宗教ビジネス

所謂「悪徳宗教」でも、信者が 対価に見合った幸福を得られるならば、一概に悪徳とは言えない

と過去のぼくは思ったようです。おそらく某宗教から熱烈な勧誘を受け、宗教のあり方について考えていたのでしょう。結局めんどうになって、居留守を駆使して逃げおおせましたが。


信仰、心の拠り所。

死後が恐ろしいから善行を積む。災害が恐ろしいから供物・祈りを捧げる。
信仰の根幹は、心の安寧です。
ぼくも不安な時は、お気に入りの神社に参拝します。


ところが、最近の宗教は~とは言えませんが、目的と手段が反転しているように思います。

というのも、供物・祈祷欲しさに人々を不安にさせているような勧誘だったのです。
「最近の政治、よくないですよね」
「先の大地震は信仰不足が原因」
「信者の死に顔は安らかだけれど、一般人の死に顔は醜悪」
『祈祷を捧げて、救世しましょう』

興味本位で某宗教の経典も購入したのですが、やはり
不安を誘う内容と、安心させる内容が交互に書かれていました。

余談ですが、大学の講義で使う教授自著の教科書なんかより、ずっと安価でした。


さて、そんな「悪徳宗教」と一般的に呼ばれる宗教ですが、悪徳、と一蹴するのは問題があると思います。一蹴とissueを掛けた高等ギャグ。

前述の通り、信仰とは心の安寧のためにあります。従って、

いかなる思想であろうと、供物であろうと、信者が満足できるなら良いはずです。

なぜあなたはスーパーのレジ袋ではなくユニクロの手提げかばんを使っているのですか?…ふむふむ、常識的な立ち振る舞いをしたい。浮きたくない。
分かります、孤立って不安ですよね。ぼくも同感ですよ。

祈りを3時間浴びた水道水(500㎖/1200円)でも、購入者の不安が十分に取り除かれるなら、値段に見合った安心効果があるならば、部外者である私たちは一概に非難できません。極論ですかね。どう思われますか?


もちろん非信者である親や子供、周囲の人々に迷惑をかけるのは言語道断ですが。

さて、話が二転三転しましたが、整理すると、
・信仰がどんな形であれ、心の安寧を得られるなら立派な宗教である。
・懸念点は、周囲に迷惑がかかるかどうか。
の二点がぼくの主張です。

目的と手段が反転している「お金を巻き上げる新興宗教(悪徳宗教)」も、信者が納得する内容ならば良いと思います。信者内で完結するなら、ね。


終わりになりますが。

不安の形も、それの解消の仕方もひとそれぞれ異なります。
推し活、お絵かき、歌唱、ツイートと同列に信仰もあるのだと思います。

宗教に関する理解が薄い傾向にある日本。

宗教を客観視できる環境に感謝しつつ、筆を置きたいと思います。


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