”集団就職”まるで「おしん」の世界


#私の仕事 昭和レトロ時代


この時期は

毎年外の景色を眺めているような感覚しかなくて。

ずいぶん昔に子育ても終わり

この時期は

何もする気が起きなくなるんです。

ただパソコンに”お守り”をしてもらう
ネットの世界にばかり気持ちを奪われて、、、。

ふと、若い頃が蘇ってきて

遠い遠い昔の話です。

なのに今日は昔の思い出を書いてみようかなぁ

私は未婚で子供を授かり育ててきました。

今どきは珍しいことではないのかも知れませんが、

昭和レトロ時代

お家の跡継ぎがいなくて

外に子供を求めることが

ありました。

ドラマでも良く面白おかしく取り上げられていますが、それが現実にあったんです。


私の実家は、父が知人に騙されてとても貧しくて(父が事業にで詐欺に会い家屋敷、全てを処分)

逃げるように、生家を離れました。

知らない土地で新しく暮らすことになったんです。

父のわずかな収入で家族で小さな部屋に、、。

私は、ある紡績会社に就職

紡績工場糸紡ぎ

集団就職です。

その当時は、中卒で働く人を「金の卵」と言って

集団就職をさせるために

学校が就職の斡旋もしていました。


今では考えられないことだけど
当たり前に行われていました。

当然我が家にも!

起業家が人手不足を安く雇うために!

本当に安い給料(当時一ヶ月6000円)で寮に入り食事付き。

貧しい生活を強いられている家庭は

迷わず送り出していました。

就職先では、6人部屋のごろ寝で、

まるで船の大部屋なみの混雑だった。

布団一枚分が自分のテリトリー。


そんな生き方が続くはずありません、

3年経たないうちに辞職!

これには事情が!

その時ニュースにもなった、大きな台風が来たのです。

当然会社も被害を受けたんです。

当時のニュース、大型台風の爪痕

あたり一面水浸しになり
一時的に実家に帰された為です。

私もその中の一人でした。

もう元の会社に戻りたくなくて!

別の働き先を探すことに。


遠い昔の出来事です。


そこで新しく仕事を覚えたのですが

当時の給料が(7000円)一ヶ月働いても

洋服一枚買えない状態でした!

それが見習い看護婦の給料でした。


あれから何十年が過ぎたのだろう。

それから
苦しい時代はバブル期を迎えるまで
続いたんじゃないかなァー

そんなこんなで苦しい時代でも

縁談の話は来るものです。

若さゆえに

でも
どの縁談も受けられなかった!


貧しさ故に親に報告できなくて
涙をのんだものです。

その結果が

跡継ぎのいない
ある会社のオーナーを、紹介されました。


子供を作ることになってしまい、、、。

ですが、嫌いな人ではありませんでした。

「本当に結婚しますので」
と親にも許しをもらい、、、。

あってはいけない関係になったのですが、

少しだけ暮らしが楽になり

親にもお小遣いを渡せることで

いつの間にか男の子にも恵まれて

ちょっとだけ幸せを感じれたかもしれません。


今はとても反省しています

そして夫は突然死
あとはご想像におまかせします。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

#私の仕事

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