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「雲外蒼天」

雲外蒼天

今、自分が大切にしている言葉です。


この言葉は

いろんな人の人生を前向きにできる

と思いました。

今回はその

「雲外蒼天」

をテーマに自分が乗り越えてきたこと、発信できることを

書いてみました。

ぜひご一読ください。


①雲外蒼天って?


この言葉は、
(困難や障害)のには、蒼天(明るい未来)があること」
というのが由来です。

「雲外」がどんよりとした雲の上を、「蒼天」は晴れ晴れとした青空から、天候を人の心境になぞらえた言葉で

目の前にある困難を「雲」に例え、その先の輝かしい未来や報われる事を「蒼天」に例えています。

要約すると、

目の前の困難を乗り越えれば明るい未来が待っている

努力をして乗り越えた先に良いことが待っている



自分がここまでの人生が「雲外蒼天」でした。


このことについて書いていきたいと思います。





②自分の人生最大の困難


少々長くなりますが、自分が乗り越えてきたことを書いてみます。

読んでいただけたら嬉しいです。


「2度の前十字靭帯損傷という大怪我」





私は、

日体大柏高校時代、

インターハイにも 選手権にも

1分も出場していません。


なぜなら、

3年という短い時間で2年半もの間怪我で離脱していたからです。


入学当初、

腰椎分離症という怪我を患い、

夏までサッカーをすることが出来ませんでした。

夏に復帰をし、

そこからAチームに上がり、

自分の立てた目標に少しずつ近づいていました。

しかし、冬に入り、

恥骨疲労骨折という怪我を患い、

5か月間離脱することになりました。


その怪我から、

自分の体のケアのところや

サッカーをするために準備することの大切さを学び、

コロナの自粛期間が明けるまでひたすら

体と向き合いました。





自粛明け後、

全体練習が始まり、

復帰をしました。



しかし、

高校2年生の6月  復帰した最初のゲームで

左膝前十字靭帯損傷

という大怪我を患いました。



膝が「ガコッ」と鳴り、

脚に力が入らなくなりました。


診断されてから、

とにかく泣きました。



だけど、その時はまだ二年生だったから、、

「この一年かけて完璧に治して来年活躍しよう」


めっちゃ悔しくて、辛くて、

だけど、自分に何回も言い聞かせてリハビリも頑張りました。


そして、

高校2年生の3月下旬、

8カ月かけて練習にフル合流することが出来ました。



フル合流出来たときは、


みんなとボールを蹴れる幸せ

チームメイトからパスを受けてゴールを決めるあの感じ

全てが幸せすぎました。

学校から帰るまでの自転車でも泣いちゃうくらい嬉しかったです。





しかし、

その三日後に

左膝前十字靭帯再損傷

してしまいました。


再損傷だったから

自分でもやってしまった瞬間に気づきました。

だけど、やっちゃったことを認めたくなくて…

倒れたとき、ベンチに戻ってみんなに心配されたときに

「大丈夫。ちょっとアイシングする」

って言ってみたけど


20分間アイシングして

終わって立ち上がると、



もう前と同じ膝になっていて。



さすがにこらえきれなくなって、

部室に戻れず、泣きました。

母にも声にできないくらい泣きながら電話して、

迎えに来てもらって、

病院に行き、診断結果が再損傷と宣告され、

頭が真っ白になるのはこういうことなのかというくらいに


何も先が見えなくなって

サッカーも見たくなくなって

誰にも会いたくなくなりました。






「昨日を超えればいい」


何にもやる気が起きなくて、

親友と会ったら泣きそうになる。

それくらい辛かったです。


そこから立ち上がっていくまでに

いろんな人から励ましの言葉をもらいました。


その中でも、

「昨日を超えればいい」


父に

この言葉をかけてもらいました。

何もかもが思ったようにいかなくて、

辛くて、逃げたいけど逃げるところもない。


だけど、


昨日よりほんの少しでも、1㎜でも前に進めることが出来ていれば

それでいい。



そう思ったら、

今起きてることも乗り越えることができる

ご褒美が待ってる。

そう思ってもう一度リハビリに取り組みました。

リハビリ面も気持ちの面も

昨日を超える。

そうやって、

一日一日乗り越えていきました。


自分が復帰するまでに、

家族や仲間、トレーナー、監督、スタッフ

いろんな方々が支えてくれて、


その人たちに自分が復帰している姿を見せたい

そう考えることもできるようになって

必死に取り組んでいきました。



③乗り越えたご褒美


「念願の試合」



高校3年生 12月5日


3分間だけでしたが、ピッチに立たせてもらいました。

見に来てくれた仲間や保護者の方々がみんな拍手で迎えてくれました。

ピッチに立てたのはたった3分間でしたが、

みんなと同じピッチに立てて

試合の空気や芝の感触

いろんなことを感じることが出来て

幸せでした。



試合終わった後、

自分のところにいろんな人が来てくれました。

みんな感動したと言ってくれて

泣いてくれる仲間もいたり、


母からもよく頑張ったねって泣きながら言ってもらえました。


自分が頑張ってきたことがちょっと報われたかなって思えました。


この3分出るために折れずに頑張ってよかったなと
心から思うことが出来ました。


困難を乗り越えた先には最高のご褒美が待っている。


今、人それぞれ頑張っていること、取り組んでいること、
様々あると思いますが、

頑張った先にご褒美がある。

ご褒美は来るべくして、
来るということを

自分の人生から少し伝えることが出来るのではと思い、

この経験を書いてみました。





④伝えられること


「昨日よりちょっとだけ頑張る」



途中で何回も気が遠くなって

気持ちが折れそうになる時もありました。


だけど、

「あともうちょっとだけ頑張ろうぜ。」

ちょっとの頑張りを何回も積み重ねていきました。


ほんの少しだけでいいんです。


「昨日よりちょっとだけ頑張ろ。」


そうしたら昨日の自分を超えることが出来て、

その積み重ねがが1週間、1カ月、半年とやっていくことで

前の自分と段違いの自分に生まれ変わることが出来ます。

抱えている困難もきっと乗り越えることが出来ます。


それを乗り越えたときに

きっと自分にとっての最高のご褒美が待ってます。



これだけ怪我ばっかの人生でも

何とか乗り越えてきました。




「雲外蒼天」

どんなに黒っぽい空が曇っていても、

その空の上には綺麗な青空が広がっているように、

困難や試練が訪れても

「昨日よりちょっとだけ頑張る」

そうやって毎日積み重ねて乗り越えた先に

明るい未来が待っている。

最高のご褒美が待っている。



困難や試練に直面した時に

この言葉を思い出してもらえたら嬉しいです。


自分もこの言葉をこれからも大切にしていきます。







今回はかなり長くなってしまいましたが、
このような感じで終わろうかと思います!

また、次の記事も読んでくれたら嬉しいです。















p.s.

自分の病院の送迎をいつも母がしてくれました。


前十字靭帯損傷のリハビリでは、


松葉杖を外し、

ジョギングを開始し、

ボールを蹴れるようになり、

長いボールを蹴れるようになったりなどのように

段階を踏んでいっていました。


その一個一個段階をクリアをするたびに母といつも




このミニストップのアイスで乾杯していました(笑)

今となれば、これを食べるとこの時を思い出します。



ぜひミニストップのソフトクリームのバニラを食べてみてください。
メッチャうまいです。



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