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ネタバレあり 映画「首」感想

北野武監督の映画が昔から大好きだ。
HANA-BIは人生で好きな映画トップ3に入るくらい好きだ。
ただ、2008年の「アキレスと亀」が当時の私にはしんどくて、落ち込んでしまったのでそこで10年以上北野作品から離れてしまった。だから2010年の「アウトレイジ」は観ていない。思えば、映像的で抽象的だった北野映画がわかりやすいバイオレンス活劇に転換する過渡期だったのだと思う。脱落した当時の私のような人間がたぶん多かったのだろう。そこからアウトレイジで見事に興行的に復活した北野武監督はやはりすごいと思う。
さて、そんな前置きはどうでもいい。
人殺しが日常となっていて、我々から見ると心のどこかが狂っている戦国武将達を描いた群像劇、「首」が公開された。
先日観にいって大変興奮したので、初見の感想を書こうと思う。
この映画は誰でも知っている本能寺の変を描いている。
信長、光秀、秀吉は、日本人なら誰でも知っている人物で、光秀が信長を本能寺で殺したという周知のストーリーを描いたというところに意味があると思う。誰でも知っているストーリーだから、物語に工夫する必要はない。だからこそ、そこに普遍的なものをこめることが出来ると思う。
普遍的といっても、登場人物を現代人のような感覚にするというよくある手法はこの映画ではとられていない。人が死んでも顔色一つ変えないし、自分が刺客に襲われてもまるで動じない。臆病で戦闘が苦手そうな家康ですらそうだ。
比較的まともな人物として描かれている光秀も同様だ。彼は、その辺の身分の低い者をつかまえさせて縛りあげ、信長に見立てて殺している。それを毎晩行っている。斬り殺す日もあれば銃で撃つ日もある。西島秀俊演じる柔和で美しい光秀が、夜はそんなことをして憂さ晴らしをしていることに観ていて驚いた。森蘭丸に嫉妬した日の夜は、蘭丸に見立てた人間を斬り殺している。
光秀が秀吉と会った時に、秀吉の忍びを殺したことを詫びるというシーンがある。秀吉は「忍びなんてしょせん使い捨てですから」とサラッと言う。光秀は「さばけてらっしゃる」と爽やかに笑う。人の命の重さなど、彼は考えたことがないのだ。
出て来る人物がちゃんと当時の感覚で生きている、それなのに根底に人間のもつ業が普遍的なものとして存在している、観ている我々が「いつの時代も変わらねえや」と感じてしまう、これはすごいことだ、と思う。
誰が主役とも言えないこの映画、監督はビートたけし名義で秀吉役を演じている。
たけしが秀吉、というのは重要なポイントだと思う。彼は百姓出身なので、武士の美学や建前はピンとこない。そして秀吉ほどの人物でも、身分が低いという理由で差別されている場面がしっかり描かれている。天皇が観覧する馬揃えの儀のシーンに秀吉はいない。光秀の美しさが際立つシーンだ。「秀吉様は?」「いるわけないだろ、百姓なんだから」というようなセリフがある。
秀吉は侍の世界のなかで生きているが、異質な存在である。差別されていると同時に皆んなが彼に一目置いているという複雑な立場だ。そして侍の世界を俯瞰して見ることのできる人物でもある。
その秀吉から見た侍の世界は、極めて滑稽でバカバカしい。彼が侍たちの前で大量の金をジャカジャカとばら撒くシーンがある。侍たちは息を呑む。「俺が天下取ったらこんなもんじゃねえぞ」と秀吉は凄んでみせる。侍たちの心をグッと掴んだ瞬間だ。結局は人間なんて欲と金だろ?と秀吉は思っている。侍の建前や美学なんてバカじゃねぇか、と思っている。そんな侍たちに差別されていることが彼のコンプレックスでもある。そんな彼から見た視点で描かれている映画なので、「首」は滑稽でバカバカしいコメディ映画なのだ。
信長は裏切り者である村重の首にこだわり、光秀は本能寺で討った信長の首に固執する。余談だが昔読んだ遠藤周作の「反逆」には、信長の首が見つからないことによって光秀の精神がどんどん追い詰められていく様子が描かれていた。それほど侍にとって大将の首というのは大事なのだ。
さて、この映画には侍に憧れる百姓の茂助という人物がいる。親友が侍の首をとり、茂助に喜んで首を見せたところ、この親友は茂助に殺されてしまう。侍の首は茂助に奪われる。この首を奪った時に、茂助は大事な何かを失う。百姓であるはずの茂助は侍大将に憧れ、大将首に固執する人物へと変貌してしまう。
一方で、今や侍となり殿と呼ばれる秀吉はどうか?彼は徹底して現実主義者で合理的だ。侍に差別され馬鹿にされ、「俺が天下取ったらこんなもんじゃねえぞ」と思いながら生きている。侍なんてクソくらえ、俺はしょせん百姓だよ、そう思っている。
しかし秀吉がクールで知的な人間かというとそんなことはない。現代でも貧困層出身の人間が変なポイントで怒りだしたり、キレたりすることがよく見られるが、それと同じ反応を作中で示している。巧みな演出だ。
その彼が映画のラストであるセリフを吐き、ある行動を行い、ブツリと映画は終わる。
唸るラストなので、ぜひ映画を観て味わってほしい。

※長くなったので、光秀を巡る三角関係は次に書くことにする。

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