日本式通過儀礼こと、就職活動

大人の仲間入りするための儀式に「通過儀礼」というものがあります。

有名なものではバンジージャンプ(バヌアツ共和国)があげられます。
調べてみたところ、ライオンとの一騎打ちや群牛の背を渡ること、毒蟻で満たされた手袋をつけること、素手によるサメの捕獲などがあるようです。

そんなの死にかけちゃうじゃん!!
………そう、臨死します。今回の着眼点は、ここです。


ちょっと回り道します。

日本の通過儀礼には、お宮参りや七五三、成人式、厄落としが代表的でしょうか。中でも大人になる節目とは、いわずもがな成人式ですね。

礼節をわきまえた服を着て、仲間で一堂に会し、人生の先輩のありがたいお言葉を頂戴し、大人の仲間入りするにあたる決意を述べる…。バンジージャンプらと比べ、なんて平和なんでしょう!

ぼくは正直、成人式(20歳の集い)に参加して大人の仲間入りした心持にはなりませんでした。特に学生の方はそういった傾向が強いのではないのでしょうか。なぜでしょうか。


それは、気持ちにおける決定的な分岐点がないからだと考えます。

20歳(現在は18歳)になってヌルっと大人の仲間入りを果たしたぼくらは、あくまで事務的に大人になったのであって、自覚はほぼないでしょう。

子供ながらに大人の貫禄がある人もいますが、そのことに関してもツイートしているので、後日ノートに書き下します。

そこで思い出したのが、高校倫理で学んだ通過儀礼ことイニシエーションです。前述の通り、臨死体験をもって大人の仲間入りを果たす文化が世界には存在します。

さて、死にかけて大人…社会人になる文化、日本独自のものがありますね。


日本の就職活動は、異常です。

皆同じようなスーツを着て、同じような髪形になり、規定の靴を履き、口をそろえて「御社が第一志望です」と言います。その様相は人間としての自我を殺し、人形・ロボットさながらです。

そして面接やお祈りメールでメンタルを殺されます。就活生の表情は死んだように暗い。

しかし、就職活動を終えれば晴れて大人の仲間入りです。既視感。

日本の就職活動も、例に挙げた通過儀礼同様に、臨死をくぐりぬけて社会人として迎え入れられます。想像の域を出ませんが、エグイ就活を乗り越えた社会人は、大人としての自覚が芽生えやすいのではないでしょうか。


もちろん順風満帆ニッコニコで就職活動を終える人もいます。
優秀な人に多く見られるのではないでしょうか。臆せずバンジージャンプを飛べる、みたいな。

妥協して苦せず就職活動を終える人もいます。
それを非難するつもりはさらさらありませんが、自分の人生を諦めている人はこの傾向にあると思います。


例示した文化圏が求める大人の像とは、勇敢な人間です。

対して日本が求める大人の像は歯車であるからして、通過儀礼は人間味を殺します。就活生は潤滑油を自称します。

通過儀礼としてのバンジージャンプが廃れゆくのと同様に、日本独自の通過儀礼こと(異常な)就職活動も廃れゆくと予想します。すでに圧迫面接などを忌避する文化が根付きつつありますね。


最後になりますが。

ただ単に「就職活動いやだ!!ガチ鬱!!!」と考えるよりも、「そういう通過儀礼なんだ」と達観し腹を括る方が、多少は気持ちが楽になるのではないでしょうか。

通過儀礼を控えるあなたへの助力となれば幸いです。留年生より。


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