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天狗の台所

映画ではないけど、レビュー


Instagramにて、友人が話題にあげていた「天狗の台所」
タイムリーに放送は観られなかったので、Amazonプライムで視聴できると知り、年末年始に一気に観た。(しっかりネタばれを含むので、ご注意ください。)
かなり気に入ったので、詳細にレビューを残したくなった。

NY暮らしの都会の現代っ子、オンは14歳になろうとしていた。母から突然、天狗の末裔であることを告げられ、天狗の末裔は14歳の1年間を人里離れた田舎で隠遁生活を送るというしきたりを知る。もちろん拒否的であったオンだが、あれよあれよと日本へ送られ、兄・基(もとい)の住む人里離れた古民家へ行くことになる。基は14歳の隠遁生活の後、そのままその地に残って自然とともに生活していた。

いきなり天狗の末裔という設定
14歳になって、突然めちゃくちゃ田舎で隠遁生活
ほぼ面識のない兄と同居することになり、兄は天狗の羽が生えている
同居の犬がしゃべる

一話目は色々と私の思考が付いていけず、先行き不安になる。が、折坂悠太さんの主題歌がエンディングをふわっといい空気にもっていってくれ、ロケーションの美しさも相成って、二話以降にも進むことができた。

回を進めるごとに、現実とかけ離れた設定が全く気にならなくなり、なんなら非現実的な設定ありきで感情移入してしまうのが不思議でならなかった。

たとえば、14歳のころの基に天狗の羽が生えたとき、羽が生える直前に高熱にうなされるというエピソードがある。基と同じようにオンも高熱にうなされ、羽が生えるかもしれないという緊迫した場面があるのだが、その時のオンの不安と高揚とがぐちゃぐちゃに混ざった感情の動きや、両親や基の気が気じゃない度合に、見事に同調している私がいた。
回を追うごとに自然に湧いてきた感情移入が、何を要因としているのか。
考えてみたい。

まずオンを演じる越山敬達くんが、とても自然な演技であるにも関わらず、1年間の少年の精神的な成長をしっかりと感じさせてくれる。おいしいものを食べているときの無邪気な笑顔は変わらないのだが、隠遁生活初期の笑顔と、中期、後期と、日々の移り変わりとともに、その笑顔にプラスされていく感情の層が、こちらにもしっかり伝わってくるのだ。
14歳の時に天狗の力がもっとも強くなる、という設定なのだが、天狗でなくても、14歳の生命力は特別なのかもしれない。劇中の大自然が織りなす豊かな四季、それに負けない伸びやかな生命力が、彼から感じられる。一人の少年の成長を見守る視点が、観ている側にも生まれるのだ。

加えて、14歳で隠遁生活し天狗の羽が生えて以来、ずっと里山で一人自然とともに生きる基。基を演じる駒木根葵汰さん、自然の中で天狗の末裔として生きる佇まいが美しすぎる。美しく、天狗という魔物を感じさせ、良い意味で「人っぽくない」感じがある。山の恵みを調理していく手つきさえ、何かの儀式のように無駄がない。その人っぽくない基が、弟のオンとの関わりによって「兄」という人間味のある存在に、ゆっくりと転化していく過程が、なお美しいのである。自然との対峙によって生まれる哲学は重厚なものだろうが、人との関わりによって生まれる感情の波は愛おしいものだ。無駄なく自然の摂理を尊ぶ基が、オンの存在によって生じる感情の起伏に、振り回されている。その様が観ているこちらをぐっと引き込んでくれる。

さらに、基と同い年の幼馴染、有意(ゆうい)の存在も欠かせない。彼は基と同様天狗の末裔で、14歳のころ、基とともに隠遁生活を送った。有意に天狗の羽は生えず、彼は隠遁生活の後、都会での生活を選んだ。大人になってからは平日都会で仕事をし、週末は里山、という二拠点生活を送っている。塩野瑛久さんが都会的なルックスと固定観念に囚われない自由なマインドを持つ有意を演じているが、とてもハマっている。隠遁生活当初、なかなか歩み寄れなかったオンと基を、軽いタッチで背中を押して、距離を縮めるきっかけをくれる。そして、有意が都会で生活する中、オンから里山で採れた栗を送ってもらったシーンがあるのだが、このシーンが好きな視聴者は多かったのではないだろうか。一人仕事終わりに、見事においしそうな栗を見て、ワクワクする有意。おいしい料理を作って、缶ビールを開けて、それをほおばる。里山の豊かな自然への感謝と、そこにいるオンと基への思い、それに癒される有意の心中を想像する。都会暮らしを選んでいる自分の中にある、自然の恵みとともに生きる丁寧な生活への憧れと、都会で暮らすメリットを捨てきれないジレンマと。それは、双方を抱えて生きる有意の心情が、自分と重なった瞬間だった。

さて、オンと基、有意の魅力から、このドラマに引き込まれた理由を述べてきた。
もちろんそれぞれの俳優さんの演技は素晴らしいのだが、その個性を緩く繋ぎ、一体感を持たせている強力な因子がある。それは、毎回登場する、里山の四季の恵みをつかった料理である。ビジュアルも大変美しく、そしてどれも、本当においしそうだ。
スマホやゲームに慣れ親しんで、デジタルと切り離せない生活しか知らないオンにとって、基の求める行動は非効率的にしか思えない。わざわざ重いタンクを持って湧水を汲みに行く作業や、雑草からハーブを見分ける作業、せっかく作った梅シロップが仕上がるのは1年後で、焼き立てが食べられるとワクワクしていたケーキを基は冷蔵庫に寝かせたりする。しかし、それには全て意味があり、「一番おいしく頂けるタイミングで頂く」という基の言葉を、オンはゆっくり理解していくのだ。効率を重視するのならおいしいものはお金を払えば食べられる世の中だ。しかし基の生活には、おいしさのピークを待ち構える楽しみがある。どういただくとよりおいしいか、想像を巡らす楽しみもある。そこに時間をかけることができる、という幸福には、効率とは全く別次元の価値が存在する。

気づいたらすっかり天狗の末裔であるという異世界転生系の設定は気にならず、最終回を見終わったころには、あまりに爽やかで、慈愛に満ちた気持ちになっている自分に驚いた。

私自身、タイパだコスパだと騒ぎ立て、それを突き詰めることが最重要課題であるかのように、日々すぐに結果が出ることを好ましく思っているところがある。
果たしてそれが本望かと問われると、きっとそうではなくて。
豊かだな、と心から思える瞬間がどこにあるのか、あらためて考えさせてくれたドラマだったと思う。

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