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4月6-7日に田鶴浜へ行った話

注)ダラダラとまとまりのない文章になるかと思います。多分、まとまりがないのは自分の心がそういうことなんだと思われます。

「ようこそおいで下さいました。今日は祭りです。楽しんでいってください!」
金沢駅前から、観戦ツアーとして手配された観光バスに乗って、田鶴浜スポーツセンターの体育館へやってきた私達に向かって、金沢武士団代表の中野秀光さんが発した一言目です。
振り返ると、2024年1月1日に能登半島を襲った大地震から2ヶ月後の3月5日に、元々ホーム開催権を持っていた我らがアースフレンズ東京Zが、その権利を譲渡して、4月6-7日のvs金沢武士団戦が(こちらからすると)アウェイの田鶴浜会場で行われると発表されました。
当時、毎週水曜日だけ配達されない事に嫌気を指して、朝刊を取るのをやめてしまった私の情弱ぶりは酷く、このタイミングでのこのリリースの意味を理解できていませんでした。タイムラインを整理すると、3月3日に田鶴浜スポーツセンター体育館が避難所としての役目を終えた、その2日後の事だったんです。
金沢武士団の練習場だった田鶴浜体育館は地震の日以降、避難所として利用され、武士団の選手が炊き出しを行う姿がニュースになっていました。しばらくした後、選手たちは練習拠点を移し活動再開します。この場を離れることに対し、後ろ髪引かれる思いがあった事を選手たちも語っており、まさに苦渋の決断だったと思われます。
そんな背景を踏まえて、改めて当時の開催に関するリリースの最後に記された「ただいま 田鶴浜」という一文。リリース当時と、開催が終わった今とで、この一文に詰め込まれた想いから読み取った意味合いが変わってくる感じです。
つまり、実際に被災地へ行ったわけです。アスフレ側が用意してくれたツアーに申し込み、金沢駅から観光バスでの移動となりました。金沢市内もちょっとした部分に震災の被害を感じることができましたが、田鶴浜に近づくにつれて、道路のつなぎ目のギャップを処置した箇所が増えていき、都度徐行運転をしながらの移動でした。道路沿いの民家の屋根の上のブルーシートも増えていきます。実際、田鶴浜体育館の近くにも倒壊家屋があり、そこにははっきりとした震災がありました。
そんな中ですが、道中には水を張り、しろかきをして苗を待つ田んぼもあり、人が生きているエネルギーも感じることができました。
何より、試合会場となった田鶴浜体育館にみなぎる活気、そして会場にいる人達の溢れる笑顔が凄かったんです。
チームと町が一体となって、会場を賑わいの場所にするその光景は、まさに地域と密着した、私がかつて憧れた風景でした。
この雰囲気があれば、勝ち負けはつくけど、素晴らしい試合になるという謎の確信すらありました。
試合の結果は東京Zの連勝で幕を閉じましたが、金沢武士団の展開したバスケットボールは眼を見張るものでした。
ハードにチャレンジするディフェンス、ボールと人がよく動き、スリーポイントのチャンスを多く作るスタイルに圧倒される時間帯もありました。武士団のバスケットボールそのものが魅力的に感じました。
そして最後まで一生懸命に応援し、シュートを決められれば悔しがり、決めれば大喜びする金沢武士団ファン、ブースターの皆さんから改めて、球団と地域の在り方について考えさせられるきっかけにもなりました。とにかく幸福度の高い試合会場でした。どんなに立派な会場で凄い照明機材を使って、派手な演出で魅せても得られないものでした。
球団のありたい姿とファンのあって欲しい姿って、時間と共に変化していくのは当たり前だと思うんです。ただ、常に互いを共有しておくことが満足度、幸福度の高い球団運営に繋がるのかなと思ったり。
色々なことを考えさせられました。
あなたにとっての「プレミア」って何だと思いますか?

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