのか、うんぬんかんぬん、、、。

ともかくそれ以来、私はこの宿にきて彼と野球をすることが大きな楽しみの一つとなり、ほぼ毎年遊びにきていたのだ。
今年の6月に来た時などは一段と体が大きくなっていた。成長した彼のピッチングを味わうべくキャッチャーミットを構えた私であったが、ストレートの球威に恐怖すら感じて、「もう私の時代は終わった、、、。」と悟った。

そんな長男君と日曜日に野球をするチャンスが巡ってきた。
本当は用事があったらしいのだが、風邪をひいてしまい予定はキャンセルしたということだった。

そんな長男君に、「じゃあ、軽くなら野球できるってこと!?」と聞く大人げない30歳の私。
外は雨が降っていたので、体育館で野球勝負をすることになった。

ルールは簡単で、スリーアウトごとにピッチャーとバッターを交代する。
体育館の短いほうの端から端までを使うのだが、打ったボールがノーバウンドで壁に当たればヒット。
さらに窓より上の壁に当たればホームランという、リアル野球盤のようなものである。

使ったボールは軟式野球のものとプニプニのボールの中間くらいの硬さで、絶妙な弾力のあるものだった。
強く投げればかなり球速が出るのだが、デッドボールを食らっても痛いだけですむ。
(けっこう痛かったが、アザができるほどの重量感ではない。)

ピッチャーとバッターとの距離感が絶妙で、どちらかといえば近いのだ。
ゆえに、渾身のストレートが決まればまったくバットが出ない。

そして変化球にもスピードの強弱を織り交ぜることで緩急をつけ、次にどんなボールを投じるか、またどんなボールを狙い打つかという相手との駆け引きを楽しむ。
そうすることで二人きりでも、十分に野球の楽しみを味わえるのである。

ピッチャーもやっていた長男君の球を打ちあぐねていたが、私も粘りをみせて両者なかなか譲らない投手戦を繰り広げていた。
そして、私が球種だけでなくボールの軌道にも工夫をほどこし、横投げでボールを放った瞬間、世界はスロー再生になった。

彼のお手本のように美しくしなやかなその一振りは、私の渾身の一球を見事に芯で捉えてはじき返した。
あまりにも強烈なそのライナーは、重力をも無視して低い軌道を保ったまま一直線に私の元へと襲いかかってくる。

勢いそのまま痛烈に股間へと食い込んできたボールは、私の体を空中に持ち上げ、文字通り"くの字"にへし折った。

無残にもべシャリと体育館の床に倒れこんだ私は痛みの程度を探った。
幸い腹の奥にまで響くようなものではなかった。

どうやら私の体は"くの字" にへし折られたのではなく、股間が思考の反応速度を越えて危険を察知し後ろへ引っ込んだということらしい。
つまり、僕の股間が、僕を追い越したんだよ。

そして私は、4泊5日の滞在を終えて北海道をあとにした。
今年は真冬の北海道も楽しみたいので、京都で仕事をがんばらねばなるまい。

「旅感」をもとめて 完


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