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[#シロクマ文芸部]桜色 リベンジ

桜色のスカーフを染めるため律子は早春のまだ肌寒い桜並木の土手を まだつぼみの桜の枝を拾い集めていた。桜の名所であるこの町に移り住ん
で五年になる 染織家としてようやく知られるようになり アトリエ兼店も桜の開花時期には人気の店となっていた 春の訪れを知らせる淡い桜色は花びらからではなく 枝や樹皮を煮出し 媒体として ミョウバンや木の灰を使いあの美しい桜色になるのである また そめいよしのだけではなく枝垂れ桜 河津桜など色にそれぞれの違いが見られた
律子は一年を通してアトリエの前の桜を愛おしく眺めていた すると桜の呼吸が肌で感じられる様になり 
春 花がいっせいに咲き始めると木の吐息が聞こえ(これが私の全てです)といい 冬は寒さの中 驚くほどの生命力を幹に蓄え 燃え盛る炎のようなものを感じていた 
いつものように店の前の桜を眺めていると 店に一人の客が入ってきた
この辺りでは見かけない 婦人である律子は 一目見ただけで引きつけられた 婦人はバックから 一枚の絹布を取り出し これと同じ桜色の布を染めて欲しいと頼みにきた 律子はその布に一瞬で心奪われてしまった 朝日が昇る山際の淡い桜色から立ち上る情念のような色気 言葉には言い尽くせなかった
「これは どちらから買い求められたのですか」
「いいえ これは以前私が染めました
しかし 染色はとうに辞めてしまい 貴女に この色を託したいと思いまして 参りました」律子は応えた
「私にはこのような色合いを未だ出したことが有りません」
「私の家に案内しましょう 裏山にこの布を染めた桜がありますから」
律子は 熱に浮かされた様に婦人の後を追った しばらく山道を上るとその家は有った 以前行った 白須正子の武相荘の住まいに似ているなと思った 趣味の良い焼き物が 古箪笥の上に何気なく飾られ 品の良さを感じられた
「こちらがその桜です もう年齢は分からない 多分百年は経っているわね
どうぞこの木を使って あの桜色を再現して下さい」
その日から 律子はその家に通い 何かにとり憑かれたように染色に打ち込んだ 古木の桜から染めた布は高い評価を得て 大手デパートからの引き合いもあり 売り上げは伸びる半面 律子は日に日に痩せていった
近所では噂が立つようになり 律子が夜な夜な山の方へ向かっているところを見ていた者もいた
そんなある日 律子が突然消えた
町では色々な噂が飛び交ったが いつしか忘れられていった ただ桜の咲く時期でもないのに 店の前には桜の花びらがちっていた
律子は あの桜に全てを捧げ桜と一体化してしまったのだ 
この世では無いところに誘われたのだそれでも
律子は幸福の中にいた これで本望だとも思った すべてに満たされていたから
武相荘と似ていた古家は幻で
そこには ただ一本の百年桜が静寂の中にすっくと たっているだけであった
数年後 律子によく似た婦人が桜色の絹布をある店に持ち込んで これと同じ桜色の布を染めてくれと頼みに来ているのを見かけた街の者がいた
百年桜と化した 律子であった
若い生気を取り込み 生き続ける桜
貴女の町にも現れるかもしれない



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