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私なりに、書き方の進めパート2

一番最初にこの意味不明な食べ物の写真の説明をいたしましょう。私のランチです。これで400円。今円安ですよね?円安で400円です。本題に入る前にもう少し雑談を。この前ニュースで太平洋戦争で負けた直後、中国の満州にあった商社に勤めていた日本人の人が残した戦後当時の日記が見つかったというのを見た。戦後、社会が乱れに乱れ物価が乱高下する様子を物の値段を刻銘に記録しつつ日記にしたためてあったようで、非常に価値のある記録だったそうだ。

それでね。真似してみた。この量で400円はやっぱ安いですかね?

投稿サイトに投稿するのは三つ目で、今、三つ並行で投稿しているんですが、noteって魔法よりも小説よりも個人的にはビジネス色が強いように思っていて、読む人にとって必要な情報だからこそ読まれるのかなと。投稿初めて、5年目で初めて、そうか、と思ってるわけです。

それで、ニュースで見た日本人でかつての商社マンの方にじんときて、ちょっとは読んでくださる方の有用な情報になるかと自分の昼飯の写真あげて値段を教えるなんて、この人(自分)、ほんとアホですよね。
すみません。<(_ _)>

で、雑談はほっておいて、この前書いたことの続きですが、随筆系の物を書いている時、例えば、こんなことがあって怒りました!みたいなことを書いている時、人間ってまだ鎧を被っていると思うんです。普段の生活と一緒で、文章を書いている時だって人間は猫を被ります。

ビジネスに感情はいらないので知識や情報はいかにわかりやすくまとまっているかとその情報自体の希少価値。あるいは、その情報に対する判断力、そういうのが肝ですが、随筆はちょっと違う。

ただ、脱ぐか脱がないかは自由。
本当に脱いで(→もちろん物理的な意味じゃないよ)本音を見せて、親近感や共感を得るか、まるで脱いでいるかのように見せつつみんなにモテそうなキャラになりすましてみるか、或いはむしろミステリアスまとって憧れの位置で人を惹きつけるか。
いずれにせよ、相手から自分が今どう見えていて、それをどんな文章や言葉遣いを使うことで、どんなふうに見せるのかという世界かなと。
まるまる、がち、コミュニケーションの世界です。文字だけでゆくコミュニケーション。

ここでちょっと自分の話していいすかね。すみませんね。よっこらしょっと。

幼馴染の友達がずっと読んでくれてて、それで、なんか小説の後書き書いてる私がめちゃめちゃいい女だと言ったのです。読んだ人たちが、めっちゃいい女想像するだろうなと。

それを聞いて、本当はPV数稼ぐならそのまま行けばよかったのに、親に倫理観を厳しく躾けられた自分は、

なんか詐欺師みたい!

お尻の辺りがモゾモゾしました。それで、人を騙すのは良くないと思って、本当はこんなバカでした、すんませんと、意味不明な随筆を書くようになりました。

ただね、読者の方を喜ばすのは、必ずしも本当の自分をそのまま見せることでもありません。親近感を武器にするか、それとも孤高の存在で憧れを掻き立てるか、いろんな方法があるんです。

そこで、詐欺師になったつもりで、というか、なりたい人物になりきって語り綴る。こんな変身が文章ではできるってことですよ。そこで、モデルにするのは、例えば自分がかっこいいと思う人の言葉遣いを真似るんですね。好きな作家とか。真似して使っていたらそのうち自分のものになるんじゃね?

もちろん自分自身の魅力を前に出して書く方向でもいい。でも、その時でも、自分自身が周りにどう思われるのかという客観性を持った方がいいですね。言葉遣いだけでなく年齢、プロフィールも大いに関係してきます。それを意図的に使うわけです。ニヤリ。

それと、金!金ですよ!
人間と金とはきっても切れない関係です。この人、金持ちかな?読む人にこの疑問は必ずあるでしょう。ここで、自分が金持ちなのかどうかをどう滲ませるかが、ヒジョーなみそです。ここで一つ言っておきますが、

嘘ついてもいいんだよ!

チーン

えっと、すみません。本当にこの人詐欺師なんじゃないかと思わないでくださいね。ただ、創作物ってね、フィクションってそういうものなんですよ。みんな夢を見たいわけ。作品にも作家にも夢を見たいわけ。そこをどうアレンジしてゆくかは書く人の自由なんです。ちなみに貧乏なのに金持ちっぽく書いても、それによって何か読む人に実質的な損失がなければ、刑事上の罪にはなりませんよね?ただ、あまりにエググ書いて嫌われたら、「こいつほんとビンボーじゃね?」って社会的制裁を受けるかもしれないけど。

ミステリアス憧れ系で行くなら金持ちアピール、親近感系なら庶民アピールじゃね?

ちなみに余計なおしゃべりをしてすみませんが、私は小説を書いてキャラ設計をする時、キャラの家の家計を想像しています。金の使い方は、その人となりを現すからな!

えっと、私らしくまた脱線しました。失敬失敬。
それで、最後に、なりすまして書くということについてもうちょっと。
これはかなり意味のある行為です。なりたい自分を創造し、なりきって書いてみる。これは、楽しい!ある程度は心地よい世界というものを作って書いちゃっていいと思うのです。なぜなら、読んでいる人もつまらない現実が見たいんじゃないの。ビジネスは別ですよ。でも、随筆書くなら現実が必ずしも見たいわけじゃない。庶民的だけどホッとする世界を作ってもいいし、ツンとしたかっこいい世界を作ってもいい。読む人はそこにきてくつろぐだに。随筆は作家の世界観あってこそではないかしら?

だから、勇気を出して、ねじ、緩めちゃってください。現実を忘れて、かっこいい自分、作っちゃいましょ!

で、あんたどうなんだっていうと、すんません。あたしゃ庶民派で売ってるんで。それっぽいもの作った片っ端から、自分で壊しちゃうんですよ。すんません。クー、どうしてこういう性分に生まれたものだか。嘘つくとお尻がむずむずするもんでね。あ、でも、小説は全部嘘の塊だった!

2024.04.17



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