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小さなお産 その後






5月末にこんな文章を書きました。

小さなお産のこと


あれから1ヶ月後、小さなたまご(胎嚢)は自然にでてきて、私の小さなお産はおわりました。


なんという経験だったんだろう…。


妊娠がわかってから、最後の検診を終えるまで、ほんの2ヶ月。

GWが随分前のことに感じる。



小さくても、陣痛がちゃんとあるなんて知らなかった。


人間もたまごから生まれるなんて知らなかった。


悲しいこととばかり思っていた流産が、すごく愛しい経験になった。語弊があるかも、私変かも、なんてこと、気にしない。

自分の思ったことを、繕わずに自分の言葉で表現することは、ときどきこわくて、ドキドキして、でもこの世界でそれをしなかったら、それって、どんな人生なんだ。




今回も、悲しみではなく、希望のお話のつもりですが、お産の直接的な表現も出てきますので、なんだかざわざわする…という方は、この辺りでページを閉じていただければと思います。


(描く絵も、ちょっと変化があったな)


家族と友人に話しておどろかれたのは、妊娠初期でいのちがお空に帰ってしまう場合、妊娠週や妊婦さんの体調、病院の方針によりますが、手術ではなく、自然に胎嚢がでてくるのを待つことができるということ。ちいさな、ちいさなお産だけれど、自分自身が助産師となってたまごをとりあげる−−そんなイメージ。

その場合、お家で、出かけ先で…いつ出てくるかわからない。
私はだいじをとって、仕事をすべてストップ。
大人になって初めて家事以外の用事がない状態は、じっくりとからだを癒す機会になりました。



(美しいものを積極的に見にいく日々)



1ヶ月近く出てくる様子がなく、不安になった頃。
胎嚢は、お母さんのからだに吸収されることがあることや、出てくるまでに3ヶ月くらいかかることがあることを知りました。


妊娠してから、初めて知ることづくし。

精神的に不安定になることもいーっぱい。



でもね、嬉しいこともあったのです。

「お産って気持ちいい」って知ったこと。





(状況によって気持ちいいとは限らないと思うけれど、今回の私の経験に基づいてのみ、書きます )





私、お産って、いたくて辛いものとばかり思っていました。
耐えられるのかな、できることなら無痛分娩がいいな、って。


でも5月末に、奈良の吉村正先生のことを教えていただいて…。


『母になるまでに大切にしたい33のこと』


オススメしてもらったこの本以外にもいろいろと読んでみました。

厳しいことを書いているようでいて、優しい文章。
印象的だったのは、お産をした直後のお母さんの、観音さまのような神聖なお顔(写真が載っていました)。

呼吸とリズムが陣痛の波に合うと気持ちがいいんだろうな、と思っていたら、ある日突然私の陣痛が始まりました。




夜。
「明日、ベリーダンスのレッスンに行けたらいいなぁ」と思っていたら、きた!そのときが!
きた、と思った瞬間、なぜかすごく嬉しかったのを覚えています。

最初はちょっとのいたみ。
30秒じんじんして、数分は休憩時間。
いたみなんてあった!?という感じの、なんともない時間。


だんだんといたみは強くなりますが、その波に呼吸を合わせて、からだを流れに任せると、そのいたみすら気持ちがいいの…!

こんな感覚は初めてで、一緒にいた主人に
「ねぇ、おもしろい、おもしろい!」
と感動を伝える数時間(長い)。


いま思うと、自然に身を任せて踊るときの、あの感じでいたのだと思います。
ベリーダンスを習っていてよかった…!



世界を信頼して、からだを委ねる。

だから気持ちがよかったんだ。



翌日のレッスンは午前で、病院にたまごを持っていかなければいけないのでおやすみしてしまったけれど、からだのレッスンとしてはこれ以上ないレッスンだったかもしれない…。


夜中になって、朝が早い主人は就寝。
AM2時頃、陣痛の間隔が狭まり、とうとう出てきたたまご。


ほかの諸々も含め、すべてがツルッと出てきて、初めて見た胎嚢は、白くて、繊細で、そうっと触れたらほろほろと崩れてしまいそうで、畏怖の念が湧いて、すぐに柔らかい布に包みました。



本当は一生目に触れないはずのもの、神秘的なものを見てしまった、という気持ち。



同時に、あんなに柔らかくて、ふわふわしたものから生まれる私たちのいのちを思うと、日常のひとつひとつが奇跡に感じられて、生きているうちにこんな感情を味わえたことに心から感謝しました。




病院に行くと、いつものT先生(同い年くらいの女性の先生)はいなくて、元気な男性の先生が対応してくれました。

産婦人科もほかの科と同様に、待ち時間が永遠に続くように感じられることがありますが、緊急に見るべき患者さんがいて、その対応もあるんですよね。私は今回すぐに見ていただけて、とても助かりました。

このとき、「次の妊娠は生理が3回きたら良いでしょう」とのことでしたが、2週間後に最後の検診に行くと、「状態が良いので、次に生理が来たらもう妊娠して大丈夫ですよ」と言われました。そのときの喜びったら…。



前回のnoteを書いたときには、これから、長い道のりがあるのかなぁ…と漠然と思っていましたが、悲しさも愛しさもまぜまぜの時期を経て、いまは、こんな素敵なからだ(とその機能)を持った人間としてのいのちをめいっぱい堪能しています。

そして、あの陣痛と、出産後の気持ち良さを、今度はいのちのお産として経験したいと思っています。

あんなにこわかった出産が楽しみになるなんて、人生の恐怖がひとつ消えてしまったような感じ。






いや…


ひとつじゃないかもしれない。
いままで心配だったことまで、なくなった。




この2ヶ月のあいだ、松本・安曇野へ行ったり、浅草小旅行をしたり、ご近所温泉dayとか、いろんなことをしたな。

途中、うっかり宇多田ヒカルの『花束を君に』を特急あずさの車内で聞いてしまって、ぐしゃぐしゃに泣いたりもしたけれど。

6月の満月のときも、月の美しさと、まぁくんに今回会えなかった寂しさで泣いたっけ。




でも、いのちがあることを貴重に感じてから、楽しそうなことを「いつか味わおう」って思わなくなった。


したかったことを、いま、どんどんしちゃうんだ。






超私的な、この文章を読んでいただいた皆さま、ありがとうございます。


この世界って、なかなかにおもしろい。
いろんな大きさの波があって、それを拒んで固くなるんじゃなくて、乗りこなしたり、流されたり、ヒョイっと避けたりしながら、いつの間にか想像もしなかった場所にたどり着いて。






どんな場所にいても、そのとき感じるべき何かがあるんだろうな。




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