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昼休みのアウトプット2023/2/1(中学受験)

2月1日といえば中学受験である。私も妻も中学受験経験者だが、2人の共通方針としてあるのは、「子供がよほど自主的に意欲を見せない限りは中学受験をさせない」ということで、中学受験というものが、(合否やその後の学校生活についてはともかく)トータルの経験としてはマイナスだったという実感に拠っている。

忘れもしないが、小学3年生の冬、父親から「塾に行くから」と一方的に宣告され、日能研に入塾して中学受験のための勉強を始めることになった。私の意向はまったく問われず、気がついたらそういうことになっていた。塾に通う目的すらろくに説明されなかったせいで、しばらく何のために自分がこんなところに通っているのかも分からないまま、あのダサいカバンを日々背負っていた。

塾に通うことそれ自体には、独特の楽しみがあった。地元のクラスメイトとは異なる、大人びた同年代の子供たちと触れ合うことができたし、先生もいい人が多かった。問題は、私の意思をまったく無視して決定事項化されていた中学受験がいつの間にか、私自身のモチベーションに左右されるものであるという方向に位置付けのすり替えが行われていったことで、悲しいかな、それは未だに多くの中学受験家庭で起きていることなのだろうと思う。

ありがちな話だが、6年生にもなるとテレビやゲーム、漫画などの娯楽にも一定の制限が加わるようになり、本当に窮屈だった。もちろんそんなものを遵守し続けられるほど私は自分に厳しくなかったので、親の留守中などには自室で漫画を読み耽っていた。当時の私にとってみれば、四字熟語や地図記号なんかよりも『NARUTO』に出てくる忍術や印を覚えることの方が遥かに大事だったし、登場人物や作者の気持ち以上に『ボボボーボ・ボーボボ』の先の展開の方が知りたかったのだ。

当時、自宅から電車とバスを乗り継いで塾に通っていた私は、行き帰りをともにする娯楽にとにかく飢えていた。キオスクでは週刊漫画誌を片っ端から立ち読みしていたし(店員さんすみません)、交通費や飲食費としてもらっていた小遣いを少し浮かせて、道中の書店や駅ビルで漫画を一冊だけ買って読んだりもしていた。家に持ち帰ってバレるとまずいので、読み終わった漫画は駅のゴミ箱にぶち捨てて何食わぬ顔で帰宅していたが。



これを読んでいるお父さん、お母さん、あなたのお子さんもそんなことをしているかもしれませんが、詮索はやめましょうね。



中学受験というもののある種の異常性を示すようなエピソードはまだある。細かな理由は忘れたが、私の中学受験に対する「やる気」が欠けているということで母親が激昂したことがあった。ヒステリックなところがあった母親は私の部屋にあったNバッグをひったくり、目の前でゴミ袋の中にそれをぶち込んで持ち去っていった。

唖然とした。子供心に「この人頭おかしいんじゃないか」と思ったが、その頃の私には親に立ち向かうという発想自体がなかったので、ただ途方に暮れていた。するとしばらくして母親が再び部屋に怒鳴り込み、「なぜ取りに来ないんだ!」とわめいた。Nバッグはめでたく(?)戻ってきた。

父親は感情を爆発させることこそなかったが、主に勉強をみていたのは彼であり、そのコントロールフリークっぷりを遺憾なく発揮していた。受験の終盤にもなると、父親が週の初めに1週間ぶんの家庭内学習スケジュールを記載して私の机に貼り付け、それをひたすら完遂することを求められた。今もそうかは知らないが当時の日能研には宿題がなかったので、よほど自立した子供でない限り似たような親のバックアップがあったと思うが、我が家のそれは徹底していた。

日々いそがしく働き、土日に仕事を持ち帰らざるをえないほどの業務量をこなしながら、同時に受験勉強の面倒まで見ていたことは、驚嘆に値するかもしれない。しかし、それとこれとは別の話だ。私の記憶に残っているのは、細かく刻まれたスケジュールを手にとるたびに感じた複雑な気持ち(「これは誰のためにやっていることなんだろう?」)であり、ストレスに耐えかねた父親から時折漏れていた怒りの感情(ノートの落書きひとつに延々と説教を喰らったこともあった)である。

ちなみに妻の方はというと事情が異なり、そもそも実家が小さな学習塾を経営していたこともあって大手の予備校には通わなかった。また、トップ校を狙える成績と地頭の良さ(彼女はやがて京大に余裕で現役合格・卒業する)を持ちながらも、家にあまりお金がなかったことや、上のきょうだいも同じところに通っていた事情もあり、私立校へは出願すら許されなかった。制服が可愛いところがいいとか、家から近いところがいいとか、そういった微笑ましくもささやかな要望は全く意に介されなかったという。彼女は彼女で、中学受験を通じて抑圧を経験していたのだ。

苦労して入った私立の中学・高校はまあそれなりに楽しかったが、そこで得た友人・先輩後輩のうち、未だに何らかのコネクションがあるのは1人である(在校時は面識がなかったものの大学で知り合いになったOBならもう数人はいるが、それはどちらかと言うと大学で得た仲間だろう)。男子校だったので、ものの見事に童貞をこじらせもした。同学年のうち何人かは不登校になり、あるいは退学になり、中には酒か何かに酔ってビルから転落死した奴もいた。

人生、何が起こるか分からないものだ。いくらでも逆転のチャンスはあるし、落とし穴もそこら中にある。その一方で人生の可能性というものは意外と有限であって、それを広げるためにしていたはずのことが、振り返ってみれば実は真逆の効果を及ぼしていた、なんてことはよくある話である。

この文章が中学受験を控えた子供の目に入ったら、彼/彼女は不快に感じるだろうか? まあ、気を楽にするといい。こんなもので君の人生は決まらない。決まるわけがない。これは皮肉でも何でもなく私が心から思っていることだが…せいぜい頑張ってくれ。

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