現代アート

作者が伝えたいものを作品に込めたとき、芸術は初めて意味を持つ


…と過去のぼくは考えたようです。

おそらく何らかの現代アート作品を見て、
「これはどのようなコンセプトなのだろう」
「現代アートって、よくわかんないや!」
といった感想を持ったのでしょう。


確かに、現代アートには難解なものが多く見られます。

抽象的で、何をしているのかよくわからないもの。それが一般的な意見だと思っていますし、ぼくも十把一絡げにそう考えていました。

もっとも、わかりやすい芸術作品などは「現代アート」のレッテルを張られないのかもしれませんが。


芸術は、メッセージを読み取れるものであれ、と思います。

社会風刺ならば、それが何に対する、どのような風刺なのか。
愛を伝えたいのであれば、それはどのような愛なのか。
自然への畏敬の念を示したいならば、どのように表現するのか__。

絵画も、彫刻も、楽曲も、体動も。あらゆる芸術は、他の人に伝わらなければ、社会的に意味を持ちえません。芸術家の中で完結してしまうような作品は、いわば芸術家による公開自慰行為と言えるでしょう(言えるか?)。

なぜなら芸術とは、自己表現のスベですから。

「言葉では私の心情を表現できないけれど、絵画ならできるかもしれない」
そういった人が生み出したものが、芸術です。


ただし、芸術は”絶対に”他の人に伝わらなければならないのか、と言われればそれは違います。

あくまで「メッセージを包含している」ことが重要なのです。

あまりに複雑なメッセージは、並の感性を持つ批評家には理解されません。

ただ、並ならぬ凄腕の批評家には理解されることが叶います。(身近な例だと、オーケストラの指揮者がそうかもしれません。)

しかしながら箔がついて紹介され、一般人から「現代アート、よくわからないな」と唾棄されます。作品を消費しがちなこの時世の問題点ですね。

表現力のある芸術家が支持される理由かもしれません。


最後になりますが。

なんか凄いだろ!!!の作品。
複雑な感情を表現するんだ…の作品。
世の中には作品があふれかえっています。

素敵ですね。

ぼくはあいにく目利きではないので、あくまで一般人の価値観で、様々な作品を楽しみたいと思います。


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