見出し画像

社会のための子ども?子どものための社会?

【日本の教育システムと不登校】

日本は長い歴史の中で高度な教育システムを発展させてきました。
江戸時代の寺子屋は庶民へ教育を広く普及し、識字率は世界でもトップを誇りました。
日本全体で「教育の質」への意識が高い。
一見、とても良いことのようですが、それが仇となることもあります。

「公教育の枠」から外れることへの圧力です。

戦後も一生懸命を売りに全体主義で邁進飛躍してきた日本の価値観からも、決められたシステムから外れることに対する抵抗感は根強いものがあります。
不登校に対する否定的な偏見は、この背景から生まれているかもしれません。

【不登校の背後にある複雑な状況】

不登校になる子たちは、その状態を最初から選んでいるわけではありません。
通常の学校に通い続けたいという願望を抱きながらも、何らかの原因で学校に適応できない状況の子もいます。
また、不登校になることを選択しないまま我慢し続けている子もいます。

【個々の特性の尊重】

「適応できない子」「我慢して適応している子」「簡単に適応できる子」
なぜ同じ人間なのに、こうも違いがでるのでしょうか。

これは、我々が「同じ人間」ではないからです。
もし我々が皆同質であれば、「不登校」という状況は存在しなかったでしょう。
それぞれ異なる特性やニーズがあるため、学習に対するアプローチや適した環境も異なります。

『嫌なことは皆一緒、逃げるやつは根性なしだ。』という精神論ではなく、
「特性や個性が我々は根本的に違う」ということに視点を向けてください。

「子ども」を解像度低く抽象的な存在としてではなく、
「子ども」の解像度を上げ、一人一人をよりクリアに捉えてください。

【大人の役割】

子供たちは自分の興味や情熱に従い、学びを探求できる環境で成長します。
個々の違いを認識し、それに合致した学びの環境を提供するべきです。

この個別化された学びが社会と結びつくように導くのが大人の役割です。

社会のための子ども、ではなく、子どものための社会。

未来ある子どもたちを現代社会の枠に押し込むのではなく、
現代社会を未来ある子どもたちに合わせてより良くすることが、我々大人の責務だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?